「はーろー、えぶりばでい」
「………。」
   
目でタソガレドキ忍軍の皆さんに助けを求めたら、華麗に視線を反らされた。
いやほんと、一国一城の主にこんなこと言いたくないんだが。
   
何コレ。
   
   
どうすればいいんだこの状況。
ハローと来たんだから普通にハローと返すか、夕方だからグッドイブニングなのか。それとも日本語でおkか。
あまりのことに、ムダに冷静だと言われる私もうっかり思考が迷子になった。そして結局リアクションを取れないうちに、向こうがごく当然のように日本語で話し出した。ああよかった。
「わしが黄昏甚兵衛だ。
 その方がか。遠路苦労であったな」
「は…ぃぇ、と、んでも、ございません」
お城に着くなり、ともかく殿がお待ちかねだからお目通しだけ済ませてくれない? と雑渡さんが言うので身支度だけ整えてついて来たら、(デコラティブと言えば聞こえはいいが)和洋折衷の度がすぎて正直わかりにくい趣味の部屋に通された。目を疑った。
…なんで畳に思いっきり毛足の長い真っ赤で豪奢な絨毯が敷いてあるのか。そして光沢のある紫に金糸で模様が入ったド派手な布は、形状からいってタペストリーであってたぶんカーテンではない。なぜ窓に掛けてあるのか。それからなぜか柱に巻いてある、宝石がいくつも付いてきらきら光る金の鎖…ひょっとしなくてもあの装飾は唐渡りの首飾りだ。
デザイナー出て来い。ちょっとお話しよう。
(余談であるが、元の時代には中国好きの西洋人が作った「シノワズリー」という文化があったことをふと思い出した)
眼精疲労かと疑うくらい目が痛んだが、それは所詮予兆に過ぎず、程なくしてスットンキョーな発音の挨拶と共に南蛮の宣教師みたいな格好の人…つまり城主の黄昏甚兵衛殿…が入ってきた。
もう一回目を疑った。
は組のよい子達いわく、タソガレジンベーヘンな顔。目上に向かってなんと失礼な。ヘンなのは趣味だ。
ぱっと浮かぶのはこの間タソガレドキが絡んだ結果だった。戦国南蛮ファッションショーとかいうなんともわけのわからないものがプラスされ、しかも学園長がまたぞろ「思いつき」で路線変更をしてくれたおかげで途中から無茶苦茶のぐっだぐだになった混合オリエンテーリング。先生達のサポートにあちこちのポイントをうろうろしていたから詳細は知らないのだが、この殿様は衣装を集めるうちに南蛮趣味そのものにハマりでもしたというのか。
(それっぽい。だったら私が呼ばれたのも少しは察しが付くし)
「頼みというのはな」
「はい」
「これの淹れ方を教えてほしいのだ」
言いながら懐から取り出した茶筒を開ける。ぽん、と軽い音とともに、懐かしい香りがふわりと鼻腔を満たした。
「紅茶ですか。輸入品の」
「おお、知っておったか」
「はい。仕事柄外つ国の品に触れる機会も多くございますので」
ウソである。この時代に来てからは本当に初めてだ。この時代に紅茶ってあったっけ…好きだけど歴史的なことまで気にしたことはないんだが、まあ、あるからにはあるんだろうな。
「それは何よりだ、タソガレドキはこうしたことに疎い者しかおらんでな。誰か呼べと命じたら、忍び組頭が忍術学園に心当たりがあると」
「(…がんばって思い出したんだよ、このとんでもない趣味口外しないでいてくれそうな人)」
「(よくわかりました)」
雑渡さんが私の後ろで口早に耳打ちしてきたので、こっちもなるべく唇を動かさずに返す。
それにしてもなつかしい。元の時代ではよく紅茶を淹れたものだ。大概私は凝り性であるからちゃんと手をかけて茶葉から抽出して飲んだ。…面倒なときはティーバッグで済ませることもあったけど。
しかしよかった、得意分野だ。
教えろと言うならどれほど細かくだって教えられる。君が笑ってくれるなら僕は鬼軍曹にだってなってやる。今日のおやつはブリオッシュだよ。
話がズレた。
「お任せ下さい。人に教えるというのはやったことがございませんが、そこはそれ。こと紅茶の知識のみに関するならば、この国に私の上を行く者はいないと申せましょう」
正確には「この時代に」だけど。


