抜けるような紺碧に鳥が大きく弧を描き、やがて悠然と行き過ぎる。
燦々と陽光の注ぐ麗しの海洋都市、その名をリムレーンのベール、リムサ・ロミンサ。
海と陸の恵みを一身に受けた海洋都市は、路傍の屋台からドレスコード必須のレストランに至るまで一定以上の水準を誇る美食の都であり…中でも一番の有名店と言えば、都市内エーテライト近くに居を構える、押しも押されぬ三つ星レストラン。
小柄なミコッテの男が足を進めるその店舗は、名を“ビスマルク”といった。
 
「おっ、いらっしゃい」
「ああ、久し振り。お陰様で濡れ衣も晴れたよ」
「そりゃ何よりだ」
ハードリー・ホワイトフィールド。
ミコッテ族らしからぬその響きは、いまやエオルゼアに轟く“英雄”の名として知られている。
そんな彼と仲間達の首に一時掛かった砂都の女王暗殺の罪状は、さすがに剛胆な海の男どもすら驚かせはしたものの、そもそも海賊上がりの荒くれが多いこの町に、一々客を選ぶような繊細さは縁がない。
どんなならず者も悪党も食の前には平等であり、美味を前にくだらぬ諍いを起こすことこそ真の愚というもの。
“ビスマルク”の料理長兼調理師ギルドのマスターであるリングサスは、そのような持論により、堕ちた英雄もなんということはなく客として迎えていた。
そして嫌疑の晴れた今も、特に変わるべきことはない。
「ちょっと呼び出しを受けててね、砂都のクソ爺がいらしてるはずだけど、どちらだい」
来店した客の中でそのように揶揄される男を、リングサスは一人しか知らない。
「ああ、ロロリトなら奥の個室にいる。
 ったく…少しの間は大人しかったってのに。やるなら徹底的にへこませておいてくれよ」
「そりゃすまなかった、次に揉めたらどさくさで舌でも切り落としておこう」
「おいやめろ、それじゃうちの売り上げに響く」
冗談めかして笑うハードリーが、ロロリトやウルダハ女王と何があって、どのような経緯で追われる身となっていたか…リングサスは詳しい話を知らず、態々知ろうという気もない。
「それじゃお邪魔するよ。酒は料理に合わせてお任せで頼む」
「はいよ、ごゆっくり」
料理人は黙って最高の味を出す。それだけが彼のすべてだった。
 
 * * *
 
歯に心地好い弾力のエフトステーキ、長時間煮込み濃厚なコクを出したビーフシチュー。グリダニアの家庭料理、猟師風エフト・キッシュ。デザートには甘いガレット・デ・ロワ。
テーブルに並べられたそれは嫌味のように寸分と違わぬ、いつぞや仲間が女王に供したメニューだった。
「遅い」
「それは失礼、あいにく僕も忙しくてね」
「ふん、冒険者ごときに待たされるとはワシもなめられたものよ」
言いはしたが言葉ほどは機嫌も悪くない様子で、仮面のララフェルはハードリーに椅子を勧めた。
広い個室に他に人影はなく、彼に長く仕えているはずの執事の姿さえ見当たらない。
「何回も殺されかけたっていうのに、そういえばこうしてサシで話すのは初めてか…。
 改めて、ほぼ初めまして。ハードリー・ホワイトフィールドだ」
「ロロリト・ナナリトだ。いかに田舎者でも噂くらいは知っておろう」
「存じているとも、百億ギルの男。僕の所属組織のアジトっていうのが元はベスパーベイにあってね、あんたの像が中央広場にでかでかと建ってるせいで交通の便が最悪だったからよーく覚えてる」
「勝手に建てられた像のことなど知らんな」
今はモードゥナに石の家を構える“暁の血盟団”は、もともと港町ベスパーベイを拠点としていた。
しかしそこへは最短でもテレポでキャンプ・ホライズンまでを飛び、トンネルを抜けたあと足跡の谷を突っ切るというルートを取らざるを得ず、行き来が一々面倒くさいと苦情が多かったためにさすがに移転の運びとなった(なお、事あるごとに呼び出されるハードリーも引っ越しには諸手を上げて賛成した)。
というのも、大型エーテライトはその体積から、設置するとなればある程度の敷地が必要となり…なおかつベスパーベイにおいて唯一設置が可能そうな中央広場スペースには、既に住民が建てたロロリトの銅像が鎮座している。
故にいまさらエーテライトも置けず、だからといって退かすわけにもいかず、どれほど面倒でも皆ホライズンのルートを使わざるを得なかったという成り行きがある。蛮神退治の実績を上げてある程度自由な口の利けるハードリーに至っては、その不便さに「たまには君から出向いたって罰は当たらないんだぞ」などと盟主に皮肉をくれたことすらあった。
余談であるが、ミンフィリアが蛮神リヴァイアサンの討伐戦の際、珍しく前線まで赴いたことはそれと何か関係があったのかどうか。特別な言及はしなかったが、嫌味もちょくちょく言ってみるものである。
英雄と呼ばれる男はわりあい意地の悪い考えを持っていた。
 
