男を誘うのはいつものことだ。
我がことながら尻軽と呼ばれるのは納得しているが、ある程度さばけた明け透けな男がいい。それでいて、押したり引いたりの駆け引きをそこそこに楽しめるほど遊び慣れしていれば言うことなしだ。
さて、実を言えば蛮族の男の相手をしたこともある。
あるけど、だいたいの相手は言うと引く。
そのようなわけで極力言わないようにしているが、今日にかぎって口に出したのは酒が口を軽くしたのか…いや、相手がやはり蛮族だからだろう。
「ほー…ソイツはイクサルかッァ?」
「ううん、アマルジャ族の若い子でね。一緒にヤバい山を踏んだんだけど、女を知らない身で死にたくないってめそめそするもんだからさ、かわいくなっちゃって」
「かーッ、ヒトのメスってのはそういう女々しいのが好きかよッォ! イライラすんぜッェ!」
「ははは、まあまあ。私も男っぽいほうが好きなんだけど、めんどうでない相手なら来る者拒まずだからさ」
俺が会ったらブン殴ってるところだと彼は大袈裟にかぶりを振った。言葉ほど気が悪い訳ではないと知っているので別に遠慮はしない。
「ねえ」
多少悪戯心が湧いた。
「そういう風に言うってことは、あんたは寝床じゃさぞかし男らしいとこを見せてくれるってわけだね、親方?」
「あァ?」
ゴーグルの奥でぎらりと目が剣呑な光を放つのがわかる。
 
私はあえてゆっくりと、相手によくわかるように、頭から爪先までを舐めるように視線を這わせた。
いつもと同じ。男に誘いを掛ける時の、見せつけるような目の動き。
「今日はグリダニアに戻って堅めの男でも引っ掛けようかと思ったけど、気が変わっちゃったからさ。
 ねえ、遊んでみない?」
 
にやりと笑う。
「ンだァ、ハネナシがチョーシくれてんじゃねえぞッォ…?」
彼は不機嫌を隠しもせずに舌打ちしたが、これはなかなか、悪い反応ではない。むしろ大いに脈がある。
「ハ…そのハネナシの誘いにビビって引くなら、私はそれでも構わないんだよ? リトルバード?」
次にするべきは、よりあきらかな挑発。
気の弱い相手では逆効果、しかし実力とそれに見合ったプライドのある男なら、ケンカを売るくらいのつもりで話したほうがいい。
イクサル族は総じて気が荒く、まして親方と呼ばれるほどのこの男が、まさかヒト種の女に小鳥ちゃんと揶揄されて引くわけがないのだ。
 
「……。」
はたして、彼は鋭い爪でがしりと私の顎を掴むと。
「げひゃひゃひゃひゃッァ! ハネナシ女が、最高にクソ生意気抜かしやがるぜッェ!」
思い切り笑った。
「くくくくっ…そのクソ生意気をねじ伏せて、ハメ狂って鳴かせてみれば? エカトル空力団一の雄は、まさか雌に恥をかかせるような腑抜けじゃないはずだけど?」
いつの間にか頬に食い込んだ爪を意にも介さず、口が滑らかに動く。
まるでダンスの呼吸を合わせるように、よく気心の知れた相手と組み討ちをするように、するすると言葉が引き出される。
これはいい。
やはりお上品な男より、私には多少下品で世間擦れしたほうが合う。
「ピィピィとよく舌が回りやがるアバズレだぜッェ…よォ、そうまで言うなら一晩で済まねえ覚悟はあンだろうなッァ?」
 
望むところじゃないか。
私は自分の血で汚れた頬にいやらしく笑みを浮かべて、いかつい手を爪先で軽く引っかいてみせた。
 

 
戦いの場でこそ烈風のごとく縦横に暴れ回る、そんな娘だと思った。
 
「お前が戦いに行く訳でもないだろう」
投げかけた言葉にアルフィノははっと青い瞳を見開いて恥じ入り、すまなかったと謝意を述べた。根は素直な少年である。
「別にええよ、どっちみちわたしが行くつもりや」
だが、それに答えたのはいつものような訛の強い、あっけらかんとした語調だった。
 
