「…人魚に助けられるの二回目だわ」
「あら、そうなの?」
   
海から引き上げられたと思ったら天国でした。
正確には人魚の入り江。しかし色鮮やかなサンゴでできた天然の遊び場も、そこで(ひょっとしたらフダツキが珍しいのかもしれないが)さっきからきゃあきゃあと歓迎してくれている人魚の女の子達も、これが本当に深海一万メートルの場所かと疑うような明るく平和な空気だ。正直かなり驚いた。
ありがたいがどういうことなの。
気温を上げて、ずぶ濡れになった服を乾かしながらちょっと現地民と交流してみる。
「あなたは海に入らないの? 一緒に踊りましょうよ」
「そうしたいんだけど、私能力者なんだ。泳げないのよ」
「じゃあ悪魔の実を食べたの? 泳げないってどういう風に?」
「んー、海水に浸かると力が抜けて、体が全然動かなくなる感じ。普段は便利なんだけど、こればっかりはね」
「どんな能力? 見たい!」
「さっき海賊船の話をしてたけど、あなたも海賊?」
「不法入国してきたんでしょ、それじゃやっぱり捕まっちゃうのかしら」
「でも怖そうじゃないわ」
「ね」
「ねえ、あなた悪い人なの?」
「いやそんないっぺんに言われても」
   
人魚や魚人は人間が嫌いだと聞いてたけど、それにしてはみんな親切でひとなつっこい。噂はあくまで噂程度で、実際はこんな感じなんだろうか。
「さっきも言った通り、海賊じゃないけど犯罪者。友達が海賊でね、船に一緒に乗せてもらってきたの。悪い人かどうかは…うん、そっちで決めてくれればいいよ」
しかし身元不明の不法入国者にまでこんなに親しげにしていいんだろうか。水場の人魚がいくら素早くても、これだけ無防備じゃ誰かに攫われないとも限らない…いや。断言できる。人攫いならやさしそうな顔を作りながら、まず真っ先にここを狙う。
なにせ若くてとびきり美人の人魚揃い。…胸糞悪い話で恐縮だが、こんなにいたらどれだけの値が付くことか。
さりげなくそんなことをほのめかすと、みんな楽しげにころころと笑った。
「じゃああなた、私たちを攫って売っちゃうの?」
「かもしれないよ? こんな普通に話してるけど実はとんでもない悪党の人攫いかも」
「ふふ、ウソでしょ」
「うん」
人売りに手を染めたことがないでもないが、外道だけだ。
それに過去の恩もあって、人魚や魚人は絶対に狙わないことに決めている。
「なんで分かったの?」
「さあ…なんでかしら」
本人達はにこにこしている。
どうもここの人魚達は、理屈でないなにかで自分達に危害を加えない者を見抜けるのかもしれない。こう言ったら誤解を招きそうだから口には出さないが…完全にヒトでないからこそ、カンの鈍った人間では感じられないなにかがわかるのか。
まあなににしても、嫌われてないならありがたい。
「あ、ちょっと頼みごとしてもいい?」
「いいわよ」
「なに?」
「えっとね、私をここまで乗せてきてくれた…麦わらの一味ってのがやっぱり来てると思うんだけど」
こんなこともあろうかと腰に付けている防水ポーチから手配書を出して、ちょっと説明。
「これこれ。この人や仲間、でなかったら…ここに友達がいるって言ってたな…麦わらの一味に関わりがあるって人が来たら、伝言してほしいのよ」
…正直気が進まない破って捨てたいデキの写真でも、これが一番手っとり早いので、一応持ってる自分のも出して渡しておいた。
「向こう…サンゴが丘だっけ? 繁華街の方に替えの服を買いに行きがてらご飯でも食べてるから、何か用なら探して欲しいって」
ここで待ってても誰か来るとは限らないから、適当に居場所を教えながら用を済ませていれば会えるだろう。
なにせ麦わらはどこにいても目立つ。
「いいわよ。私達は大抵ここにいるから、もし来たら言っておいてあげる」
「ありがと! 後でまたお礼するね!」
   