「まあ、それはもういいんだ」
今はまさにあの騒動のせいで家主たちがほぼ行方不明だけど、と言葉には出さず、ハードリーは勧められた深紅の酒精を流し込んだ。
果実の渋味と旨味、脳を酔わせるような豊かな香りが舌から喉を通り抜ける。
「いいワインだな」
「舌は悪くないようだな。好きに飲め、ワインポートのファーストラベルだ」
「なんだ、やたらうまいと思ったら名産地の一級品だったのか」
「人を招いた食事で代金をけちる商人なんぞ三流よ」
「それもそうだな」
「…しかしまさか、普通に飲むとは思わなんだがな」
今までとどこか異なった、こちらを図りかねた様子のロロリトの語調に、ハードリーは一瞬思考を彷徨わせた。
「ああ、ナナモ様か」
「お前は目の前で見ていたろう」
言われてみれば、愛くるしいララフェルの女王が葡萄酒を飲んで昏倒したあの日と、状況は似通っていなくもないが。
「ここで毒でも飲まされたら、最有力容疑者はあんただろう。実際にやったかどうかは別としてな…それもあの時と同じさ」
それだけの話ではない。
毒物の種類と相手の実力にもよるが、老境に差し掛かった商人ひとり、意識を失う前に最悪でも相打ちに持ち込める。
その反撃を防ぐならば加減の効かぬ即死級の毒を仕込む必要があり、濡れ衣の晴れた矢先に“光の戦士”が毒殺されようものなら、いよいよ自分に関わりのある各国の人間が黙ってはいないという自負もある。砂蠍衆となればそれがわからぬ脳無しではなかろう。
刺客ひとりを撃退するだけで精一杯だった駆け出しの頃とは違う。
正面から堂々と言葉を交わし、渡り合える今ならば、消されはすまい。
 
「そういう話ではない」
だが、意に反してロロリトはゆっくりとかぶりを振った。
「じゃあなんだ」
「何か思うところはないのかと聞いている」
「……。」
 
仮面のせいで目線は解らずとも、その目が探るようにじっくりと自分に注がれていることをハードリーは感じ、同時に理解した。
まったく「らしくない」話ゆえに理解は遅れたが、彼は人道の話をしているのだと。
 