ヴァスの塚に至るまでにも連戦に次ぐ連戦だったというのに、疲れひとつも見せぬタフネスはやはり若さというものだろうか。
相手が蛮神となれば、いくら偉そうなことを言おうと、超える力を持たない己もやはりついては行けないのだが、少女は別段それを指摘するでもなくいつものように笑った。
「ほらほら、ちょっと叱られたくらいでめそめそしとるんちゃうぞ、また弱虫に逆戻りやで!」
「う…も、もうそれはやめてくれると言ったじゃないか」
「二度と呼ばんとは言うとらんわな」
「元気だな、お前は」
思わず素の感想がこぼれた。
初対面の時からこの娘がしょげたところなど見たことがない。
大の男でも腰を抜かすようなヴィシャップの巨体に喚声を上げて挑みかかり、瞳をあかあかと燃やして槍を振り回すその姿は、イシュガルドの騎士も顔負けの勇猛さ。
正直に言えばエスティニアンはあの日、英雄と言えば随分ときれいな言葉だが、実際は狂戦士のたぐいではないかと疑ったものだった。
「あはは、元気でおらんとお仕事もできんし、ごはんも食いっぱぐれるやんなあ」
だというのにこれだ。
強い訛も手伝って、普段の姿はごく普通の田舎娘のよう。
何気なく話して、笑い、冒険者としてのささいな仕事をこなすのと同じテンションで蛮神を屠る。
(ひょっとすれば、アルフィノが思い上がるのはやむを得ないのかもしれん)
これほど強大な力がはいはいと無造作に言うことを聞いていれば、たかだか16歳の少年。思い違いもするだろう。
だが、その間には決定的な溝がある。
少年にとって少女が同志であるのに対し、おそらく彼女にとってアルフィノはただの友人に過ぎない。本格的にいやになれば、この娘は暁の血盟も世界の行く末も放り出して、あっという間に消えてしまうのだ。
そんな日がもしも来たなら、少年はどうするのだろうか。
 
「……。」
「エスティニアン殿?」
「…いや、気にするな。考え事だ」
光の戦士と氷の巫女、ふたりが連れ立ってヴァスの塚を出て行く後ろ姿を見ていると、そんな益体もないことを考えもする。
さして深いつきあいでもない彼らではあるが。
弟を思い出させる少年がこれ以上の挫折に打ちひしがれるところなど、できるなら見たくはないものだと、エスティニアンは思いを巡らせた。
(俺も甘いな)
わずかに自嘲するが、悪い気分とは感じない。
 
「おい、アルフィノ。女どもが戻ってくるまで、少し稽古をつけてやろうか?」
 
自分もおそらく、若者たちに感化されている部分があるのだろう。
こんなふうにいつになく世話を焼いてしまうのは。
 

 
己は致命的に戦いの経験が足りない。
体中から力が抜けるまま、冷たい岩肌に横たわりながら氷の巫女<Cゼル・ダングランはままならぬ無力感に歯噛みした。
目の前の少女と戦った時にも思い知らされたことだった。
口先でどれほど理想を唱えようと、力がなければ誰も耳を貸してはくれず…またいかに我が身に神を降ろしたところで、クリスタルのエーテルがなければこんなものなのだ。
「無様なところを見せたな…すまない…」
「そんなん気にせんでええよ」
振り返ることすらせず、小さく細い歴戦の背が言葉を返す。
「こないだ言うたやろ、私は強いヤツと戦って倒すためにここにおる」
「……。」
若干十六歳の少女でありながら、この揺らがぬ精神はどこから来るのだろう。
(これが希望を託されるか否かの違いなのか…?)
 