さて。乾きはしたけど海水まみれの服をどうにかして、それから何軒かお店を回って情報収集ということで確定。ジンベエの親分に会えるかどうかは分からないが、まあ…有名人みたいだからどうにでもなるだろう。
あとは…
「…サンジ君、ここに来られるといいなあ」
人魚達に会うことをこの上なく熱望していた人を思い出し、純粋な慈愛の気持ちでそう願った。
   
数時間後、その結果どうなってしまったかを知ってえらい苦労をすることになるのだが、この時点の私はまだ知らなかった。


「あ、これじゃねェか。なんだ、あいつここに来てたのかー」
「…ちゃんでしょ?」
「でもそれかわいいっ」
「ねー」
「あなた達が来たら伝えてほしいって言われてたんだけど、サンゴが丘に向かったわよ」
「おう、そうなのか。ありがとう!」
「いいのよ」
「お洋服買いに行くんですって」
「あとご飯」
「え、一人でメシ食いに行ったのかあいつ!」
「…あくまでついでだって言ってたけどね」
「そうそう、情報収集したいんだって」
「誰か探してるみたいなこと言ってたもの、きっとそれよ」
「あ、おれ聞いたぞそれ。サニー号で話してた」
「…そうだっけ?」
「ルフィ、おめェはいなかっただろ。何でも昔人魚に助けられたとかって話でさ」
「それ!」
「そうそう、フランキーが泣いてたな」
「だからあいつ魚人島に来たがってたのか」
「おれはそんな義理がたいちゃんが好きだ!」
「あーわかったわかった」
「そしたらそいつのこと探しに行ったのか」
「あいつは元からほっといても平気だろうし、なんかあった時のために居場所も知らせながら動いてるぐれェだ。まあ心配なさそうだな」
   
「「「「「ケイミー、ケイミー、ケイミー、ケイミー、ケイミー」」」」」
「誰か来るよ」
「珍しい王国の船っ」


教えられたサンゴが丘で人捜しなう。
見苦しくない程度に一通りの身なりを整えてちょっと軽食を取って、酒場にでも行ってみようかとふらふらしていたら、建物を一つ挟んだ裏通りの方で大騒ぎしている人達がいるようだ。
(…なんかうるさいな)
名スポットという話の割に人間の姿が見当たらないが、やっぱり海賊だろうか…などと思った矢先。
   
「あ! なんだお前こんなとこにいたのか!」
「あれ、麦わら」
   
確かに私はたぶん会えるだろうと思って伝言まで頼んだが、いくら何でも早すぎるんじゃないか。
暢気にそんなことを考えていると、こちらに駆け寄ってきた麦わらが驚くような剣幕で肩を掴んで言い募った。
「おい、お前何型だ!」
「え、なに?」
「血! 血液型は!?」
「いきなり何言ってんの、私あんたと同じよ。F型」
二年前当人が瀕死になった時、外科医のロー君に頼まれて輸血を請け負ったこともあるが…考えてみればそれどころじゃなかったので本人には話していない。さらに今もなんだか話していられる状況じゃなさそうだ。
「じゃあお前も一緒に探してくれ、人間でも誰でもいいからS型RH-のやつ! 時間ねェんだ、サンジが死んじまう!」
「えっ」
…まさか。
まさか…とは思ったが、何か質問するより先に麦わらは別の道まで走っていってしまった。
「あっ! こら!」
とりあえず疑問は先伸ばしにして疾走し、先を走る肩を引っ掴む。
「ちょっと待った!」
「なんだよ!」
「あんたね、連絡手段もなしにどうしようとしたのよこのバカ! 質問はこの際いいからこれ持ってきなさい、さっき買った小電伝虫! なんかあったらそれに連絡入れる!」
「わかった、ありがとう!」
輸血とサンジ君、というキーワードからなんかもう否応なく状況を連想できてしまったため、とりあえず今は聞かないことに決めて、私は一時麦わらと別れて近くの食堂に駆け込んだ。
「すいません! 誰かいませんか、S型RH-!」
   
