さんがここに来てから、一年も経ちますか…すっかりまた寒くなって」
「そうですねえ」
熱いお茶のおいしい季節だ。
冬とはいえ日溜まりなら少しは暖かい。仕事の切れ間がちょうど午後の休憩の時間に重なったので、山本シナ先生(老婆のほう)がお茶に誘ってくれたのをいいことに、縁側でゆっくりと休憩中だ。冬場は暖かいというだけで幸せだ。さっきシナ先生が掃除の手際を褒めてくれたのでなお幸せだ。
小ぶりの湯呑みを手全体で包み込んで暖を取る。
体温の高い私でもこの時代の冬は十分寒い。元の時代に未練は(それほど)ないのだが、返す返すも便利な時代だった。冷暖房器具の充実ぶりはやはり懐かしい。
「学園にもすっかり馴染みましたものね」
「ええ、皆さんよくしてくれたおかげです」
「いいえ、あなたの努力ですよ。戸惑うことも多かったでしょうに、がんばりましたね」
「いやそんな、よして下さい。シナ先生に褒められると照れちゃいますよ」
「褒めますとも。さんは器用で博識でセンスも良くて、学園にもよく貢献してくれるいい子ですよ。斜堂先生は本当に趣味がいいんですね」
「えっ、ちょ、なんですかいきなりそんなよしましょうよほんとにもう!」
この鼻の下が伸びそうな超ド級のマンセーっぷりは一体なんだ。いや実際伸びたけど。ああそうですよ嬉しいですよ思わずデレッデレの笑顔ですよ文句あんのか。
「それでね」
「はい」
「折り入って頼みたいことがあるんですけれど」
「なんでも言ってください!」
たぶんああまで言えばやると思われての褒め殺しだろうけど、まあシナ先生だからなんでもする。私じゃできないと思うことだったらまさか任せたりしないだろう。野村先生じゃあるまいし(余談であるが、野村先生から頼まれた用事を必死で終わらせて報告に言ったら「本当にやるとは思わなかった」と返されたことがある)(とりあえずラッキョウ入りの饅頭で仕返しはした)。


しかし、続いた言葉はあまりにも予想外に過ぎた。
「タソガレドキですか?」


* * *


タソガレドキ忍軍から、一日だけ私を…正確には私の知識を貸して欲しいと要請があった。


どういう内容のことかと聞いても答えはない。不躾で申し訳ないが内容は教えられない、けして危害は加えないと確約する、嫌なら断ってくれても勿論構いはしないができるなら来てほしい…と、タソガレドキの曲者さんこと雑渡さんが言ったらしい。
下手ではあるようだがとてつもなく不審だ。
「話はわかりました」
「うむ。儂らとしてもろくな事前調査もなしに、お主一人を向かわせるような真似はしたくないのじゃが」
「来ちゃってるんじゃ仕方ありませんよね…組頭さんが、すでに…」
別に向こうだって、いきなり押しかけて掃除婦さん貸してなどと言ったわけではなく、少し前に文を出してきちんと頼んだらしい。
しかし待てど暮らせど返答がなく、仕舞いにお殿様がまだかとせっついてきたあたりで『ねえ、なにかこっちに不手際でもあったのかな、保険委員くん達』なんて言いながら直接学園まで来てしまったのが今日である(ちなみに今は保健室でお茶を飲んでいる)。
学園側に落ち度がある以上、無碍に断るのは気が引ける。…引けるのだが、相手の真意も分からない現状ではいそうですかと学園の人間を貸してやるわけにもいかない。
(そのあたりのことを抜いたとしても、学園としては最近そこそこ好意的なタソガレドキにこの一件で恩を売っておきたいという腹もあるだろう)
いくつかの事情を秤にかけて、学園長と先生方は短い時間にそれはもう悩んだ。そして結局運を天に…もとい私に任せて、シナ先生に打診してもらったのだとか。
どのみち私の答えは一つしかないが。
「今日行って向こうに泊まらせていただいて…明日の昼前には済むから、そしたら今日の同じくらいの時間に帰って来られる、と…。
 お受けしましょう」
ご近所付き合いは大事なものだ。それくらいならいいだろう。
忍びの足には遠いも近いもないと聞いたが、私は一般人…いや、実際にはそこらの農民より体力値が低いので、学園と城を往復するには時間がいる。
…その間の仕事は小松田くんにやってもらおう。掃除オンリーなら大丈夫なはずだ。
そもそも小松田くんが滑って転んで、学園宛ての届け物と城からの文を一緒に焚き火にぶちまけたのが騒ぎの元だそうだ(たぶん今頃また吉野先生に叱られている)。このぐらいはやらせてやる。
「そうか。得体は知れんが、やってくれるかねくん」
「お任せください山田先生。不肖、好戦的な城だからと腰が引けたりはしないつもりです」
「うむ、その意気じゃ! びびるでないぞ、逆に忍術学園の名に恥じぬ知識を見せ付けてやれい! 未来人!」
了承の印にその場に片膝を付き、次いでゆっくりと頭を垂れて返した。
「何なりと」
ただのカッコつけだけど一回やってみたかったんだから仕方ない。