光の戦士が一歩進み出る。すぐにでも斬りかかると思われた武神は、しかし興味深げな様子を見せた。
「ヒトの子でありながら、なかなかに強き心の闘士よ。主に問おう」
「なんや。戦場でおしゃべりする趣味はあらへんぞ」
肉食の昆虫のような荒々しい姿に反して、蛮神ラーヴァナは驚くほど静かな…かんと冴え返った冬空の満月にも似た、明朗な声を投げた。
 
「主にとって、強さとは何だ?」
 
彼女の声にためらいはなかった。
 
「死ぬまで生きるための力」
 
洞穴の闇の中に抜き放たれたいくつもの白刃がきらめく。
グナースの神は声を出さず、蝶のように羽根をひるがえして宙を舞い、笑った。
昆虫じみた異形の姿でありながら、ヒトであるイゼルの目にもあきらかに。蛮神がこれほどまでに感情を見せるものかと驚愕させるほどに。ラーヴァナは全身のエーテルを振るわせて、歓喜をあらわに笑っていた。
 
「実に好い答えだ。ヒトにしておくには惜しい娘よ!」
「それ褒めとるんか?」
褒められているだろう。
蛮神の喜怒哀楽を気にしたことはなかったが、元は誰かの願いが生んだ存在であるのだ。ヒト種とあまりにもかけ離れていることはないだろう。
「まあええわ、めんどうな話は好かん。すぱーっと殺し合って、ケリつけようや!」
朱塗りの鞘から放たれた刃が闇を裂く。
 
彼女の理屈は明晰だ。野生の肉食獣にも似て、我儘に身勝手に清々しく、生きるための力を追い求める。
その揺るがぬ背に人は理想を重ね、時に反発し、時に目が離せなくなるのだろう。
まるで大渦に飲まれる小舟のように。
 
(…ああ。私も、あの渦に巻き込まれたひとりなのだ)
氷の巫女の目に、明星の瞳が闇に残光を曳いて光るさまが確かに見えた。
 

 
冬のウルダハの町並みに似合うような似合わないような、大層胡散臭い人を見つけた。
「ハンコックさん、こんなところで何してるんですか」
「オォ〜、これはこれは英雄殿! 奇遇ですネ」
言ってから気付いた。こんなところもなにも彼はウルダハ人で、ウルダハに本拠地を持つ東アルデナード商会の人間だ。いてもおかしいことなどあるまい。
ただ、この人はふだんクガネにいるイメージなのですごい違和感がある。
いかにもウルダハ人らしい色白金髪の見た目にパンスネと着物を合わせるセンスとか、なんだかもう胡散臭さが着物着て歩いてるようだ。
…タタルさんと並ぶと働き者の妹と遊び人の兄貴に見えるとかちょっと言えない。
「昨日商会の会議がありましてネ、クガネから一時帰国して出席したのデース」
「ああ、年の瀬ですからね」
「英雄殿こそ、この時期はお忙しいでしょう?」
「端から思うほどではないですよ」
暁の中でも立場のある人種はこの時期大変そうだが、さて自分はといえば、アルフィノとタタルさんが水面下でいろいろ手を回してくれているのであまり差し迫った予定はない。感謝である。
「またまた、さぞおモテになるでしょう、あれだけの武功を立てておられるんですからネ!」
「…それほどでも」
星芒祭は熊に乗って終わった。それらしい相手はいない。
ただの年末である。
「ハンコックさんはどうなんですか」
「ワタシですか? 仕事が恋人デース!」
あ、すごくそれっぽい。
「それで英雄殿、ちょうどいいところにいらしたので…この後お時間があるようなら、一つだけお仕事の依頼があるのデスが」
「ま、いいか。やりますよ」
この人のこういうちゃっかりしてるとこは嫌いではない。
 
