話せば少し長いんですけど、そろそろ手に職のひとつもつけて、この先例えば忍術学園との繋がりが切れるような事態になったとしても生きていられるようにならなくちゃダメかなあと前々から考えてまして。
いい機会ですから夏休みを使って試験的にやってみることにしました。…もちろん全部私だけで用意したわけじゃないです。具体的な商品案と経営プランを交えて学園長に提案したら、そりゃもうノリノリで用具委員会と作法委員会に話を通してくれました。つまらないことは嫌いでもくだらないこと好きですから。学園長。困った人だけどこういう時には頼もしいから、本当、すごい人ですよね。
商品製作は主に私が、細かな製作指南は用具委員会が、店の雰囲気は作法委員会が、それぞれプロデュースしてます。なかなかこう、ほの暗い感じがいい雰囲気でしょう。利益も随分上がってきて、口コミでお客さんが来てくれるようにもなりました。
あ、この男装ですか。女一人じゃ物騒だから、防犯対策ということで。
* * *
ひとまずの隣に腰を落ち着けて、大体の経緯を聞いた後。人気のなくなった店の中で、こういうことだったかと斜堂は心底納得した。
未来人の柔軟な発想を骨組みとし、用具委員会の技術でもって作られたものを、名トラッパー揃いの作法委員会が全面協力して売り込む。そう来れば水準の高さは折り紙つきだ。
なんのことはない袋物を一つ取ってみてさえ、噂になる素養は十分と言えた。ちょうど今の時期の空に似た深い水色の生地に、濃紺の糸で飛び交う燕を縫い取った…図柄こそ有り触れているが、それを使った意匠が奇抜というかなんというか。簡単な作りの竹の籠を巾着の尻に被せて固定し、籠の縁に鮮やかな朱色の…巾着の口と同じ紐を器用に編み込んで飾りにしてある。
なるほど、実用性を第一に考える彼女らしい出来だが、それより巾着と籠を組み合わせるなどといったい誰が考えつくだろう。
(余談であるがそのあたりを褒めると、自分の時代においては別に珍しくないからほとんど気にしていなかった、などと返ってきた)(彼女としては刺繍が会心の出来だったらしい)
そんな話をしながら、現在…昼までの売上金を集計したり、ざっと纏めてあったらしい時間ごとの客足の推移を清書したり。掃除や事務の仕事とさほど変わらぬ淀みのなさに、やはりいつ見ても器用な人だと、何度も思ったことをまた再認識する。
「だいたい解りました…でもこちらに来るなら、せめて事前に言ってくだされば」
こんなことを計画するなら言ってくれればいいものを。
(それは…知らせる理由はないでしょうけど。だって、…でも…心配じゃないですか)
同僚の松千代ほどとは言わないが、人間自体があまり好きでない斜堂のこと。任務であればそこそここなせても、基本的には客商売など苦手もいいところだ。それだから呼ばれたところで役に立てるわけでもなく、客あしらいだなんだを言い付けられても困らせるだけではあろうが、万一の時のために護衛くらいは勤められるはずだ。
(一人でこんなことをしていて、売り上げを狙った強盗が来たら)
日中はともかく、寝込みを襲われでもしたらどうするというのだ。男装術の精度はなかなかのもので、一見すれば女には見えない…が、優男には見える。こんなひ弱そうな野郎一人なら、とよからぬ考えを起こす者がいないとは思えない。
そう告げると、はなんのこともなさそうに答えた。
「あ、それは大丈夫です。実はこのあたりに馴染みの遊郭があるんですよ。少し高くはつきますけど、まずいかなーと思ったときは専らそこに」
「口調があまりに自然で流すところでしたけどあなた女性ですよね」
「そりゃまあそうですけど、あくまでこの辺では男で通してますから、色街にいる方がかえって都合がいいでしょう。私が女だってことを知ってるのはそこの贔屓の女郎さんだけです。その人が話のわかる方で、黙っててもらう代わり規定より多めに花代を渡して、ついでに周りには行儀のいい上客だって言ってもらってます」
「…その人が、もし誰かに喋ったら」
「話の中で本当のことは性別だけですよ。私は実はヒカゲシビレタケのくのいちで、男装してこのあたりで人を探してるんだって言いました。このことを人に喋っちゃったらあなたまで面倒な事になるから、くれぐれも黙っててくださいって」
完璧ではないか。
「これぐらいの腹芸ならなんてことないです。それに、この計画は私一人でどこまでできるかを試すためのものでもありますから、ぎりぎりまでは誰かのお世話になるのは避けたくて」
でもまさか斜堂先生が来るなんて、と怪訝そうに続けられて心臓が跳ね上がった。
(あなたに贈ろうと思っていたんです、と言っても…笑ったりはしないでしょうけど)
そうは思っても言いづらい。しかしだからとこのまま黙っていて、他に好いた女でもできたかと誤解される率が上がるのも困る。
「あ、それとも怪しい店があるって聞いて偵察にでも来ました? だったらちょっと雰囲気変えないとまずいかな…怪しまれたら意味がないし」
「いえそんな。怪しいと思ったのは本当ですが違います。……あの…あなたになにか、贈ろうと思ってですね、それで」
予想の斜め上を突かれて思わず本音が出た。
「私に、ですか?」
頷くと、は幾分照れたように…けれどやはりいつもと同じ調子で、ありがとうございますと笑った。
(ああ、やはり)
このままの自分では敵わない。彼女の心を揺すぶるには、決定的に足りないものがある。
本当はそれさえ、もうとうに分かっているのだ。
いずれ元の時代へ帰ってしまう人だなどと、そんなものは言い訳に過ぎない。もうそろそろ腹を括る頃合いだろう。
仮初にも自分は男なのだから。
(…いい加減に覚悟を決めなさい、斜堂影麿)
「さん、今夜の宿は決まっているのですか」
「え。ですからさっき言った色街に」
「宜しければ今夜だけ、私の家に来ていただけないでしょうか。…大事な話があります」
あなたの計画を邪魔するつもりはありませんが、今夜だけで構わないのです。そう続けた言葉に、は彼女にしては珍しいほどの真顔で頷いた。
惚れた贔屓目を抜きにしても他者の感情には鋭い女であるから、こちらの言いたいことなどとうに分かっているかもしれないが…しかし今回ばかりは、言葉にもせず分かったつもりで済ませる訳にはいかないのだ。
あなたが好きだと、その一言を舌に乗せて示さなければ何にもならない。
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