 * * *
   
「やっぱりあんた達はトラブルの星の下に生まれついてると思うよ」
「達って言うなよ、ルフィだけだよ…たぶん…」
   
いや、絶対に一味全員がそうだと確信している。
やっと血の提供者…それもいかにも丈夫そうなたくましい男せ、じゃなかったオカマが(しかも双子だから血液型も同じだろう)見つかって、サンジ君は助かった。
…なんだか血を入れた瞬間ひどくうなされていたようにも見える。
しかし二年前はこんなじゃなかった、自他共に認める女好きだったとみんな断言しているのに、その空白の期間内で彼には一体どれほど名状しがたい思い出ができてしまったのか。
気になるが、聞いたら傷口をほじくり返すことになりそうだからやめた。
「じゃあ余計なことは言わないでおいた方がいいのね。マーメイドカフェの裏口がどうのこうのとか…さっき会った美人のサメ系のマダムのこととか」
瞳孔が縦に細まったサメの目が魅力的なマダムである。呼び名からすると既婚なのかもしれないが、二股でもなかったしそもそもマダムとミセスは違うからどうとも言い切れない。…なににしても美女だ、見てはいけないだろう。
「うん、そうしてくれ…あとケイミーもなんだけど、できたら安定するまではもいねェほうがいいと思う」
「そうね、じゃあ表行ってる」
女っ気がないのは本人的には辛いかもしれないが、また鼻から血を噴かれたらみんな困る。
   
占い師、と言うことなので、なんだかんだで全くはかどらない私の人捜しの手掛かりを占ってもらおうかと思ったところ、それは本人にあっさり固辞された。
「あ、ダメですか」
「意地悪で言うんじゃないよ。私の占いは悪いことばかり当たるからね…できれば見たくないのさ。人魚を探してるなら口を利いてあげるから、マーメイドカフェにでもお行きよ」
「んー…有難いんですけど、そこの子たちはまだ若いでしょう?」
その人と会ったのは結構昔の話だ。…入り江の女の子達に話を聞かなかったのもそこである。十年前では彼女達は特にほんの子供だったはずだろうし、本人である可能性は最初から期待していないが、知っている望みもかなり薄い。
私が話したいのは、男女は問わないが30代から40代ぐらいの人魚。
そう話すと、やはりマダムは首を傾げた。
「だとしたら、確かにここで話しても仕方ないねえ…あとは人間でも気兼ねなく入れる酒場を紹介してあげるけど、それで大丈夫かい?」
「ええ、ご親切にありがとう。マダム・シャーリー」
   
えらいアクシデントもあったが、ともかく人間にも友好的だという酒場を教えてもらった。
マーメイドカフェはもちろん魅力的だが、今日中に本来の目的を少しは進めたいので、地図に印だけつけて後にしておこう。
「……。でも入国の時といい今といい、なんか二度あることはって気がしてきたな…」
「ん? なんの話だ?」
「なにも」


「人間の?」
「ええ…「麦わらの一味」の友達だって言ってたわねえ」
「だったらそいつも誘拐犯か?」
「そっちの店に入ってったぞ」
「引きずり出して竜宮城へ連行するべきだ!」
「ちょ、ちょっと待って! そんな、乱暴よ…悪い人じゃなさそうだったのに」
「そうは言うが、お前たちの友達が行方不明になってるのは事実だろ」
「そうだけど…でも彼女がやったとも限らないんだし…」
「言ってる場合か! 第二、第三の被害が出てからじゃ遅いんだ!」
   
「ふむ…」
「どうなさいますか、王子」
「一味の仲間ではないにしても、志を同じくする友人という事実は見逃せません。竜宮城まで任意同行の後軟禁…暴れて島民に害を及ぼすようなら捕縛、錠を掛けて投獄になりますが…何にしてもまず話を聞いてみましょう。
 …その方は、今どこに?」
   