「その代わりお食事くらいご馳走しますヨ?」
「そういうこと言うとクイックサンドくらいじゃ済ませませんよ」
 

 
「番頭さんってそういうこともやるんですね」
「これはお恥ずかしい、かじった程度デース」
 
先日まで違う花があったはずのウルダハ商館の一角になにやらごそごそやっている人影があると思えば、未だにちょっと目に馴染みのない金髪に着物の商人が花を活けていた。
ハンコックさんの手元には紫と黄色の花と、素人目にも釉薬の照りが美しい花瓶。
紫色の方はしゅっと背が高く細長いグラジオラスのようなもので、黄色は知らない種類かとよくよく見たら小振りな薔薇だった。
「綺麗ですね、この花瓶」
「英雄殿は花器にもお詳しいのですか」
「はは、まさか。きれいだからそう言っただけです」
彼の上司にあたるロロリト会長はウルダハで骨董品店も経営しているはずだから、そのあたりから調達したものかもしれない。
色は綺麗だしそこはかとない渋さを…感じるようなそうでないような。正直数百ギル程度の安物ですと言われても、私の知識でははあそうですかと頷くしかないが、とりあえず、花瓶と花の色合いが組み合わさると思わず視線を引かれるような美しさになることはわかる。
そのへんは素直に当人のセンスだろう。
「ところでこの後どちらかにお出かけの予定は?」
「いいえ?」
正直に答えるとハンコックさんはわずかに人の悪い笑みを浮かべた。
 
「では、ワタシからこれを」
使わずに置いてあった束の中から一本。私の装備品に合わせたであろう色の花をすいと抜き出すと、目を瞬かせる此方に構わず胸元に飾り付けた。
「お忙しいのは儲かっている証左。大変結構デスが、今日くらいはワタシ共にも接待させてクダサイ」
パンスネの奥で抜け目なく笑う。
顔は若く見えるが、こういった駆け引きの巧さは伊達にあれだけの大店の責任者を務めてはいない。
 
「いいですよ、じゃあ案内してもらいましょうか」
「オォ〜、英雄殿のエスコートを任せてもらえるとは実に光栄デース!」
 

 
自分の行動はなんなのだろう。
ドマの矜持と、生きる重さと、力の意味。それらすべてが守るべき民草への追い打ちにすぎぬのだとすれば、己のやってきたことはなんだったのだ。
忍びも侍も民すらも。ドマはこんなものなのか。
大恩あるエオルゼアの英雄に無理を言って同行してもらっておいて、こんな結果に終わるのか。
あれほど守りたいと願った民を追いつめ、傷を負わせ…虫けらと呼ばれても生きたいのだと、こんなにも惨めな主張をさせてまでも!
 
己のしたかったことはこうではない。こうではないが、ならば、どうすればいい。
誰に聞くこともできはしなかった。
 
いままで立っていた大地が崩れたかのような心地で、ユウギリは震えた。
 
「わかったろ、わかったらさっさと…「ユウギリ」
 
何を思ってそうしたかは知らぬ、今まで沈黙を通してきた英雄が一言己の名を呼んだ。
白髪と白い肌に紫の瞳、積雪にぶどうの酒を降りこぼしたかのような美しい色合い。筋肉質で肩幅の広い体は見上げるほどに大きく逞しい。
ドマにはいないたぐいの実に不思議な人物は、通りの良い声で、笑った。
「もう助けることはあきらめようか」
「英雄殿…」
今度こそ横っ面を張り倒されたような心地だった。
これほどに言われても英雄ならばと、このふしぎな空気の武人ならば諦めずに生きる道を説いてくれるのではないかと。
忍びとしてふさわしからぬほどに、いつのまにか盲信していた。
考えてもみれば当然だ。いくら英雄であろうとも、戦うつもりのないものをむりやりに手を引くことなどできはすまい。
「わかったよ、理解はできないけど想像はできたし、逃げてもらおうとした私達が間違ってた。やめておくよ」
英雄は薄い唇を歪めて不敵に微笑む。
 
「助けることは」
 
ものわかりの良い言葉にかぶさるように轟音が響く。
彼女の銃口が火を噴いた。
あまりに想定外の行為に一瞬、逃した帝国兵が潜んでいたかと双剣へ手をやり…そののち、老人の手ひどい痣のついた頬へ新たに小さな傷が増えていることに気付いて、ユウギリは思わず目を剥いた。
 
「一体なにを!」
「だから、私達は前提条件から間違ってた。逃げた先が崖下と思ってちゃそりゃ誰も動かないよ。助けるなんてよけいなお世話ってものさ。
 離れてほしいなら、力で散らすのが一番合理的ってもんでしょ」
 
