「…10年か」
「そうだね」
「始めて会った時、お前はほんの小娘だったな」
「バレルさんだって青二才だったじゃない」
「はっ倒すぞ」
「だって、あのときのバレルさんより年上になった今ならわかるんだもの。子供相手にムキになって発砲とか、本当、なんて気の短い大人なんだろうと思った」
「………。」
無言のまま頭に固い銃口が押し当てられる。
「イエジョウダンデスヨーバレルサンッテバホントニウツワガオオキイナア」
「棒読みやめろてめえ!」
そこそこ年を食った今でも十分短気なままだったかと思い直して、しかし口には出さぬまま飲み込んだ。額で煙草を吸うコツなど教えてほしくない。
「だいたいお前だってガキは嫌いだろうが」
「嫌いよ、でも傷つけたり殺したりはもっと嫌い。嫌いだけど、それでも子供は大人が守るべきもの。そういうことよ、バレルさん」
「よくわからねえな。元堅気のお嬢ちゃんの言うことァ」
「…それでもそろそろ堅気扱いは抜ける頃合いだと思うなあ。だって10年よ10年」
「ハ、生意気言いやがる。俺らに取っちゃあお前なんざ、いつまで経とうが堅気のガキだ」
その堅気のガキを引っ浚ってきたのは誰の酔狂だと聞こうとして、やめた。意味がない。
なにせ最初のうちのは、紛れもなく人質以外の何者でもなかったのだから。


「銃が撃てるとか言い出された時ァ、その場凌ぎの嘘は大概にしろと思ったもんだ」
「だって役に立てなきゃ殺されると思ってたんだから、サバゲー知識の一つも引っ張り出すってものよ」
SMLなる組織から脱出を謀る際、手近にいた少女に銃を押し当て盾にしたのは他でもないバレルだが(は10年経っても未だにそれを蒸し返す)、肝心の人質はそれから程無くして逃亡を手伝うから生かしておいてくれないかと頼み込んできた。
その時はさしものバレルも目を向き、どうやったら日本などという温い平和に浸かりきった国でこんな娘が育つのかと思ったものだ。
ママあたりはその胆力をいたく気に入り、なにくれとなく声を掛けてやったり口添えをしてやっていたようだが、バレルは組織の立て直しに奔走していたため当時の記憶はそれほど鮮明ではない。
ただ、自分達をひたと見据えた鋭い眼差しは印象深かった。
正義の組織、という絶対の味方を当てにしていない目付きだった。そういったものがいくら頑張ってくれたところで、最終的に生死を決める要因は自らが研ぎ上げた決して折れぬ精神力であることを知っていた。
だからこそ銃を持たせたのだ。
そうしておっかなびっくり引き金を引いていた手はいつしかなめらかに動き、手の中の銃をいとも楽々と解体し、入念な手入れを施し、元の通り組み上げられるようになっていた。
細く頼りなげな手足はいつしかすらりと伸びきって、しっかりと迷い無くボルトアクションライフルを支え、自在に操るようになった。
スコープを覗くことすら怖がっていた目は、いつしか躊躇いの色を映さなくなった。
いつのころからだろうか。
が組織きってのスナイパーと認められていたのは。
「まったく、…なんてタフな小娘だ」
「ありがと」
「褒めてねえよ」
「なにそれ」



ふとバレルの心中に、今の今まで避けていた疑問が浮かぶ。
そうと意識していたわけではないが、敢えて聞くのも野暮に思えて聞きそびれていたことだった。
「…なあ」
「ん?」
「お前、どうして逃げなかった」
任務で日本に行くことも何度となくあった。最初のうちは隙をついて逃げ出すくらいのことはやりかねないと監視をつけていたが、は必要最低限の場所にしか行こうとはせず…極端な時はホテルから出てさえ行かなかったこともある。
「…そんな、今さら」
「ああ今さらだ。だが、ずっと不思議だった。逃げ出されてSMLにタレ込まれたんじゃあ上手かねえってんで、最初はその都度監視もつけたがな」
「ああ…じゃあ、無駄だったね」
。はぐらかさずに答えろ。
 俺ァこれでもお前を買ってるつもりだ。普段からあれだけ小器用で機転も利くお前が、逃げる素振りも見せねえってのはどう考えても不自然だろうが」
何の意図があったんだ。
闇に溶けるような低く落とした声音で、バレルは口早に囁いた。
「ここだけの話だ。…教えろ」
たとえ何を聞こうとも責は問わないと。


「わからない?」
「ああ」
の長躯がするりとソファから立ち上がり、猫科の肉食獣を思わせる余裕げな足取りで近寄ってくる。何のかんのと言いつつも、バレルは彼女のこうした含みのありそうな態度をいたく気に入っていた。
もしも今ここで積年の恨みを込めた銃弾を見舞われるのだとしても、それでも構わないと思えるほどに。
「知りたいなら、教えてあげる」
言うや否や降ってきたのは灼熱の銃弾でなく、
冷たく柔らかな唇だった。


「!」
あまりに予想外な反応に、喉に言葉が詰まる。


「大好き。
 バレルさんも、ママさんも、ブレードさんも、リーダーも。団員の一人一人まで。逃げたくなくなったぐらい、好きなの。それじゃ駄目?」

それだけを言い残してが消えた後、バレルは盛大な哄笑と共にグラスの中身を煽った。
「参った。ありゃあ、ひょっとしたら俺達以上の大悪党の器かもしれねえな」
たとえ最初は誘拐犯に同情した人質だったとしても、それが高じて一端の悪党にまで成長する事もある。…いや、むしろ堕ちるというほうが正しいのかもしれないけれど。まあ、ともかく。
10年前のあの日、彼女の腕を掴んだのは実にいい選択だったのだろう。

色濃い絶望に蝕まれて自棄になっていた当時の自分の前で、快哉を叫びたい気分だった。