細かいことは当日までに、ということになって、斜堂先生が自室に荷物を置きに行ってから。さて本格的にみんな登校してくる前に門前を掃いてしまおうと踵を返して、 ひっくり返りそうになった。 「おわっ! …なにやってんの、三郎君」 「相変わらずかわいくない驚き方するなあ、さん」 ところでどうして私を鉢屋三郎だと思ったんでしょーうか、などと。どこぞかのクイズ番組の司会者か…もしくは子供が目隠しをして「だーれだ」とでもいうような軽い調子の問いかけであるが、常々騙されているからって馬鹿にしてもらっちゃあ困る。もう答えが透けて見えているじゃないか。 雷蔵君は植え込みの中に隠れて人のプライベートをにやにや窺ったりしない。 「ここはきゃーって悲鳴を上げてくれるところだと思うけど」 「あいにくだけど、そんな高い声はどっから出すか忘れたよ。あ、そこ掃くからどいて」 いい年こいた大人に何を求めているんだ。 「それより意外だな」 「なにが?」 「さんの行動力からすれば、長期休暇にかこつけて斜堂先生のとこに押し掛け女房でもしてるかと思った」 「言っておくけどオリジナリティのなさを笑いこそすれ、そんなからかい文句じゃもう怒らないからね。なんせそれ言ったの五人目だもの。学園長と安藤先生と仙蔵君ときりちゃん、あとは三郎君。ちょうど五人目」 「じゃあまだ増えるだろうね」 「たぶんね。…なんでさっきから私が掃く方掃く方へ行くの」 「気にしないでいいよ、いやがらせだから」 この小僧。 「まあそう怒らずに。クールダウンクールダウン。裏門の桜のこと教えるからさ」 「いらないよ」 「でも気になるだろ。…それじゃ駄目なんだ、あれは」 「そうみたいね。斜堂先生がああ言ったことだって、もうこの話は忘れなさい、気にして悩んだらいけませんってことでしょ?」 「そ。だけど先生方はちょっと見込み違いをしてると私は思う。私達は忍びのたまご…忘れなさいって言われれば忘れられる。そういう時にも気合い術は役に立つんだ。けど、一般人はそう簡単にいかないってこと。駄目と言われるとますます気になるし、忘れられないし、知りたくなる。そうだろ?」 「……頑張れば「らしくないな。さんはやるかやらないかじゃない、できるかできないかだ、って言ったことがあったじゃないか。それ聞いた時はなんだ忍者をよく分かってるなって思ったのに、ここへきて今更努力重視はないよ」 「………。」 困った。反論の余地がない。 私の沈黙を了解と取ったのか、じゃあ手を動かしながらでも聞いてなよ、と三郎君は門に背を預けて話し出した。 「裏門の桜は、神隠しの予兆なんだ」 「神隠しっていったら、」 「そう。…さんがここに来た時も、意向丸無視で気がついたらここにいたって言ったろ。似たようなものだね。忍術学園七不思議の中でもわりと見る奴が多い。桜が咲く時期、突然に「裏門の桜を見に行く」って言い残して、影も形もなく消えるんだ。それきり戻ってこない奴もいるし、戻ってきて何事もなく暮らす奴もいる。要は精神的に不安定になったり、どこかに行きたくなった時がやばいのかもしれないけど、よくは分かってない。私が三年生の時にも、当時の六年生が一人いなくなった。その先輩は結局戻ってきたんだけど、意識がどこかに飛んだみたいに始終空を眺めていてね。ひどいものだったよ、誰が声をかけても同じことしか言わないんだ」 「予想はつくよ」 「お察しの通り。…もう一度あれを見に行く、ってさ。 私は見たことがないけど、よっぽど綺麗な花らしいね。誰がどう止めても言うことを聞きやしない。しまいには先生方が総出で縛って監視までつけたのに、いつの間にか抜け出して、それから、」 二度と戻ってこなかった。 淡々と語る口調は、しかし常の彼らしからぬひどく苦いものだった。 その先輩が三郎君にとってどういう存在だったのかはわからないし、また軽々しく聞けるようなことでもないだろう。忍術学園という場所で数年を共に過ごした者にしか…いや、ともすればその本人すら正確な理解には至っていないかもしれない心の内を、わざわざ詮索する趣味は持ち合わせていない。 「だから言われる。裏門の桜は神隠しの予兆。 言いたいことはわかるさ、もう一度桜の下に行けば元の時代に帰れるんじゃないかって思うだろ?」 「うん。正直ちょっと考えた」 「きっとみんなそう思ってるよ。ひょっとしたらそうすれば戻れるんじゃないか。「どこから帰ればいいのかすら解らない」なんて奴、それ以外に方法があるのかどうか。その上あんな得体の知れない奴、いなくなったって知れてる、試させてみよう。…そういうことにならないのは、なんでだと思う?」 「私が言うのも自惚れてるみたいだけど、」 つまりこの一件に関わった皆さん、私に帰ってほしくないんだと取ってオーケー? 「桶?」 「いや、いい」 「まあともかく、それで大幅は正解。それに、どこに行くかもわからないのに、そんな不完全かつ不吉な方法に頼らせるわけにはいかないってところだろ」 「どう考えても狐か狸か妖怪だものね、そんなの」 「そういうことさ。…納得した?」 「した。もう桜が見えても出来る限り近寄らない」 「安心したよ。私は別にさんに思い入れはないから、帰れるとなったらそれでも一向に構わないけど、話さなかったせいであんなものに取り込まれたとなったら寝覚めくらいは悪くなるからね」 本当にどこまでもこの可愛げのない小僧ときたら。 三郎君が門の中に消えて、それから少しして小松田くんが走ってきて(寝坊したらしい)(これはより一層叱られるだろう)、他の先生方もだいたい揃って、相も変わらずきゃーきゃーと大騒ぎをしながら一年は組の子たちが登校してきて。 その頃には、異様に広い学園の門前も綺麗に掃き終わっていた。 ここからでは見えるはずもないと分かっているが、なんとはなしに首を伸ばして目を細め、裏門のあたりを見遣ってみる。 「ああ、そうか」 目に映った空には雲しかなかったけれど、その向こうに。桜色をした巨大な鳥にも似た…悠然と枝を広げたあのひときわ立派な桜が、ほんの少し見えた気がした。 それにはもう惹かれない。 あの桜が引き寄せるのは、精神的に不安定であったり、どこかへ行きたかったり、異様に人が少なくて寂しかったり。そういう人。 「…つまり私、ホームシックだったのか」 |