なんだその本末転倒極まる理屈は。
そう続けようにも、英雄は止める間もなく農民たちの足下へスプレッドショットを見舞った。
立て続けに悲鳴が上がる。
「うわああっ!」
「ぎゃっ! ひいっ、掠った!」
「や、やめろ! 死んじまうよ!」
「そらそら! ケツに火かけて逃げ出しな、ドードーども! 帝国より先に私にぶっ殺されたかないだろう!」
「やめろ英雄殿! やめてくれ!」
体格を考えればどうやったところで彼女の腕力には叶わなかったが、ユウギリは必死に腕へ取り付いて止めた。
 
銃声、哄笑、悲鳴に怒号、慌ただしい足音と静止の声。それらすべてが入り乱れ、騒ぎに寄ってきた帝国の軍用犬をさらに彼女が撃ち殺し、真夜中のカストルム・フルーミニスは俄かに喧騒に包まれた。
 
「なんなんだ! なんなんだよッ、畜生! いかれてやがる!」
まったく反論の余地はなかった。
これでは忍びの里で有名な、今は亡き紅嘴のいかれ鴉≠ニ同じではないか。
(だが、だが…!)
 
蜘蛛の子を散らすかのように駆け出していった町民たちの背を見ながら、ユウギリはしかし、認めざるをえなかった。
とてつもなく胸を空かせてしまった己を。
 

 
右目に衝撃と熱さ、それから脈打つような痛み。幸いにして視界は真っ赤なだけで遮られてはいない。眼球は無事だ。無事だが腐肉にたかるミッヂ・スウォームのような声がひたすらに耳障りだ。
ぼとぼとと滴り落ちる血を手の甲でぐいと拭う。
 
「跪け。そうしたらブぁっ
 
男が得意げに言い終わるよりも先にそのあたりのグラスを攫って投擲する。
度数の強い酒に目をやられた隙に、もう一撃。男の短い髪を力任せに掴んで、血まみれの顔面を男の鼻っ柱に叩きつける。火が出るような痛みをかまわずにもう一撃。さらに一撃。もっと。もっともっと。意識が続くかぎりに。
右目の傷と男の前歯の当たった額から、血がどくどくと流れ出る熱さ。
頭突きを見舞いながら私は声をあげて笑った。
 
女なんざ顔を傷つければ泣いて許しを請うと思ってるのか、この玉ナシめ!
 
 * * *
 
「んもう…信じられないわっ! アナタなに考えてるの!」
「…す、すみません…」
 
いつものように裁縫ギルドに現れた私の包帯まみれの顔面を見たレドレント・ローズさんは本気で卒倒しかけた。どうってことはないと言ったら脳天にたいへん痛い拳骨が落ちてきた。それはもう、頭突きの時よりはるかに痛いやつが…。
「それで? 結局何発食らわしたの?」
「じゅう、ななはつ、です…」
「はあ?」
「……スミマセン」
やだこわい。
裁縫ギルドの床に正座させられながらローズさんを見上げるのめっちゃくちゃ恐い。
 
「もう! そりゃあ私もね? そんな胸ク……不愉快な男性には、ちょっとお灸を据えてあげるべきだと思うわよ?
 だからってアナタ、女の子が顔の傷を広げてまでやることじゃないわよ! 信じられないわッ! そのハンサムなお顔に痕が残ったら私が泣いちゃうでしょ!」
「…はい」
 
心配されるというのはとてもありがたいものだ。どうでもよければふーんそうで済むところ、わざわざ叱ってくれているのは関心を持ってくれている証左である。
でも恐い。
ローズさんに見下ろされて叱り倒される恐怖に比べれば酒場の酔っぱらいなんか足元にも及ばない。この人不滅隊に入ったらいいんじゃないだろうか。犯罪率はきっと減るぞ。
 
「聞いてるの!」
「はいっ!」
 

 
「もしかして、怖いの? 惚れた男がよそを向くのが? そんなに?
 はん…ダルマスカの魔女も、男に狂って怒鳴り散らす程度の可愛げはあるってことさね」
 
瞬間に魔導銃が火を噴く。圧倒的な熱と破壊力を伴った銃弾は額のすれすれをかすめ、英雄が常にかけているゴーグルを弾き飛ばした。
紫色の瞳を有した、よくよく見れば驚くほどに端正な横顔が、よりはっきりと嘲笑に歪む。
 