* * *


タソガレドキ忍軍における正式な来客用の…それはもう広くてきれいな部屋に、ここ好きに使ってねと軽く通された私の顔は予想がつくであろうか。
私は貧乏人ではないが、小心かつ日陰者である。
普段はもと物置場の、汚くはないが日当たりの悪い自室で、背中を丸めて文机に向かい小手先の作業に勤しんでいる身だ。当然の習いとしてとんでもなく恐縮した。寝られればそれでいいやと思っていたのになんなんだこの美しい畳敷きの部屋は。
「羽根布団にお目にかかれるなんてまさか裏とかありませんよね。のうのうと眠り込んだところをとっ捕まえて拷問して知識だけ絞り出して殺すなんておつもりじゃないですよね」
「…そんなにいい待遇は受けてないんだねえ。博識だって聞いたけど」
「寝る場所にはこだわらないだけですよ。それ以外は天井知らずに恵まれてると思います」
そもそもずっと聞きたかったが、誰が私の情報洩らしたんだ。
「え? 堺に出入りしてる貿易商。結構有名だよ、忍術学園に南蛮の言葉や習慣に詳しい掃除婦がいるっていうの」
以前乱きりしんと一緒に、必要なものの買い出しを兼ねて福富屋まで行った時のこと。買い物をしていたら片言の日本語を使う南蛮のご婦人に話しかけられて、お互い適当な言葉とボディーランゲージを駆使してにわか国際交流と洒落込んだことがある。
聞くところによればどうやらそれらしい。
とはいえ向こうの当初の目的は道を聞くことで、そこから派生した話なんて本当に世間話の域を出ていない。あの店の化粧品が使いやすいとか、私の故郷にはこういう種類の香があるとか、どこそこの茶屋の看板娘さんは綺麗だけど男運が悪いようだとかそんな程度だが、しかしこの時代では珍しがられるに足るものだったか。迂闊なことをしてしまった。
その考えを裏付けるような芝居がかった動作で、雑渡さんがふとこちらへ向き直った。
「ねえ、ちょっと気になってたことを聞いていいかな」
「どうぞ」
「…掃除婦さんは、どこから来た人?」
「江戸の方です」
嘘ではない。近くて遠いまっくら森から参りましたけどね。
「ほんと?」
「なにか?」
「いや、なんだか違和感があるんだよ。君を見てると。この国の人間とも南蛮人のそれとも違うような気がしてねえ。言動が云々じゃなくて、雰囲気や、佇まいかな。言いたくなかったらいいけど」
「特に隠し立てをするような環境じゃないですよ。外国で育ったんで、それじゃないですかね」
「へえ?」
「あ、生い立ちが少し特殊なもので。生まれたばかりの頃に祖父母と両親が船の事故で亡くなって、それから外国で暮らしていた変わり者の叔父に引き取られて育ちまして、十五で江戸に渡るまでは叔父の仕事を手伝って過ごしていました。だから雰囲気は違うでしょうね」
素性の話は学園長や先生方と入念に打ち合わせておいたことなので、口からすらすらと出てきた。
小さい頃に近しい人間を亡くした、というところを入れるのは、軽い同情を引いてそれ以上の追求を避けてくれることを狙っているそうだ。歴としたプロ忍相手にも通用するかどうかは知らないけれど、信じようが信じまいがとりあえず筋は通る。
「ふうん…うん、悪かったねおかしなことを聞いて」
「いえ、平気ですよ。話し方がちょっと変だとか、そういうのよく言われますから」
「だってさ、皆」
   
