しんりゅうと呼ばれる純白の竜を討伐してほしい。
近くの村のハンターズギルドが仲介していたその依頼内容を、シャスカは最初笑い飛ばしたものだった。
見たのは一般人が数名…大方体色の似たピュアゴンあたりを見間違えたのだと。
しかし(やはり同じことを考えていたのか)半笑いで確認にと向かった、それなりのランクを持つハンターが二人食われて死んだという報が入ったのが数日前。
ギルドは俄かに騒然とした。
件のしんりゅうのみならず、大概のドラゴン種は山岳地帯に生息する。例に漏れず、この近辺でも観測されたことはない。…今の今までは。
何かがあったのだろうが、調べる暇はない。
もう少し低いレベルならばまだともかく、そんなものを野放しにしておいては被害がどれだけになるか知れない。この辺りの生態系も大幅に狂ってしまうだろう。だが一定以上のレベルを有したドラゴン種となれば、太刀打ちできる相手など限られてくる。
そうして声が掛かったのが、何度か魔王軍と戦って来た自分だった。
   
   
「ハンターが来るとは聞いたが、なんだ、お前か」
   
来てみたら、破壊神がいた。
何をしていたのか、何のために来たのか、大体は一目で理解できた。その後ろ…まるで青い燐を纏うような美しい色合いの卵は、恐らくはターゲットが『転生』したものだろう(それを裏付けるように、魔界の神のシンボルとも言えるツルハシが側の岩に突き立てられ、よく見れば破壊神の顔にも僅かな返り血が散っている)。
破壊神が手振りで何事か示すと、後ろからブロブが二体進み出てきて、淡い光を湛えた卵を丁寧に抱え上げ運んでいった。
「あの卵は、ダンジョンに戻すのか」
「そんなところだ。あいつはちょっと困った奴でな。遠出先でうっかり寿命が尽きて、そこで転生してしまって、回復した体力に任せて豊富な食料の方まで足を伸ばしていったんだが…そこから先は、本業で来たなら聞いてるだろう? 人間の家やら畑を焼いたり、種を問わず散々食い散らかしたり…流石に魔王も困った。でもあまり酷くはしたくない。だから、卵に戻して欲しいと」
後はあのブロブ達が、元々のテリトリーまで戻しておいてくれる。行動範囲を考えればもうこの辺りには来ない。
そう破壊神は呟く。
(なら、良かった)
以前破壊神にも語った通り、シャスカ自身いたずらに魔物を殺したいわけではない。必要以上の犠牲も出さず、ドラゴンも殺さずに済んだなら、十分だ。
「すまんな。目当てが討伐にせよ捕獲にせよ、素材はやれん……ああそうそう、素材と言えばちょっと頼みごとがあるんだが、聞いてくれるか」
これを持って行ってくれ、と手に乗せられたのは、数枚の白い鱗。
「なんのつもりだ」
「そう言われても。これを持って帰って、もうしんりゅうは出ないと言ってやってくれ」
「…嘘では、ないが。私にそれをやれというのか」
「お前ならやってくれると思ってる」
この神が言わんとすることは解った。
一般人からすれば『住みかへ戻した』より『討伐した』と取れる言い方のほうが、ずっと安心感は強いだろう。…ならば自分がすることはつまらないプライドに縛られることではない。ハンターとして依頼主のところまでこの鱗を持って行き、もう心配はないと言ってやることだ。
未熟なハンターであれば手柄を譲られたのかと怒り出してもおかしくない状況で、破壊神が自分ならばとしんりゅうの鱗を渡した事実は、かえって、
「(嬉しいかもしれん…とは…死んでも口に出してやりたくないな) やってもいいが、条件がある」
「なんだ?」
「私は何もしていないのだから、討伐の報酬はお前が受け取れ。それと…暫く、ここで、私に付き合え」
すぐにギルドに帰っては真実味がないだの、お前は今さっき暇だと言ったはずだの、そんなようなことを口の中で呟いて乱暴に地面へ腰を下ろすと、破壊神はもう隠す気もなく笑いながら側の岩に座り込んだ。
(我ながらこうまで奥手でもなかったはずだが…)
どうにもこの異界の神は、シャスカの意識を狂わせるのだ。人をやわらかく射抜く黒い目はまるで底の見えない深い孔のようで、向き合っていると落ち着かない気分になる。
それこそ、自分のすべてを見透かされているような。
「シャスカ」
「なんだ」
「お前、まだ私を同志にするつもりか?」
「なりたいなら歓迎するぞ」
「いいや、全く」
なんなのだ、一体。
「なに…ただ、いつまで嘘を吐くつもりかと」
「!」
   
