宴席…それも常々ストレスの多い教師陣の新年会に招かれた以上は、パシリ扱いも已む無し。

はやや諦めの境地でそれを覚悟していたが、よもやセクハラが来ようとは思わなかった。
しかし考えてもみれば、はこの場で唯一の素人女なのだ。口説くとなればまた話は違おうが、いくら美しいと言えどもくのいちの教師に絡めるような命知らずが忍びの中にいるはずはない。…そしてなるほど、色を抜きに構って遊ぶには、自分は格好のおもちゃであろう。
大木雅之助にあれこれといらないちょっかいを掛けられながら、はなんだか達観したような心地にすらなりつつあった。
「だぁから、いくらなんでもこれはセクハラだっつってるでしょうが…なんて落ち着きのない三十代なんだ…」
「なんじゃい、たかが膝に乗せたぐらいでセクハラだーなんだーって。今の若いもんはこれだからのー」
「恋仲でもない女にこんな真似しといてなんですその言い種…! 離してくださいもうほんと暑苦しい!」
「そうまで嫌がられると傷付くのぅ…」
「ひゃうあ! ちょ、傷付くとかいいながらどこくすぐってひはははは、やめ、お、怒りますよいい加減に!」
「おい…助平親父そのもののちょっかいは止せ、雅之助…。見てる方が情けなくなる」
「もっと言ってやってください野村先生、この悪い酒飲みに!」
「………。」
自分の名字にメシアと仮名をふる勢いである。さしもの野村も哀れを感じ、この際手の一つも上げてでも止めてやるべきかと伸ばしかけた右手がふと止まった。
見たものから然り気無く視線を反らすと、野村はそれは不敵に口元を歪めた。なにやらうすら寒いものを感じて顔を引きつらせるを綺麗さっぱり無視して、口早に大木へ耳打ちする。
「やはり前言撤回だ、もっと露骨にやれ」
「あ…あのう、それはどういう「お前は黙ってろ。…この際抱き枕にする勢いでも構わんからもっと派手にだ」
「おお? まさか野村センセイがその手のことを言おうとは…見た通り意外とムッツリか? ん? それならそれでリクエストに応えにゃあなァ!」
「な ん の リ ク エ ス ト で す か !」
膝に抱き抱えるのみならず無遠慮に撫で回されてじたばたと暴れるの襟首を、すかさず白い手が掴んで引き剥がした。
「あれ?」
「…さん」
今にもその場に倒れてしまいそうな顔色も覇気のない口調もいたって平素のまま、斜堂は静かに手を放して、続ける。
「火鉢をもうひとつと炭を取りに行きます…私だけでは手が足りないので、ついてきて下さい」
「え? あ、ああ…はい」
事態が飲み込めずにぼんやりとしたのも束の間。
漸く意図に気付いたものか、は言われるままに後について出ていった。





「…ほう。ほうほう…ああ、なるほどなァ。あいつらそういう間柄か」
「まあ、そういう間柄だな」
にやにやと笑いながら頻りに頷く友人に、訳知り顔で野村が注釈を添える。
「とはいえ、まだ互いに伝えてはいないようだが」
「なんじゃそうか。つまらん…さっきのなんぞ、自分の女にべたべた触られて怒っとるようにしか見えんかったじゃないか。いらん誤解を生むぞ、ありゃあ」
「斜堂先生もあれで自覚がないのでしょうよ」
安藤の言葉を皮切りに、一部始終を愉快そうに見ていた他の教師たちも集まってきた。
「皆知っとるんですか」
「というより、学園内で知らない人間を探すほうが難しいと言いますか…ほら、今一つ感情を隠すことのできない人ですから。斜堂先生がわかりづらい分、案外丁度かもしれませんが」
他者の感情に聡くあることは忍びの基本だが、更には学園長が面白がってえらく構いつけた所為もある。そのため基本的には同情混じりでありながら、ことが上手く運ぶならばそれに勝るものもなかろうと割合生暖かく見守られている状態だった。
「わかり易いと言えばわかり易いか…教師どころか多分生徒から見ても丸解りだろうからの。いや、ありゃあ解らせてるのか、でなけりゃ素なのか」
「しかし相手が斜堂先生じゃあなんというのかこう、一筋縄じゃあ行かんでしょうな。下級生なんぞは先生がいつごろに落とされるか予想しとるようですが、そう簡単にいくかどうか」
(余談であるが、誰も「落とされる」に突っ込まないあたりに常日頃の言動が窺えようというものだ)
「わりと似合いではありますよ、はあれで案外真面目ですから。まあ当人はへらへら笑って軽口を利いて、…あれで誤魔化しているつもりのようですが」
「あれだけなんでもない風で笑っていられるんです。もう少し年がいけばなかなかの食わせ者になるでしょうけれど、今はまだまだ」
「確かにぎこちないというか…肝心なところで形になり切っていないきらいがありますな」
「前向きなのが救いですかね」
「なあに、若いもんはそうでなくては!」
大木や木下が唸るように言い交わし、野村が冷静に人物像を指摘し、それに安藤と厚着が頷き合い、日向が磊落に笑う。