 * * *
   
「いやー、あんたの気持ちも解るがよ、三十代から四十代の女の人魚ってだけじゃ情報が少なすぎるだろ」
「しかも十年も前の話って言うじゃねェか。覚えてるかどうかも怪しいぜそりゃ」
「せめて写真…とまでは言わないけど、顔とか分からないのかい?」
「うーん…」
人捜しは早くも暗礁に乗り上げた。
そりゃそうだ。この島にどれだけの人口がいるか…正確なところは分からないが、いずれ数千人程度の話ではないのだから、初日からほいほい手掛かりが見つかるとは思っていなかった。…しかしこう言われると、さすがにちょっと不安になる。
魚人、人魚を問わず、周りの人達が人間なんかと見下すことなく接してくれるのは幸いである、が、それにしたってそれ以前の問題であろう。
「顔ねー…覚えてはいるんだけど、やっぱり昔の話だからイメージ的にこう、ぼんやりしか…」
顔写真でもあればすぐわかると思うが、あいにくそんな便利なものは撮れなかった。
「髪が長くてふわふわしてたぐらいのことは覚えてるけど…無理かなやっぱ」
「うーん…」
言っておいてなんだけど、たいした特徴じゃないから役に立つまい。だいたい偶然窓から見えてる人魚でさえそうだ。
「あ、この辺多いのかしらね…またサメ系だ。ふわふわの青い髪」
「え? おい姉ちゃんちょっと退いてくれ…なあ、ありゃフカボシ王子じゃねェか?」
「ほんとだ」
「エッ」
王子、と聞いた途端に盛大にいやな顔をしてしまった。
無法者なら大抵そうだろうけれど、私は国家権力というものにあまりいい思い出がない。…いや、ひょっとしたらそれは私だけで、世間一般のフダツキの皆さんはハナシのわかる公明正大な貴族オア王族の方々とハートフルな交流を持っているかもしれないがって自分で言っててそんなわけあるか。
陳謝して訂正しよう。無法者は腹に一物あるかないかに拘わらず、大概国家権力が嫌いだ。
ちなみに私がインペルダウンに入獄した経緯もある国の王族がらみだったので尚更嫌いだ。
   
(…逃げよっと)
   
王族がなんでこんなところにとざわつき始めた店内の喧噪を縫って、私はテーブルに代金を残し、滑るような足取りで裏口の方へ向かった。自慢じゃあないがビンボー時代食い逃げで鍛えた忍び足、そうそう簡単に見つかってたまるか「どこ行こうってんだい」
「アッー」
開けた裏口におかみさんが張ってました。
「あっいや、代金はテーブルに置いてあるから別に食い逃げってわけじゃないよ「じゃあ何でこそこそ裏から出て行く必要があるのさ! ちょっとあんた、人間の娘が逃げるよ!」
「ちょ、待っておかみさん勘弁してよ! 私何もやましいことなんかないってば!」
「ないんだったら丁度いいじゃねェか、王子の前でそう言えってんだ!」
「うわあこっちくんな! それでも私はやってない!」
「…一体何の騒ぎですか?」
   
………。
逃げ遅れた。
まあ確かに、異種族の…それもいつでも自分達を攫う理由のある人間が、権力者を見た途端こそこそ逃げ出したら普通怪しいだろう。捕まえろ、となるのも当然ではあるだろう。
でもめでたく無罪が確定した暁にはこの店に麦わらを送り込んでやる。食糧庫からっぽになれ。
私は密やかにそう誓った。


それでも僕はやってない。
…とか言うが実際四方八方から疑いの目を向けられて武器を突きつけられてたら冤罪がどうの言ってられない。保釈金でどうにかなるようなチンケな冤罪なら、私は呆れつつも割合はいはいと払ってその場を離れる派だ。面倒ごとはなるべく御免こうむりたい。
   
