ダダームとルドガルア…今となってはさして意味のない名称だが、魔族の手に墜ちた塔を近隣住民ごと焼き払った空爆から、約一年が過ぎた。
   
紛れもなく自分達の未熟が招いた惨事だった。
…当然快くは思わないが、国連軍を憎みはすまい。彼等はどうあってもあれ以上の被害を防がねばならなかった。たとえ非道な手段を使ってでも。
戦いを知らぬ者が知らぬまま微笑んでいられるように、弱く優しい者達のささやかな場所を守るために、大地を蹂躙する魔王軍に向かい立つ。…それが勇者という存在であるなら、何度も挑みかかってなお敗れ去り、二つの塔をみすみす魔族の手に渡してしまったのは失態以外の何物でもなかろう。
それだから、どれほど気に食わなくとも自分が何かを言えた義理ではないのだと、よくよく頭を冷やした今、やっとサトルはそう思えるようになった。
その頭が冷えたのは完膚なきまでの敗戦後、しかも暫く経ってからというのは我ながらなんとも青臭いところだが…実際青二才と揶揄された自分はそれくらいで丁度いいのかもしれなかった。
   
自分は選ばれし者ではない。
負けても、負けても、世界は回る。生存競争は終わらない。
痛烈に思い知らされ、突き抜けるように気持ちが晴れた。
   
(あの時、)
地下深く入り組んだ死の迷宮の中で、魔王ではない誰かの声がサトルを呼んだ。
実に、楽しそうに。
『ふん、振られたぐらいでメソメソと情けない。かつて私の見た努力の天才を思えば、お前ごときハナタレ小僧だ。
 出直して来い、青二才!』
次いで声が高らかに魔物の名を呼ばわると、次の瞬間、その通りにどこからかニンバスの群れが生まれ出てきた。魔弾に焼かれて力尽きたせいで聞いたのはその一度きりだが、サトルが調べてみたところ、不思議な声の正体は、噂に聞く破壊の神かもしれなかった。
なんでも破壊神はたいそう好奇心が強く、勇者の中にも何人か言葉を交わした者がいるという。
自分に喋りかけるくらいのことはやりそうだ。
(…破壊神は人間が嫌いなわけじゃないって、誰か言ってたな)
多分、ア・ノニマ・スー城に集った勇者の一人だ。
「今日会えたら聞いてみよう」
口に出すと、酷く重い足取りが少しだけ軽くなった気がした。
   
約束はしていない。
しかし、一度は集った。
   
* * *
   
周囲一帯を焦土と変えた爆撃に、勇者達は一様に愕然とした(単身城に抗議に乗り込み、門前払いに近い扱いを食らった記憶も生々しい)。自分達が勝てなかったのが悪いのだと、自らの非力を悔いた。
近隣の住民達が手厳しく責めてくれればまだしも、彼らは何も言わなかった。長く住んだ場所を焼かれてなお、勇者様達は悪くありませんと微笑んでさえくれた。
それだから遺体を埋葬しようと焼け野原に向かったのは、なにも贖罪などと格好をつけることではあるまい。
力不足の自分でも。
決戦前に体力を遣うなど愚の骨頂であろうとも。
力不足であるからこその、義務だと感じた。
   
失意のあまり鉛のように重い足に鞭を打って、元は村であったところまで一人とぼとぼと向かったサトルの目に、意外なものが飛び込んできた。
   
「遅いぞ」
「え…あ、」
まるで、来るのを知っていたような口調で。
掘り起こした穴の数え切れない遺体に焦げ付いた土を被せながら、顔見知りの魔物ハンターが声を掛けてきた。傍らには僧侶が佇み、祈りの形に指を汲んで瞼を伏せている。
その二人だけではない。
武闘家や戦士、鉄人が剛力を振るって硬い土を掘り起こす。
錬金術師がゴーレムを呼んで丁寧に遺体を運び、穴の中に横たえ、土を掛けていく。
僧侶やシャーマンがそれぞれの言葉でそれぞれの神へ祈りを捧げる。
セーブポイントから無事に復活を果たし、逃げ出せた自分は幸運な方だ。ポイントから復活すると同時に訳も分からず再び死ぬ羽目になった者も、フラッグ自体を消し飛ばされた者もいる。仲間だけを失くした者もいる。様々な職業の勇者が、疲労と悲しみの色濃い体の背をそれでも凛と伸ばして、犠牲者を弔う為に動き続けていた。
「……エリカ」
別れを告げられて間もない、元相棒の姿も見付けた。
地面に突き立てた簡素な十字架の根元へ膝を付いて、こちらには一瞥もくれずに祈りの言葉を唱えている。在りし日にダンジョンの暗闇の奥を見据えた…今は十字架を見つめる双眸は、自分が惹かれた日のままに強く真っ直ぐで、それでいながら不思議と静かだった。
金色の髪が陽光を弾いて煌めく。
その姿は天の御使いのようにも見えた。しっかりと組まれたそれはただの人間の指だが、それでさえ、彼女ならば本当に死者を天の国へと昇らせることができそうだと思うほどに神聖で、可憐だった。
(ああ、やっぱり)
強くなりたい。
心も体も、もっともっと強く。魔王に挑むために、運命を切り開くために、世界を守るために、彼女に認められるために。
(救世主にはなれなかったけど、それでもボクは…いつか、君ともう一度旅をしたい)
彼女と組んでいたのは、忘れられない冒険の時間だったから。
   