「気の毒な…」
先ほどとは別の意味合いながら、本人のあずかり知らぬところで完全に玩具にされている。見かねた土井が苦笑混じりに呟きながら杯の中身を口へ放り込むと、耳聡く聞き付けた安藤と山田が不意にこちらへ矛先を向けた。
「なんです土井先生。あなた暢気に同情できる立場ですか」
「一応教えておくがな半助、学園長は最初くんをお前の嫁にどうとか言っとったんだぞ」
「は!?」
予想の遥か上を行く事実に、含んだ酒でうっかりと噎せかける。

「…あー、びっくりした。あーびっくりした……なんです、それ」
「案の定知らなかったか。来はじめの頃にそんなようなことを言ったんだ。学園長が」
「その後斜堂先生をじっと見てるのに気付いて、こっちの方が面白いとかなんとか…あのままだったらきっとおかしなことになりましたよねえ」
「この辺りなら年回りも丁度よかろうとか、またえらく余計なお節介を言い出しましたからな」
「いい機会ですから聞きますけどね、あなたどうなんです。さんのことは」
「そんな、どうもこうも! 念頭外ですよ!
 …いえ決して嫌いとかそういう意味ではないんですが、ええと、つまり」
今は生徒の面倒を見ることで手一杯で、そうした事柄に関しては余裕を持てないというのも一因である。しかしまた、恋仲になるのなんのと…その手のことを考えてもみなかった相手をどうかと聞かれたところで答えようもないのがやはり本音だった。
敢えて答えるとするならば…
「…幸せになって欲しいと思うぐらいなものです。斜堂先生に恨まれるのも御免なんで」
「恨まれる、ね。まだくっついてもいないうちから知ったふうな口を」
鼻で笑われて一蹴された。
「………。」
手のかかる生徒たちとは全く趣の異なる痛みに、土井が思わず胃を押さえた拍子。
「あら、そうとも限りませんよ?」
黙って楽しげに話を聞いていた山本シナ教諭がいつの間にか近くに来て、優雅に口元に手をやって微笑んでいた。
「とっても一途でタフですもの。彼女。期を読むことにも長けていますし、それで居ながら好機には果敢に攻めるだけの度胸も持ち合わせていて。少しギャンブル癖があるのは…まあ御愛嬌ですね。
 私なんて、できるならさんが10歳ほどの頃に会ってみたかったと思うくらい…」
『………。』

それは要するに、プロのくのいちこと男の天敵に育ててみたいという意味ではないのだろうか。喉元までせり上がってきたその恐ろしい問いを、男達は苦虫を噛み潰したような顔でもって酒と一緒に飲み込んだ。答えを聞いてもみたいが聞かない方がいいような気がひしひしとするので、誰も聞かない。
「好機とあれば…ですか」
「ええ、…好機とあれば」
意味ありげに囁いて、ちらりと戸口に視線を走らせる。


「ですから、ね。外野がなんだかんだと盛り上がっているうちに、案外すんなり斜堂先生をものにしているかも、ということです」
彼女に言われるとなぜかこの上ない説得力がある。
頭をひねりながら考え込む男衆を見やって、シナは上品にホホと笑った。