どきりとした。
「何の話だ」
「前から聞いてみたかったんだ。おまえは勘がいい、私の言いたいことぐらいもうわかっているだろう?」
「…黙れ」
懸命に抑えても、なお頭に血が昇るのが解る。
「同志になれ、などと。口当たりのいい言葉で欲望を誤魔化すのは、古来から人間の悪い癖だな」
「言うな」
「あるものをないように、ないものをあるように、見せかけようとするからおかしなことになるんだ。表層を取り繕ったままで神に相対するなぞ、馬鹿馬鹿しいこととは思わ「うるさい! 黙れ!」
弾かれたように立ち上がる。歯噛みをして眼前の黒い目を睨めつけ、知らずのうちに握り締めた拳をどうにか身体の脇へと下げる。
一片たりと崩れない破壊神の視線は、かえって怒りだけを煽った。
(お前が、それを言うのか)
自分をこうまで執着させ、狂わせた張本人が。そのくせ正直に認めたところできっと、私は魔王に喚ばれた魔王軍の破壊神だとか、そんな今更変えようもない事実を突き付けて、せいぜい甘い言葉か身体ぐらいしかくれもしないだろう傲慢な神が。
どの面下げてそんな戯れ言をほざく。
   
「ならば、それを、全て吐き出したら」
身の内から絶え間なく湧き上がる熱に流されないよう、爪が食い込むほど強く拳を握って、ぎりぎりの理性でシャスカは続けた。
「お前は私に応えられるのか」
言いながら気付く。破壊神の靡く様子など自分自身さえ想像できない。
だから、言われるように、嘘をついた。
敵いようがないからと自らの熱を無理やりに静め、心の動きさえ誤魔化して、否が応でもこれは国王に雇われた勇者の仕事なのだと言い訳をもって。
(破壊神が傲慢なら、私は臆病者か!)
   
   
「されば、逆に問おう」
黙り込んだシャスカの耳朶を打ったのは、しかし破壊神の静かな声だった。
   
「お前はいかほど神を愛せるのだ、人の子よ」
   
繻子のように穏やかな視線を、明るい琥珀色の目に注いで。破壊神は聞く。
「悪神へ心を示す積もりとあれば、尚のこと虚偽は通用せんぞ。
 …知っているか?」
つと右手を伸ばし、すぐ側まで近付いてきていたシャスカの胸元に掌を押し当てる。
「愚かな人の子が神を欺けば、結末はそれこそ、多くの神話で飽き飽きするほど語られてきたように」
衣服越し、がりと爪を立てられたのが解った。
「無残に、死すだけ」
   
ちょうど心臓の位置に。
   
   
「知っての通り、ヒトガタを取ってはいても人じゃない。神としてなら非力だが、それだって、このままお前の心臓を抉り出すことくらいはできるんだ」
静かな表情を保ったまま、不意に口調が常の調子に切り変わった。
怖くはないのか。破壊神はそう聞いている。それは勿論、人ならぬ力を持った自分に偽りを向ける気か、という意味合いであるはずだが、シャスカにとってすればそれは少し違う意味になる。
こわい。
しかし、それは神の持つ力のことではない。思うことはあれだけ示しながら、なのに今までそれを正確な言葉で伝えようともせずに逃げ回った矮小な我と我が身が、恐ろしく…また厭わしくて仕方がなかった。この様の一体どこが勇者か。自分など、ただの卑劣漢ではないか。
(それなら)
様々な状況下で、生死の境を分ける判断を瞬時にやってのけるのが魔物ハンター。
自覚してしまえば、その後は速い。
(今が腹の据え時だ)
   
