「ほんと、どうしようもない男よね」
「…うるせえ」
彼は、諦めたように小さく吐き捨てた。


「まさか、お前がいるなんて思わなかった」
「気がつかなかった? 別れる間際に言ったじゃない、絶対に会いに行くからって。…苦労話するつもりはないけど、のし上がるのは大変だったのよ。ストリートファイトしか能のなかった日本の小娘が、たかが十年足らずで国際組織のエージェントだもの。かなりよくやったと思わない?
 …ま、肝心なときに別任務で手が塞がっちゃったんだけどね」
「そりゃあいい。あんなみっともねえ様、もしお前に見られてたら首でも吊ってるぜ」
彼女は一つ溜息をついて、窓の向こうの冬空に目をやった。
SML本部の六十階に位置する重罪人用の特別拘束室だけあって、室内には見て楽しいものなどあるはずもなく…完全防弾処理を施された白い壁、白木の机、パイプ椅子が三脚。それ以外はなにもない。
「よくよく格好つけのあなたらしいわね。…わたしは、誰より会いたかったのに。
 あなたのために、ここまで来たのよ。わからない?」
「分からねえし、分かるつもりもねえな。俺になんか構ってる暇があるなら、もっとまともな男を見つけりゃよかったんだ」
「それができたら苦労してないわよ! バカ!」
「うるせえな! バカはどっちだこのアマ!」

まったく同時に声を荒らげ机を叩いて、弾かれたように立ち上がって睨み合う。これもやはり当時のままだった。
ただ一つ昔と違うのは、止める人間がいることか。

「何やってるお前ら!」
鉄製の扉が勢いよく開いて、エージェントの一人が飛び込んできた。心配して(といっても、仲間のはずの自分でなく彼の方である。確かに腹を立てると何をするか分からないという自覚はあるが、いくらなんでもそれはないだろう)ドアの前に張っていた同僚だ。
制されると同時に、二人とも…意図はしていなかったのだが…声を揃えるようにして怒鳴りつけた。
「別に殴ったりしないから引っ込んでてよ! 筋肉の旦那!」
「暴力沙汰なんか起こさねえよ! 俺達の話だ、引っ込んでやがれ!」
「とてもじゃないがそうは見えんぞ!?」
言葉と裏腹に互い視線は外さず、ぎりぎりの線で手を出すのだけは止まっている状態だ。あと一言…なにか決定的な一言があれば、殴り合いにまで発展するだろうことは想像に難くない。
「チッ…」
「フン!」
だが、二人ともその一言は発さず、どちらからとなく目を反らしてどかりと椅子に腰を下ろす。
「……ほどほどにしろよ」
確認すると、筋肉の旦那、と呼ばれた男は静かに戸を閉めた。
再び、室内に剣呑な空気が満ちた。互いに相手の出方を窺うように目を合わせ、舌打ちと共にまた反らし…そんなことを幾度か繰り返す。

耳が痛くなるほどの沈黙の果てに、ごく短く言葉が交わされる。
「相変わらずだな」
「そっちこそ」
所詮、思想も主義も異なる相手。若く、何もわからなかった昔ならばともかく、共に歩くことなどできはしない。今更馴れ合ったところで、何にもならない。
しかし、言っておきたいことがある。
今ばかりは、皮肉は抜きにして。

「…会いたかった」
「言ったはずよ…わたしだって」
「もう少し待ってりゃ、俺が迎えに行ったんだ」
「馬鹿言わないでよ。誰より大事な男だったから、止めたかったんじゃないの」
「さっきから言ってんだろ。惚れた女にそんなことさせられるか」

互いにどれほど愛していたところで、決して歯車が噛みあうことはない。
先程のエージェントが呼びに来るまで、二人はずっと向き合ったままだった。日も暮れかけた拘束室でぽつりぽつりと、虚しいだけの遣り取りを交わしながら。