顔の縦線二割増しで茂みの中にうずくまって、呪詛のような呟きを零しながら震えている斜堂先生になんて、いくら私でも近寄りたくない。怖い。
…でも見ちゃったし。目、合わせちゃったし。
私はなんと迂濶なんだろう。もしこれが昔話で相手が妖怪だったなら、問答無用で頭から食われるフラグだろうに。いつもなら真っ直ぐ人の目を見るだなんて暑苦しい真似はしないというのに。それをなんで今日に限って!
「お…は、ようございます斜堂先生。あ、あの、なにしてらっしゃるんですか、いつもより顔色がお悪いみたいですけど」
お化け、と言いかけて途中で大幅に軌道修正した結果が、太陽も中天の真っ昼間に朝の挨拶。あげく顔を引き攣らせた逃げ腰という奇行。ごめんなさい忘れてください、それがだめなら気にしないでください。
それにしても微妙に日が陰ってきているような。そして心なしか空気も重いような。
「………。」
「あのう…?」
「………。」
「しゃ、斜堂、先生…?」
「………。」
じっとり湿っぽい目付きでこっち睨むのやめて、せめて何かしゃべってくださいよ!
「…さん」
「ハハハハイナンデショウ!?」
「私が、何しても引かないでいてくれますか…」
「ええと…はい。たぶん」
難しい注文だけどなんとかできる範疇内です。安心してください、もうどんな醜態を見ようが大丈夫と言えるくらいは好きですから。
付け加えたくなったが、言わない。今日の斜堂先生は本格的に余裕がなさそうだ。
「そうですか…じゃあ」
言うなり、茂みの中からすうっと生白い手が伸びる。こちらの手首をがしりと掴み引き寄せたと思うと、有無を言わせず私の背に腕を回して抱きつい…いや、しがみついた、と言うべきか。これは。
「うわ!」
力ずくで藪の中に引っ張り込まれ、見たところの痩身からは考えられないほど強く抱きつかれて、挙げ句胸元に顔を埋める勢いですり付かれる。好きでない男にこんな真似をされたんなら爪の一枚も剥がしてやるところで…もっと言ってしまえば、人目につく場所ではいくら好きでもご遠慮願う類いの行動なのだけど。
「斜堂先生」
「………。」
それでもいくらなんだって、こんな…静かに落ち込んでいじけてる斜堂先生を、体面を気にして引っ剥がすほど鬼にはなり切れない。
「嫌なことでもあったんですか?」
「なんでもないです」
…嘘だ。
どうして嘘つくのかな? かな?
(まあ、どうしてもくそも…大方よっぽどのことがあったんだろうけど)
「すみません。こんなつもりではなかったのですが、あなたの顔を見たら無性に…なんというか…甘えてみたく、なって」
「な」
なにこの人。
かわいい。
「なにバカ言ってるんですか、そんな」
「本気です。だから…嫌かもしれませんが、ちょっとだけ…」
「あ、そ、そうじゃなくて。一言もイヤだなんて言ってないでしょうが。だからですね、その。つまり」
嫌とかそういうことでは断じてなくて、ただちょっとあなたがあまりにツボにくることを言ってくれるからくらっときたというか。あああまったく私はなにが悲しくて好いた男にこんなこと言われにゃならんというんだ! 嬉しいけど! こんなのかわいいとか思ってるあたりだいぶ本気で末期症状だと思うけど、
もう知ったことか!
「つまりね。遠慮しないで、好きなだけ甘えてくださいって言ってるんですよ!」
ついでにこっちも背中に腕を回してみたりする。
くっつかれるぐらいなんてこともない。これが体温の高い子供だったら相乗効果で暑いだろうが、斜堂先生はむしろ冷やっこくて爬虫類のような…あれ、抱きつかれて言うことじゃないけど本当に生きてるよねこの人。
「これ自体は構いませんけど、私体温高いから暑っ苦しくないですか」
「いいえ…さんは温かくて気持ちいいです」
「あの、今、夏ですよね?」
「日陰は涼しいですから」
夏場に寒いぐらいエアコンを効かせて、布団被って寝るみたいなものかもしれない。エコがどうこうと言われてもあれ無性に気持ちいいんだよな…。
「…ほら、みんな来ました…」
「へ…? ぎゃあ!」
言われて初めて気付いた。
斜堂先生に気を取られていた間に一年ろ組の子達がわさわさ寄ってきて、無言でじっとこちらを覗き込んでいた。
無音で気配もなく近寄ってくるあたり、学園で一番忍者してるのは文次郎君じゃなくて案外この子達のような気もする。いや、そんな悠長なことを言ってる場合じゃないんだけれど。
「や、あの…斜堂先生?」
「はい」
「いくらなんでも、生徒の前でこの格好はどんなものかと」
「…私と一緒に、彼らもあなたに甘えたいようです」
「えっ!」
予想の斜め45度上を行く解答。気付きませんよ普通それ。
「そ、そうなの?」
『はい』
本当だった。
『………。』
全員無言で羨ましげに覗き込むのやめてくれないかな…。担任と合わさると、なんというかRPGの幽霊ダンジョンみたいだ。もちろんラスボスは斜堂先生で。
「…わかったよ、君らも来なさい!」
半ばヤケクソで一年ろ組を侍らせてみたところ(含・担任)いくら日陰とはいえ奇妙なくらい涼しくなったのだが、どんなメカニズムなのかは知らない。知りたくもない。
怖いから。
「うおっ! …な、なにやっとるんだ、コモリガエルの真似か?」
「ええ、そうとしか見えませんよね木下先生…びびりますよねこれいきなり見ちゃうと…」
でもこれで割と満足なんですよ。
それより私の顔、そろそろ縦線入ってきてないですか?
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