そう考えるだけで少しでも活力が湧くように思えて、サトルは思い切り力を込めて固く焦げ付いた土を掘り起こした。
   
* * *
   
遺体を全て埋め終わり、幾つかの十字架を立てた後、勇者達は慰霊碑を作った。塔の元に眠る者達を、自分達の非力からなる惨事を忘れぬために。
爆撃は破壊神の怒りを買い、結局ア・ノニマ・スー城までもをかつてない速さで落とされてしまったが、勇者達は誰も諦めていない。
立ち上がれ。奮い立て。何度でも食らいつけ。顎を上げて、胸を張れ。
わたしがそれを見せてやる。
世界が闇に染め変えられた日、名も知らぬ魔物ハンターが昂然と吼えた。
口には出さずとも、皆その言葉に支えられていた。ハンターほど矜持の高くない職業の者も、今も尚戦いに身を投じるその男に情けない姿は見せまいという一心で懸命に奮い立った。
   
それから一年。
もうすぐ現場に着く。名は聞きそびれてしまったが、あの勇敢な魔物ハンターと相棒の僧侶は来ているだろうか。あの時、涙を浮かべて拳を震わせていた青髪の錬金術師は。紫に染まりゆく空を静かに見上げていた僧侶は。どことない虚無感を漂わせていた三人パーティーは。
シャーマンに転職していたはずの彼女は。
   
   
林を抜けると、視界が開けた。
案の定、鎧兜やローブやマントに帽子と、全く統一感のない集団が簡素な碑の前に集まっている。随分見ていなかった金髪もその中に混じっていた。
「やっぱり」
つい零した呟きに、錬金術師がこちらへ向き直った。
「キミも来たんだね」
「…はい」
本当は勇者達に会えることを引いてさえ尚、死者の気配と対面するのが怖かった。なにをのうのうとお前だけが生きているのだと、責められるような気がした。
もちろん幻想だ。死んだ者は何も言わない。誰のことも気にしない。
生きているものだけが死者を気にする。
解っていても恐ろしかった。約束したわけでもないのだから誰も責めはしないと何度となく足を止めかけ、こんな行動に格好をつける以外の目的があるのかと、し慣れぬ自嘲に口の端を歪めながら、半ば意地と義務感だけでここまで来たというのに。
錬金術師がなんでもなさそうに声を掛けてくれたことが、良くも悪くも、君の考えは特に珍しくないんだよと肩を叩かれたように思えて、サトルは一気に安堵した。
恐る恐る兜を取り、碑に向き合うその背へ何人かが目をやって、頼もしいものを見るように笑い合った。
   
暫し経って、妙なことに気付いた。
酷く焼かれて焦土と化していたはずの大地は僅かながら精気を取り戻して、地面のあちこちに植物が芽吹いている。とてもではないが一年でこうはなるまいと視線を巡らせたサトルに、なぜか周りから生温かい笑みが向けられた。
「ああ、知らないんですね」
魔物ハンターと行動を共にしていた金茶色の髪をした僧侶が、遠くにある魔王キャッスルを見透かすように、遥か山の向こうへ視線を投げた。
「ア・ノニマ・スー城が落とされたすぐ後のことになりますが、『何者か』が地面を中から掘り進み、そこへ大量のニジリゴケ種を流し入れて殖やしたんです。…それによって土中に大量の養分が行き渡り、ごく短期間で植物が生えるほどにもなったということですよ」
黒い帽子を胸に当てたまま、魔物ハンターがその言葉に苦笑交じりの頷きを返す。
「何者って…だってそんな、そんなことができるのって、はか「誰だか知らないが」
言葉を遮って、赤い貫頭衣を着込んだ僧侶の冷静な声が響いた。風に紛れて消えてしまいそうに低く、そのくせ不思議にすんなりと耳へ入り込んでくる音声で。
「…『シンセツナヒト』も、いるものだな」
錬金術師と傍らの魔法使いが、顔を見合わせてくすくすと笑った。
「そうだね。誰だか解らないけど」
「何処のどなたでしょうね、私たちからもお礼を言わなくては。…正体が、解ったなら」
   
サトルはほんの少し沈黙を返してから、呟いた。
「はい。…すごい人です。誰だか知りませんけど」
   
   
彼らを真似て目をやった方向の、視界に映る空には雲しか見えない。
けれどその向こうに、傲然と聳える魔王の居城がほんの少し見えた気がした。
   
いつかきっと、あの場所まで。
君と一緒に。
   
それが今の、僕の意志だ。
   
   
   
   
   
   
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勇者達視点。そういえば書いたのは9/11ですが別になんの意図もありません。