濃い緑の匂いの中で、男はじっと息を殺して潜み続けていた。
魔王軍が地表を支配してからというもの、各地で魔物による被害は増えても、人間種間でのいざこざはむしろ減ったようでさえあった。
強大な敵の前には結束するしかないという古来からの法則…テンプレートなるものだろうか、この魔物退治の依頼主も異様なほど腰が低かった。無論、彼らの持った事情が殆どではあろうが。
魔王軍に町を追われ、樹海の奥深くに逃げ込んで細々と暮らしてきた人間達を襲ったのは、黒豹に似た一頭の竜だった。
捉えるどころか目で追うことも難しい速度で暴れ回り、刃のような爪は人といわず家畜といわず切り裂き、食らう。
ここが駄目ならもう生きる場所がない、と人々は言った。
討伐に行った若い男達は、大半が食われて死に…残ったものも大怪我を負った。小さな集落を動かし、余所へ行くだけの人員さえ足りない。次に襲われたならもう誰も残りはしないだろう。父を亡くした赤子を抱いて、最年長らしき老婆は泣いた。
その言葉に同情したわけではない。男は土地から土地へ流れ歩く風来坊、これまで魔物による悲劇など五万と見てきた。
それ故、集落の者達が必死で守っていた金や食糧を受け取らなかったのは慈悲ではない。
資産価値が大幅に変動した今、かつての通貨は紙切れに等しい。ましてや食糧などハンターにとっては現地調達が基本で、必要以上に持たされても嵩張るだけだ。別段助けにもならないものを押しつけられた挙句、感謝でもまた泣かれることを考えれば、ただ働きになっても魔物を討伐したその足でふらりと消えた方が遥かにましだった。
女子供と年寄りに泣かれるのは気分が悪い。
…断じて慈悲ではない。
   
舌打ちしたい気分を押さえつけて、藪の中から僅かに開けた場所を見つめる。
幾度かやり合いそれなりにダメージを与えたため、遠くないうちに体力を回復させるべく巣へ戻ってくると踏んでいる。
自前のマントと帽子に葉や小枝を貼り付け、ギリースーツに仕立てて張り込んでいるのはその為だ。
(眠り込んだところに樽爆弾を仕掛けて、一息に蹴りをつける)
過たず、上空から突風が押し寄せてきた。
他の飛竜と違いそれらしい翼を持たない件の竜は、一度高く飛び上がり気流に乗って滑空するタイプであるらしい。次の瞬間には一際太く頑丈な木の枝の上に、赤い目を不気味に光らせて、黒豹に似た細身の竜が蹲っていた。
   
男は片手剣の柄に手を掛け、覆いで囲った樽爆弾を目線だけで確認した。