「大丈夫ですよ、私がものすごい臆病で警戒心強いの知ってるでしょう。何かあったら逃げますから」
「持久力のないあなたの足でどうにかなるのはせいぜい一般人くずれ。野盗や悪徳宿屋から逃げ切れるようになったのは評価しますが、プロの忍びを向こうに回して何かあったらどうにもならないのですよ」
「ああもう…そんな重大なことなら私にお呼びがかかったりしませんってば」
付き合ってわかったことがひとつ。
いつも人にあまり執着しない反動なのか、気を許した存在に対しては斜堂先生は案外過保護だ。
学園長はああ言ったけれど、面倒事を持ち込まないよう、表で未来人としての顔…未知の知識や情報を見せることは止められている。それを抜けば私が知っていることなどたいして役には立たないはずだ(武器や戦略や医術の知識もなくはないが、中途半端すぎて使えない)。
タソガレドキだってこんな小物を態々どうこうしてまで学園を敵に回すような真似はしないだろうに、この人ときたら。
「影麿さん」
「はい」
もうこの際だ。周りに人がいないから名前で呼ぶ。
「私がどうしてここにいるか、まさか忘れた訳じゃないでしょう。給金がいいのも知識を仕入れるのに都合がいいのも要因ですけど、一番はこの規模の後ろ盾があればなにかと安全だからですよ」
いや、人間関係とかそういうアレは最優先事項だからそれは除いて。
もちろん先生も生徒もみんな大好きだ。ここの人達のサポートをしたいと思った気持ちに偽りはない。
ないけど。
親愛感情と恋愛感情と打算がごちゃ混ぜスープだっていいじゃない。おとなだもの。
「向こうの状況はどうあれ、ともかく現状狙われるに足る重要な情報は洩らしてないはずですよ。…解ってるでしょうに」
来たばかりの、それこそこんな関係になるなんて考えもしなかった頃。外で無用に知識をひけらかしてはいけないと厳重注意しに来たのは目の前の当人だ。忘れたとは言わせない。
「それでは本音を言いますが」
「はい」
「タソガレドキ忍軍にはあなた好みの変人が多そうで、心配なのです」


ちょ。


「い、いくらなんでもそんな聞き捨てなりませんよ! 私そんなに信用ないんですか!」
何を言うかと思えばあまりに意外すぎて声がひっくり返った。
ちょっと好みの男がいたからって、たかが一泊二日で揺らぐはずないだろう。私はどこのメスブタだ。
「だっていつも、思いも寄らないような人をかっこいいとか素敵だとか」
「聞くたび一々気にしてたんですかそういうの!」
本格的に打たれ弱いなこの人!
「気にしないわけないでしょう! あなたって人は…だいたいこの間だって、は組の虎若君に会いに来た狙撃手さんをクールだの渋いだのべた褒めして」
「そ、そういう類のは反射的なもので、動物好きがよその犬や猫見てかわいいかわいいって言うような感じですよ! うちの子が一番ですよ!」
たいそう失礼ながら、わかりやすい比喩を出したと思う。
確かに照星さんはかっこいい。(今の状況では間違っても言えないが)斜堂先生に惚れる前に会っていたらひょっとしたら揺らいだかもしれない。しかしそんなのあくまで脊髄反射レベル。勢いでかっこいいだなんだと言っているのは、ほんの一時イケメンなんてチャラい一言で持て囃されるドラマの俳優に向けるのと同じようなもんだ。
大体他にちょっと好みの男がいたからってふらふらするぐらいなら、今頃誰とも付き合ってない。そしてもっと気合いを入れて元の時代に戻る方法を探している。電気とガスと水道に慣れ親しんだ未来人なめんな。便利万歳だ。
「う、うちの子って、私は犬猫じゃありませんよ失礼な!」
「ああもうそういうこと言うと話がズレるでしょうが! いらないとこでほんと自虐的なんだから!」
「自虐的にもなりますよ! 悪いですか!」
「そんなに「あのー」


「「なんですか!」」


「…ずいぶん待ったんだけど、まだ続く?」
とりあえず喧嘩は脇に除けておいて、微妙に申し訳なさそうに小首をかしげる組頭さんに謝った。