ただ問題は、今の事態がもはや痴漢レベルの話じゃ済まないことであろう。
   
「あの…ごめんなさいね、ちゃん。なんだか吊し上げみたいなことになっちゃって」
「いいよいいよ」
入り江からここまで来る道を教えてくれた…確かヒラメの人魚だったか、尻尾の両脇にフリルのようなひらひらした鰭の付いた子が、申し訳なさそうに眉を下げた。
「だって止めてくれたんでしょ?」
「え、分かるの?」
「なんとなくね」
口振りもそんな感じだったが、こっちに攻撃的な感情を持っているかいないか、見聞色の覇気がちょっと強めの私にはうっすらわかる。
彼女たちは基本、私や麦わらの一味を悪いようには思っていない。…ハズだ。
「暢気なこと言いやがって。こいつらが人魚誘拐グループの犯人なら、今頃お前達が攫われてたかも知れないんだぞ」
「何回も言うようだけど、違うよ。
 人魚は大好きだし、こんなに綺麗なんだから閉じ込めて側に置いておきたいってお貴族様の気持ちもわからないじゃないけどさ」
ただ、やはり。
「昔の恩もそりゃあるけど、人魚は広いところを自由に泳いでこそ綺麗な種族なんだから捕まえたりしないって」
ここらへんはあくまで主張させてもらう。
私は無法者だ。身に覚えのない罪を着せられるのはむしろ当たり前。進んで法を破って、さんざん暴れて、今更法に守ってもらえる道理もない。カタギじゃなくなって結構経つ身、そこは弁えているつもりだ。
ただこの場合保釈金がなんたらかんたらの話でなく、やっていない事実をはいやりましたと認めたって根本的な解決になるまい。
なにせ状況がいくらそれっぽくても、私がやってないのは自分が一番よく知っている。会ったのは短い間だが、麦わら達がそんな真似をしない連中だというのも保証できる。この状態で人魚誘拐グループにされて捕まってしまったら、どこのどなたか知らないが本物の誘拐犯が野放しのままではないか。
…ちなみに個人的な候補としては、(どうやって出たかを差し引いての話)樽に入れておいたあの珍客が怪しいと踏んでいる。
(今の状態でそれを言ってもただの言い訳になるけどね。“うそつきノーランド”じゃあるまいし)
   
マダム・シャーリーの未来予知、それに対する周囲の声。また当の本人の言い分とを照らし合わせて、こちらをじっと見ながら考えている王子達はどういう判断を下すのか。それ如何で、私が彼等に対してどれだけ正直に振る舞うべきか決まってくる。
国家権力に胡坐をかいたバカのようだったらどんな悪質な嘘をついても逃げ出すが…
(そうじゃないなら…)
   
暫し彼等の視線を見返しながら、結論を待った。
   
 * * *
   
先ほどから周囲の声が遠く聞こえるような、得体の知れないものに対する緊張感に、フカボシは無言で眼前の黒い目に視線を据えていた。
…演技の可能性を入れれば切りはなくなるが、ともかく彼女の態度に怪しいところは見受けられない。
普段であれば、疑わしきは罰せず…とまではいかなくとも、確証もなく他人に罪を着せるなど褒められた振る舞いではない。もしも疑ったとしても、最低限自分一人の腹だけに留めておくのが理性あるものの判断だ。
しかし、今の事態はそれでは済まなかった。
マダム・シャーリーの未来予知は的中率だけでなく、その信憑性から島民に大きな支持を得ているところが問題だ。それが海賊の麦わらの一味…しかも只でさえ誘拐事件の容疑のかかった人物達を指して「島を滅ぼす」と出てしまった以上、自分達が信じるかそうでないかは別の話としても、島民達を安心させる為には捕縛という手段を取るしかなくなるだろう。
(だがその事実を、旅人である彼女に納得させられるか…)
“白面”の。…道理のわからない人物ではなさそうだが、それ故に厄介だと思うのは自分の穿ちすぎであろうか。
思うことを詳らかにして同行をと願い出るのは簡単だ。しかし…敢えてらしくない言葉を使えば、下手なことをして“なめられて”しまっては、むしろすぐさまこちらを騙しおおせて逃げ出すのではないか、と。そんな気配を感じる。
(気を引き締めて掛からなければ、呑まれる)
ほんの一瞬弟達に視線を合わせると、ゆっくりと口を開いた。
   
