いつの世も桜は人気が高い。
単純に散り際が綺麗なら好かれるかといえばそうでもなく、最期の美しさなら最たるものだろう(と個人的に思っている)椿は、首が落ちるようで不気味だと忌み嫌われているから納得がいかない。
以前会ったお侍は、男は散り際鮮やかに…生き恥を晒すくらいなら一息に自刃して果てる覚悟がどうのこうのと言っていた。だがそのくせ、ならば椿の潔さを我が身と重ねて憧れたりはしないのかと聞いてみると、そんなはずがあるか縁起でもないと返ってきた。
今も昔も、日本人はわりと不条理だ。
閑話休題。私にとってすれば人の散り際がどうこうより、目下の仕事である。
私は忍術学園の門前で桜の花弁を掃きながら、暇にあかせて、桜の花弁が椿よろしく全部ばさりと落ちたならさぞ掃除のし甲斐もあろう、一ヶ所に集めて山盛りにしてダイブも楽しいだろう、などと大層くだらないことを考えていた。
今日から暇は軽減されるとあって、まだずいぶん救いはあるのだけれど。
忍術学園の新学期一日目のことである。
生徒達が実家へ帰って(こう言ったら悪いが「あの」一年は組も、今回は補習なしだ)(先生二人が比喩でなく泣いて喜んでいらした)、大概の先生方もそれぞれの家へ戻られて、人が極端に少なくなった学園は大層暇だった。
私は帰ろうにも帰る場所がなく、誰かの家にお世話になるというのも今一つ性に合わず…そのため自主的に学園に泊まり込んで、生徒達や先生方が来るのをひたすら待っていた(先ほどから生徒もちらほら登校してきているが、なのに小松田くんがまだ来ていない)(また吉野先生に叱られることだろう)。
話す相手といえば、学園長か宿直の吉野先生と松千代先生くらいだ。別にそのメンバー自体に不満はないのだが、いかんせん普段に比べて人口密度が低すぎるせいで妙に寂しい。
ほの暖かい春の宵、夜桜を独占しての花見酒と洒落込んだことがあるが…それはそれで趣はあったが、怖い思いをした。ことほど左様に、ヒマというのはろくな考えを生まないものだ。
人気のない場所の夜桜は恐ろしい。
幽遠の幻の中に取り込まれて、二度と帰ってこられないのではないかと思わしめる…一種異様なまでの非現実感。
それは丁度。
   
「おや…さん」
桜の下の斜堂先生のように。
   
私が言うのも確実に妙ではあろうが、夜にこの人と会おうものなら悲鳴ぐらい仕方がない。
怖がる生徒達に非はなかろう。だいたい桜と合わさると日中でさえ不気味だから筋金入りで…どんな人間も不審人物に見える現代の街灯の下に、一度立っていただきたいと思っているのは私だけの秘密である。
「あ、お早いですね斜堂先生。まだ生徒どころか先生方もほとんどいらしてないですよ」
「一年ろ組の皆が来る前に、教室の掃除をしようと思いまして」
「え」
「なにか」
「そうきたか。やっちゃいました、教室の掃除」
「全部、…ですか?」
「はい。春休み中は本当に全く何もやることがなくて、いい暇潰しも見つからなかったものですから、ヒマにあかせて全部やりました。あと机や部屋の中以外で、職員室や忍たま長屋の廊下やらも」
昨日までの私のヒマっぷりはそれほど半端じゃなかった。これだけやって尚時間が余ったのだから、無断だけどいっそ一番ひどいと噂の一年は組個々の部屋の中までやってやろうかとさえ思ったところで、松千代先生に止められた。
まあそれはプライバシーがどうこうというようなアレではなく、一旦手をつけてしまったら生半可なところでは終われない、悪夢のごとき様相を呈しているからだそうであるが。
…掃除婦を止めるぐらいだから、相当なんだろう。
何はともあれそういう次第で学園内全ては無理でも、教室や職員室や長屋の廊下は掃除済みだ。
「余計なことをしましたかね」
「いいえ、助かります」
「そうですか?」
「………。」
なんだろう、この沈黙は。
何を言いたいのか知らないが、目の前で固まられるとえらく気詰まりで困る。
「…あの、今度の「ところで斜堂先生、裏門の桜のことをご存知ですか?」
この際だからと不思議に思っていたことを聞いたら、思い切り向こうの言葉におっ被せてしまった。
けれどそれを謝って話してくださいと促すよりも早く、斜堂先生は珍しいことに一見して分かるほど顔色を変えた。
「裏門の桜、ですか?」
「え? ああ、はい。さっきも言った通り春休み中はやたらと暇だったものですから、そうだ、裏の門のところにきれいな桜が咲いてたじゃないか、夜桜を見に行こうって気分になって…おかしな話ですよね?」
「ええ」
裏門のところに桜の木は、ない。
   
しかしその時の私は確かに見た。艶やかな花をつけたその枝に提灯を吊るして、根本に座って一人で酒を飲んでいた。今思い出しても、普段はないものがある、という事実になんの違和感も持たなかったこと…それ自体が恐ろしい話である。
「それから、どうしたのですか」
「それが、頭に霧でもかかったみたいで…よく覚えてないんです。座ってるのに…大して飲んでもいないのに立ち眩みでも起こしたみたいに頭がぐらぐら揺れて、気が遠くなって、ふっと意識が戻った時には学園長の庵で学園長と松千代先生と吉野先生に覗き込まれてました。…もう本当にぞっとした一夜でした。
 ところで学園ではよくあるんですか、こういうこと」
なぜか誰も教えてくれなかったので、この怪奇現象が無害なのかどうなのかも分からない。しかし斜堂先生が目をかっ開いて黙り込んだところを見るに、なにか怖いことでもあるんだろうか。
「………。」
「あの?」
子供みたいに嫌だ怖いと騒ぐほどでなくとも、怪談なんか全然平気、というわけでは決してない。そこまで肝は太くない。
人並み程度には怖い。それも意味深長に黙り込まれるとより一層。
「それより提案があるのですが」
「ちょ、ちょっと斜堂先生!? やだな話変えないでくださいよ、怖いじゃないですか」
「今度の休みに、町まで出掛けませんか」
「…へ?」
「暇に飽かせてとは言いましたが、掃除の手間を省いてくれたので、…その、お礼をしたいと。あなたの仕事は緻密で、好きなのです」
話題を変えたいにしてもそれは卑怯だと思います。
脳内ですら思わず敬語になってしまった。
いや、このことは忘れなさいという意味なんだろうけれど、そして「裏門の桜」にどういう意味合いがあって皆さん誤魔化そうとしているのかは知らないけれど。だけどそれは、知ってしまったら私に何か危害が及ぶようなことなのかも知れないわけで…そういった可能性がある以上、あまりこの一件をほじくり返すのはよろしくない。
そして、当然この提案を蹴るのも惜しい。
「…じゃあ、次に休みが合ったときにでもご一緒しましょうか」