「そうだな…いい機会だから最初に言っておくと、ナナモ様を守ってくれたことについては正直に、感謝してる」
「ほう」
「民のことを思った結果とはいえ、今回あの方は少し逸りすぎた。僕も話はしたけど、あの時点であの様子、どう言っても王政の廃止を思いとどまってくださったとは思えないからな。
 だから、僕が言うのもおかしいが、ありがとうと言いに来た」
「それにしてもワシにあっさり礼を言うとはな」
「当たり前だ。一応ウルダハ市民だぞ、女王陛下が生きてて嬉しくないわけないだろ」
「それもあるが、お前は不滅隊の人間だろう」
「ああ…うん、そっちにはあんまり顔を出してないし、微妙なとこなんだよな」
「意外と冷たい奴よ、牛が泣くぞ」
「かわいい女の子ならともかく、ごつい色黒の男に泣かれても困惑するだけだね」
ハードリーは苦笑いとともに薫り高い酒精をもう一口含むと、ラウバーンやパパシャンには口が裂けても言えぬ私見を述べた。
「ただ、それはそれ…個人の好き嫌いとはまた全然違うところで、あの方は生まれながらの高貴な人だ。その務めを果たす途中で政敵と戦って命を落とされるなら、それは殉職であり、名誉の死に当たると思ってる」
「……。」
「もちろん幸せであってほしいし、生きていてほしいさ。けど、だからといって感情で血の義務を否定することは、彼女の王族たる血脈を侮辱することに他ならない…違うか」
「いいや」
仮面に遮られて、老商人の表情は伺い知れない。
「何も違いはせん」
「なら何を言わせたい。
 そろそろ本題に入ってもらおうか、ロロリト。あんたが態々僕を呼んだ理由は、察するにそこにあるんじゃないのか?」
もしも自らの権力闘争に光の戦士を引き入れようとでもいう素振りであれば、好きなだけただ飯を食らったのちデジョンで消えるつもりであったが。
次の言葉はまったく意外なものであった。
「そうさな、お前を見誤っていたということはわかった」
「は…?」
「今日は、光の戦士よ英雄よと謳われるお前の人格を確かめに来た。
 世間の評判も上々、あの牛に目をかけられてもいる。もう少し直情的な男と思ったが…ふむ、どうしてどうして、理屈のわかる頭は持っておったか」
「ああ、仰る通り。だからあんたが僕をバカだと思ってたことはよーくわかった」
「くく、そう怒るな、褒めてやったのだ」
ついさきほどの不気味なまでの寡黙さは一気になりを潜めて、ロロリトは杯を乾して笑みを浮かべた。
「なんだ、もっとつっかかると思ってたんだな」
「それはそうだろう。お前の仲間はあの騒動で殆どが行方不明と聞いた」
しかもお前を逃がすために…と、はっきりとは言わずとも、老商人は言外に匂わせていたが、言われた側は顔色一つ変えず少なくなったシチューを口へ運んだ。
「さすがビスマルク、しかもナナモ様のお墨付き。バッファロー肉は苦手だったけどこれは旨いな」
「冒険者に偏食があるとはお笑い草だな。バッファローは癖も強いが、調理次第で化ける。手っ取り早く味を知るならここのバッファロー肉のスペアリブを食べてみろ、貧乏舌でも違いが解るだろう」
「左様ですか…」
性根はともかく、舌と料理の知識は一流と言われるだけのことはあった。
対してこちらといえば、土地から土地を駆け巡り魔物と格闘して材料を揃えることこそ得意だが、肝心の調理行程は男ならではの大雑把である。
「ところでその一件は紛れもなくこっちが被害者だし、のちのち利子付きで返して貰うとして」
こちらの方面では太刀打ちできぬと英雄は話題を戻した。
「ただ、暁の連中はしぶといからあんまり心配はしてない。アルフィノには悪いことを言うけど、あんな急造組織に潰されるほどやわなら、帝国に攫われた時に死んでるさ」
「つくづく光の戦士が聞いて呆れるような答えだが…悪くない考えをしておる」
葡萄酒の芳香の中にひっそりと紛れさせた言葉は、百億ギルの男の本心であり、聞き間違えようもない賛辞でもあった。
 
「今の立場でなければ、ワシの傘下に欲しい男よ」
「謹んで辞退させていただくね」
 
対面に座った二者の唇に笑みが浮かぶ。
「それと食事のお誘いもこれきりでお願いしたい。妙齢の美女なら大歓迎だけど、金持ちの狒々ジジイと二人きりなんて浮き名にもなりゃしないからな」
「ククッ…素っ気ないものだが、それもよかろう」
“こういった”立場になる前…冒険者ギルド注目の一人と呼ばれ出した頃から同じような話はあった。
彼らは最初こそハードリーの名に「さん」を付けて寄ってきた。数度会ったあたりで気心が知れたと思ったのだろう、呼び名はいつの間にか「くん」付けに変わった。…放っておけば呼び捨てとなり、さらに進んで「俺の弟分」へ変わるのは時間の問題であろうと思ったゆえに、気付いた時点で貰ったリンクシェルはドライボーンの野に捨てた。
聞いた話によれば、後の呼び出しには近くにいたアマルジャ族が応答したそうである。どのような悲惨な会話になったかは知らぬ。
 
「さて、用件は済んだ。先に出る」
「いやあ御馳走様。しかしよく時間が取れたな、今なんて一番お忙しいだろうに」
「ウルダハを富ませるのがワシの仕事だ。そのためなら政敵も消す、乳臭い小娘に資産も差し出す…腕利きの冒険者ひとりにスカウトをかけるのもその内ということだ」
「同調するわけには行かないが理解はできる。…それならいずれ、しれっと暁に協力してくる可能性もあるってことか」
「利になると思えばな」
依然として、豪商ロロリトの仮面の奥の瞳は伺い知れない。
強い光が目の毒になるといって、女王に謁見する時すら外そうとしないのは有名な話である。
(まったく、なんて食えない爺さんだ)
しかし、それでなお、ハードリーはその目が再びじっと自分を捉えるのを感じていた。
 
その視線はおそらく金の色。
古代の帝国でつくられた金貨のように。また、ウルダハの砂地に浮かぶ月のように。