「任意同行、ですか」
任意と強制の混じった今の空気でなんの冗談だ、とでも言うように、その声がわずかに笑いを含む。
「…まず、半ば脅迫のようになってしまったことをお詫びします。
 正直なところ、私には貴女が嘘をついているようには見えません。しかし不確定とはいえ、彼のマダムの占いの的中率を鑑みてみれば」
「ええ。私達を野放しにしておくわけにはいかないと、そうなりますね」
   
物分かりのいい言葉と頷きは一見従順なように見える。しかし黒い瞳を眇めた苦笑いの表情が、フカボシの目にはまったく違う笑みに映った。
気安く笑いながらこちらの首に刃物でも宛がわれている気分だ。
もしくは、こう考えている時点ですでに呑まれてしまったか。
   
「繰り返しますが、あくまでも任意です。ここで暴力沙汰を起こすような真似をしなければの話ですが、貴女は拒否する権限がある…私達には決断を待つことしかできません。
 ただ、拒否したとしても、残念ながらこの場で疑いが晴れることはないでしょう。貴女が麦わらの一味の友人であることは事実です」
政府から七千万ベリーの金額を掛けられた賞金首であることも…と、言おうとしてやめた。意味がない。
「……。」
彼女はまた少し目を伏せた。
どれほどそうしていたか。実際にはおそらく十数秒程度の時間だったろうが、月並みな表現をするならばまさに永劫に等しい長さに感じられ…やがて黒い瞳が唐突に自分を捉え、次いで右隣に立っていたリュウボシ、そして左隣のマンボシへと視線を滑らせたと思うと、最終的にふっと笑みの形に細まる。
口を開けずに、猫のような笑い方をする人だ。
フカボシは思わず場にそぐわない感想を浮かべた。
「了解しました」
「同行していただけるのですね?」
「ええ。リュウグウ城への“任意同行”、お受けしましょう」
「…ご協力を感謝します」
   
こちらへ、と、リュウグウ号へ乗せる段になってのこと。
「……。
 ボディチェックと手錠はなさらないんですか?」
さあ、と言いたげに両手をひらひら振るの表情はどこか道化じみている。
   
「必要ない、とまでの断言はできかねますが、女性の…しかも無抵抗で出頭すると宣言した相手にそれでは非礼に当たります」
あなたを信用します、と言外に示して、フカボシはリュウグウ号のタラップを下ろすよう指示を出した。
   
(今まで会って来た無法者とは、随分タイプの違う相手だ)


「やはり屋内には来ようとしないか」
「はっ…何度か粘ってみましたが、乗り物酔いをするから眺めのいい場所にいさせてほしい、と」
   
仮にも船乗りだ、そんな訳はないだろう。
王子達がそれぞれ視線をやると、つい先ほど被疑者として同乗させた詐欺師の女はリュウグウ号の頭付近に片膝を立てて座り、強い風を受けるままに、魚人島全域を見遙かすように視線を泳がせている。
「やっぱり警戒されてるかな」
「あの場所に陣取っている以上、そうだろう。仮に私達に害意があったとしての話…いざという時には飛び降りて逃げられるだろうからな」
「確かに。バブリーサンゴを持っていれば、高度からいっても十分できる話ミレド」
「し、しかし、ならばボディチェックは必要だったのでは」
「いえ、自分から来ると言ったくらいです。逃げることにはそう比重を置いていないでしょう」
むしろついて来るとは言ったものの今なお警戒態勢を崩さない、その用心深さが厄介だ。
「手配書で確認した通り、一筋縄では行かない相手だ。“白面”とは長く使われている名だが、こうして素顔が発覚したのは二年前…インペルダウンに投獄されるまで政府にもその尻尾を掴ませなかった、名うての詐欺師とある…」
「うん、かなり警戒心は強いと思う。さっきの町中でもにこにこ笑ってはいたけど、そうしながらずっとおいら達の動きを見てた」
力ずくで取り押さえるような暴挙に出た場合、恐らく人質でもなんでも使って逃げるだろう。
それが知らずのうちに三人に共通していた見解だった。
(あの場所から動かないのは、魚人島を俯瞰してできる限り地理を頭に入れておこうとしている…とまでは流石に考えすぎだと思うが…しかし、やりにくいな)
表立って悪態をついたり抵抗したりといったことをせず、いかにも物分かりのいい態度を貫いているせいか、元々の雰囲気と相俟ってどれだけ深読みをしても足りないような気分になる。
   