「へ?」
   
   
「…なんだ、そういうことですか」
「じゃああんなに調べる必要なかったなあ、チョーくん」
「またえらい無駄足踏んだよな簿っちゃん」
「もうよして下さいよそれ」
「道理で素性が知れないわけだ」
「そもそもこの辺りの人じゃなかったのか」
「国の外だったか…さすがに俺たちもそこまではな」
「いやあ、すみませんねなんか色々」
わいわいがやがやざわざわどよどよ。
私はまた目を疑うはめになった。そしてあからさまにびびった。
ある人は天井裏から、ある人は持ち上がった畳の裏から、ある人は掛け軸の向こう側から、またある人は押し入れの中から。部屋中いたる所からタソガレドキ忍軍らしき黒装束の男達がわらわら出てきては好き勝手に喋るものだから。なんというか。はっきり言って怖いを通り越して気持ち悪い光景だった。
「あの、み、皆さんいつから」
「最初から潜んでいました」
タソガレドキ忍軍で小頭を務めております。
鋭い目付きの男が一人、前に出てきてそう名乗った。
「失礼ながらあれこれ調べさせてもらいまして、それでもさんの素性が全く掴めなかったもので…これは当人に聞くしかないかと」
次いでやりかたが不躾で大変申し訳ないと謝ってくれたが、ちょっと待った、立場としては確かに私は客人だ。しかしそれはそれとして城主の近くに得体の知れない相手を寄せるわけにいかないのは至極当然の話であるから、特別謝っていただくようなことは何も。いやむしろよく決断したなこの人達。
(ああ、でも私一般人だし、とりあえず呼んでおいて殿様を害するようなら殺すか…でなきゃ力ずくで叩き出せばいいのか)
我ながらイヤな結論だ。
「外国って具体的にどのあたりなんです?」
「スペインの端も端、国境に近いぐらいの田舎村です。住んだ欲目ですけど、いいところですよ」
「しかし十五で国を越えて、江戸からまたこっちへ渡って来たとは…聞いたらあれだが何かあったのか?」
「ただの旅好きです。節目節目で新しい風景が見たくなるだけで」
「それで旅に次ぐ旅か、すごいなあんた」
「ははは、それ学園長にも言われました。そこを気に入っていただけたんですけど」
「また海を渡ったりするんですか」
「そろそろこの地に骨を埋めるつもりではいますが、まあ、必要があれば」
こう言っておけば突然消えても怪しみはしないでしょう、ということでしたが、そこまでの行動力詐称は別次元で怪しまれるような気がします。安藤先生。もう皆さんほとんど男と喋ってるようなノリになりました。
「それで、殿が言ってらした茶の淹れ方をご存じだそうで」
「ご存じもなにも、大好きですんで。支障がなかったら、どこから手に入れたのかルート教えて欲しいぐらいですよ」
忍術学園に勤めているくらいだし、副業との兼ね合いもある。私は輸入物にはわりと詳しい。
風変わりな意匠、技術の粋を凝らした綺麗な細工、意外性で攻めてくるマイナー製品、それら諸々の面白いものや新しいものに対するアンテナは張っている。紅茶なんて、あんな馨しいものが売られているなら少しぐらい噂を聞いていてもおかしくないのだけど。
「それがねえ、私たちもわからないんだよ。殿が遠乗りに行った時、香りがいいからってどこかの露店で買ってきたものらしいんだけど、詳しいことは聞かなかったって」
「私が言うのもなんですけど、そこまで得体の知れない代物よく飲む気になれますね」
「うちの殿新しいもの好きだから」
いくらなんでもそんな不用心な。
…現代人が心配症なだけか。未知のものを恐れず進んで使う気概を上司が見せつけることで、部下に与える印象は変わるだろうし。でも小物から見れば、やっぱりいくら美味しそうでもまったく成分の知れないものを飲む気にはなれない。なんと言っても今の今まで評判ひとつも聞いたことのないような、お茶、を、
   
話がズレた…いや待て待て待て落ち着け。なにか思い出しそうな感じがするんだが思い出せない。なんだこれ。
   
「どうかしましたか、さん?」
「あ、いえいえ…なんでもありません」
軽い会釈と共に小頭さんにそう返して、誰かがいつの間にか料理と一緒に持ち込んだ酒で違和感の正体は一時的に忘れてしまって。
それじゃあ明日早いしいつまでもいたら迷惑だから帰ろうか、と(これから任務だったりするのかそうでないのかは知らないが)一人一人がそれぞれの場所にハケていって、一人になった寝る直前、
   
「あ!」
やっと思い出して跳ね起きた。中学だか高校だか忘れたが、あれは授業時間の半端に余った雑談タイム…居眠りしていた頭の片端に引っ掛かってきた、先生の言葉は。
   
   
『ええ、そういうわけでね。皆さんが思っているよりずっと紅茶の歴史というのは浅いんですねえ。戦国時代…外の国との交流が盛んになってきた時代、オランダやポルトガルの貿易商が日本にあった茶道という概念を自国に持ち帰ったのが始まりでして、』
   
   
…要するに、輸入とかそういう問題ではなくて、この時代にはそもそも紅茶が存在しない。
だったらどうしてここにあるのか。誰かが持ち込んだのだ。
   
   
   
   
私以外の、どこかの未来人が。