   
口の端を吊り上げて笑う。
「なら、やってみろ」
ベルトに仕込んだ細身のナイフを逆手に抜いて、自分の衣服の胸元へ当てる。破壊神が幾度か目を瞬かせるのを気にも止めず丈夫な布地を切り裂く。刃物を横合いに放り捨てると、シャスカは乱暴に掴んだ神の手をむき出しの皮膚へと導き、押し当てた。
血の脈動が、自分でもはっきりそれと解るほどに強く、早い。
「セーブなどしていない。今この心臓を奪い取ってしまえば、もう私は復活できないぞ」
「馬鹿か、お前は」
「なんとでも」
次の瞬間、細い手を見る限りは信じられないような力で五指が胸に突き立ち、溢れ出た鮮血が指先を濡らす。
だがそれは予想に反してほんの少し。肉に指先がめり込むだけに留まり、とてもではないが心臓まで届くだけの力など有していない。もどかしいような痛覚は、かえって、開き直ったばかりの感情を煽りたてるだけの役割しか果たしはしなかった。
「どうした。やらないのか?」
「……!」
表情はやはり変わらない。
その代わりのように、息を呑む音が聞こえた。
血を流しているのは紛れなく自分の側だというのに。なんということか。傲岸不遜を絵に描いたようなこの破壊神が、この程度の傷で、呼吸を乱すなど。
   
「引け、薄ら馬鹿! 意地を張って命を捨てるつもりか!」
「抜かせ! 意地も張れん恋なぞこちらから願い下げだ!」
   
反射的に大音声で怒鳴り返し、胸で手を押し返すような形で進み出る。
より深く五指が食い込む前に、神が、ほんの少し手から力を抜いた。
   
「しないにせよ、できないにせよ」
今度こそ表情を変えた破壊神のすぐ側、何ごとか制止の言葉を紡ごうと引き攣る口の、発音の形さえよく見える距離まで近付き、目の中を覗き込む。
闇色と琥珀色がかち合い、睨み合う。
「殺さないならわたしの勝ちだ!」
   
マントの中にくるみ込むようにして、破壊神を抱きすくめた。
   
「迂闊なものだな、破壊神よ。
 人が神を出し抜き、目に留まる話だって、ずいぶん多かったはずだと私は思うが」
「…つまらんことを」
血塗れの手から力が抜けてだらりと下がるのを感じたが、今更何をどう言い繕うつもりもない。
(気付かせないでおけばきっと何も言わなかったというのに。それなのにわたしの心を砕き、中にあったものを引きずり出し、呼び覚まして煽り立てたのはお前だ!)
「破壊神」
心の最奥から溢れ出し身を焼く熱情をもう隠しもせずに、シャスカは破壊神をきつくかき抱き、その唇に噛み付いた。
   
「愛している」
   
   
   
   
お前でもあるまいし、言葉での返答など私は要らない。
もう抵抗の様子も見せない身体を。私の口付けに応える舌を。この背に回された腕を。
しかと、答えと受け取った。
   
ああ。やっと、つかまえた。
   
   
   
   
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一回書いてみたかったんです報われるシャスカさん。あと人間にしてやられる破壊神。
この神ぶっちゃけそんな強くないですからね。人でも何でも気概を示されるとすっごく弱いタイプ。それ+自分の防御力に油断しきって攻撃しないでいるから負けたんです。自業自得。
まあヨノナカこういうことだってありますよね! くけけけけ!