「どちらにせよ、ことの真相が知れるまでは彼女に危害を加えるつもりはないのです。警戒は解かないまでも、先走ることのないように」
   
 * * *
   
背後で私にとってかなり都合のいい誤解をされていたことは、後になって知った。
それどころじゃなかったのである。
   
(きもちわるい)
お前は船乗りのはしっくれとしてそれでいいのか、とおっしゃる向きもあろう。
しかしこのリュウグウ号、またなんというか…生き物と乗り物の中間だからか、船や列車とは種類が違う揺れなのだ。
ひょっとしたら私以外の人間は大丈夫なのかもしれない。しかし蛇のように体をくねらせて空を飛ぶ、特有のひよんひよんする横揺れは三半規管に見事にヒットするものがある。ウソだと思うなら一度乗ってみることをお勧めする。けっこうきっつい。
風に当たって遠くを見る療法をやっているからまだマシだが、今まで乗り物酔いなどというものに縁がなかった身だ。薬なんか当然持ってない。
…さっきからリンパ腺のあたりがすっぱい。
王子様三人は話のわからない人たちではなさそうな…いや、それどころか今まで見てきた数百人の中でも上位に食い込む聡明な権力者だ。私が自分達の言うことを聞いて当然だと思っていない、あくまで丁寧で物腰の柔らかいところがいい。
頼めば気を悪くもしないで止めてくれるだろうと予想がついている。
だが物事にはタイミングと言うものがあるのだ。
(話した感じ、ずいぶんこっちを警戒してくれてたし…どれぐらいこっちを危険視してるのかわからないけど、なるべくけむに巻いておきたいのよね)
事件がどう転ぶかはまだわからないが、どのみち言うこと聞いたからって付け上がるような人達ではなさそうだ。ならばここは竜宮城まで同行しておとなしく軟禁されておく。
有罪判決が出て何かされるようなら逃げるぐらいのことはできる…逆に無罪が確定したらそれを逆手にとって、人探しを手伝ってもらう。こちらはお友達を作りに来てるのではなく、目的があってのことだ。向こうに確たる悪意がなかろうが状況がどうだろうが、人にない罪着せた以上はきっちり詫びてもらおうじゃないか。その機会があるかどうかまでは知らないけど。
しかしその為にはやはり、隙を見せたら何をするかわからない得体の知れないキャラで行ったほうがハッタリが効く(さらに言うなら私の印象如何では、今のところ第一容疑者であるらしい麦わら達の弁護もできるかもしれないし)。
   
私はタフで油断のならない歴戦の犯罪者であったほうが都合がいいわけだ。
それがまさか、魚に酔ったから停めてくださいとかちょっと言いづらい。
   
(うう…でも未知の揺れだしさすがに限度がある…)
いよいよどうしようもなくなる前に申告するか、それともギリギリまで我慢すべきか、しばし真剣に悩んだ。
傍から見るとアホみたいな話だが、笑っている場合ではない。当の本人大真面目である。
少なくとも自分達と同じ船に乗ってる人間が、こともあろうか眼下の街並みに胃の内容物を吐いたりしたら私なら迷わず海に放り出す。イメージ云々の話ではなくなってしまうではないか。
   
「ご、ごめんちょっと急いで…リュウグウちゃん…」
「モス!」
キリッ という感じにお返事をしてくれたのとスピードが上がったのはいい。実にかわいい。
だが横揺れはもっとひどくなった。
   
後になってリュウボシ王子に聞いた話、体が大きくて長い魚はやっぱり基本蛇のようにうねりながら進むのがデフォルトで、もう習性とかそういうレベルの話じゃないため、どんな訓練をしてもそうそう消せないのだそうである。
かわいいけど何回も乗ったら慣れる前に吐くことが予想されるので、とりあえずもう二度とこれには乗りたくない。