破壊神が手ずから、真っ黒なゲル状のなにかを目の前に差し出す。
顔と態度には出していないものの、一度だけ口元がひくりと動いたところから、歴戦の魔物ハンターも流石に怯んだようだった。魔界の王たる自分でさえ「これを飲むなら、例えネコでもウサギでもケモ耳が生えたほうがマシかもしれない」と思ったぐらいなので当然だろう。
黒ではあってもコーヒーの澄んだそれとは違い、どろどろと濁って異臭のする…薬と言われたところでこれでは、前に劇か毒とつく類のものにしか見えない。
さらにそれを持つ神が笑っていることでさえ不安を和らげはせず、かえって胡散臭さに拍車をかけていた。
なんとはなしに、魔王は聞いてみた。
「ところで破壊神さま、なんですかなそのどや顔は」
「ああ、いいカットだろうこの魔カラのクリスタルグラス。一昨日ムスメに付き合わされて買い物に行ったんだが、そこで一目惚れした」
今この時に出してくるということは、ひょっとしたら意地の悪いことをした詫び代りなのかもしれなかった。
どう考えてもやり方は完全無欠にずれているが、それこそがこの破壊神である。存外愛情深いくせにサディストで、思いつきだけで動いて、その愛の矛先はどちらを向くのか予測がつかない。
魔物達を優しく労わる指も、自分を気遣ってくれるのかと縋れば突き放す酷薄な笑みも。勇者達に極限まで魔法を撃たせて、なんと馬鹿な連中だとことさら無慈悲に疲労ぶりを嘲笑う声も。…そのすべてが愛だと言ったところで、いったい何人が信じるだろう。
自分も微妙に信じられない。
しかし常態ではまるでお伽話の主人公のような…魔王である自分が言ってはならないことだが…穏やかで道理を重んじる好漢にさえ見えるのだ。
大概たちの悪いことに、それは勇者達にも適応される。
たまに破壊神にたぶらかされたなどと聞くのは、魔界の神たる肩書きに似合わぬその「真っ当さ」…すなわちギャップ萌えというものにやられたのだと魔王は密かに確信していた。
被害者は多かろう。
   
(……それが、これとは)
   
「破壊神…どうしてもこれを飲めと…」
「ああ。大丈夫だ、まかり間違って羽根耳にでもなったら『可哀相な鳥…』と呟いてやる」
「大丈夫の意味が全くわからん」
「なんだ、『美しいものが嫌いな人がいて?』がいいか」
「お前は馬鹿か!」
   
(あんなに言ったのに…破壊神さまはモトネタ使うの下手なんだからよして下さいと…)
破壊神曰くこれまたオマージュという名の愛らしいが、モロすぎる。
   
「いい加減に覚悟を決めて一息に飲んだらどうだ、この根性なしめ」
「誰が根性にゃしだと!」
「その口調で凄まれてもな」
僅かに動きを止めた後、神が不吉な笑みを浮かべた。
たっぷりと見覚えのある嗜虐的なそれで、グラスを魔王に手渡して寄越す。人間であれば足元も覚束ない洞穴の中、緻密なカットを施されたグラスが淡い明かりにきらきらと反射光を散らす。
こんなろくでもない状況でさえ美しいものは美しいのだなと、見当外れの考えが脳を過ぎった。
「魔王」
「はい」
なんとも微妙な状態に成り下がったその華奢な体を、破壊神はしっかり足も絡めて羽交い締めにした。
「飲ませろ」
「お、おい! にゃにを…止めろこら破壊神! 来るにゃ! 魔王!」
(追い詰められるというのは哀れなものだ。破壊神さまが常日頃片手で何を振るっているか、知らん訳でもあるまいに)
破壊神といえど体を使う技は訓練しなければならないとでも思っているのか。拘束された身体はじたばたと暴れたが、神の腕はびくともしない。
「来るなと言われても聞く義理はない。私ももうそろそろこんなしょうもない騒動は終わらせたいのでな」
恨むなら恨むがいい。
そもそも個人的な感情から言えば、破壊神を引き抜こうとしただけでなく…むしろ勇者が云々という以前にどんな因果か、自分はこの男が無性に気に食わない。
頭頂部の震える耳に口を寄せ、魔王は囁いた。
「ニゲチャダメダーニゲチャダメダー」
なにか叫ぼうとしたらしい口にすかさず指をねじ込み、こじ開ける。尖った牙が刺さり僅かに血を滲ませるが、そんなものは痛くも痒くもない。お構いなしに魔王は自分の指に薬を伝わせ、流し入れた後無理やりに口を塞いだ。
程なくして、破壊神の押さえる身体からくたりと力が抜けた。
「気を失ったか。ご苦労、程なく戻るはずだ」
「それで破壊神さま、これはどうなさいますかな。効果的な捨て場所でも?」
「ああ。放っておいても死にはせず、しかもいい感じに精神を抉る場所がある。
 …魔王、ちょっとボールペン貸せ」