「お前に! 私の思いの何がわかる!」
「軍人なら腕っ節でわからせてみな、惚れた腫れたでヒス起こす女はみっともないよ」
 
英雄は酷薄に笑い、掌を上へ向けて、くいとリウィアを手招いた。
 
「おいで、雌犬。髪一本残さず否定してあげる!」
 
 * * *
 
カストルム・メリディアヌム陥落の報に、沸き立つような歓声が風に乗って聞こえる。たった今決着がついたばかりの戦場に、月と魔導機械の明かりが影を落としていた。
シドは英雄の放って寄越した小箱から煙草を抜き、苦い煙で胸を満たした。
「ありがとよ」
「また世話になったからね」
 
ガイウスからの愛を求め続けた女が最期に何を思ったのか、男には知ることもできぬ情念であろう。
(…コイツはどうなんだろうな)
この戦いで光の戦士が僅かにらしくない♀轤見せたのは、彼女なりに浮き足立っていたのだろうか。
 
「シド」
「お、おう、なんだ」
「この兜も魔導機器なんでしょ、どうやって取るの」
「ああ…こういうモンはアーマーと同じでな、違う個体が勝手に乗り込んで使えないように個体認証でのロックがかかってるんだ。ちょっと待て」
英雄はあっさりとリウィアの体をシドに任せた。
見れば、英雄のかたわらには今さきほど奪ったと思わしき魔導銃がある。戦利品として自分で使おうというのか…もしくは銃と彼女の首を兵の前に晒し、敵将を落としたと民心を鼓舞するつもりであろうか。
「そら、外れたぜ」
「ありがと」
しかし予想とはうらはら、革手袋に包まれた手は開いたままの目をそっと閉じさせたのちに、白い兜だけを持ち上げた。
「…どうすんだ、いくらお前さんでもそいつは使えないぜ?」
「いらないよ。帝国人よろしくこんな仰々しいのを被ってちゃ、好きな時に鼻もかめやしない…くしゃみが出たらどうするんだろうね、まったく」
 
英雄はいつものように冗句を交えて、笑いながら語る。
 
「銃はドライボーン、アーゼマの秘石の前に。
 兜はシルフ領、ノラクシアの墓の前に」
 
「首尾良くガイウスを叩き出したら、供えに行くのさ。それで私の弔いは終わる」
 
「……。」
ようやくシドは得心した。
普段の英雄は女には優しい。甘いといってもいいほどに。
だというのに今回はあれだけ口汚くリウィアの急所を突き、神経を引っかいてしきりと囀った。リウィア・サス・ユニウスという一個人の全力を歯牙にもかけず振り払い、叩きのめしては鼻で笑う。
それはリウィア自身が為してきた行為そのもの。
仇討ちだ。
まさに砂の家での意趣返し。
だからこそ、弔いが済んで物を言わぬ死体となったリウィアを辱める意味ももはやありはしないのだろう。
 
「たいしたやつだな、おまえさん」
「はは、おだててももう一本はあげないよ?」
彼女の紫煙の香りは同じ銘柄でありながら、ふしぎと熱く乾いてつかみ所のない…シド自身や他の者が吸うそれと違う。
 
教会で暮らしていた時に感じた、ザナラーンの荒野の熱砂の匂いだった。
 

 
「貸すのはともかく、返すあてはあるの?」
「……。」
そこで笑顔のまま黙るなら素直にくれと言えばいいじゃないか。
 
ユユハセという男を少し観察するとわかることだが、彼は一見銭金に聡く要領がいいように見えて、これがあんがい抜けている。
アラミゴ解放軍での立場がどうのこうのとは言っているが、結局そのバックで金を動かしていたのは我が主人…ロロリト様だ。彼を裏切ってしまえばこれはもう引っ込みがつかないというか、どこへも行きようがないだろう。
もうない組織に義理立てをするタイプではないはずが、未だに制服の青い外套を着ているのは、つまりそういうことだ。
「どうするの、この後」
「…なんでもして食い繋いでみせますよ。なんでもね」
いまさら投降したところで、お人好しの坊ちゃんは許してくれるだろうが、ロロリト様が生かしておいてくれるとは思えない。一度裏切った手駒をそのままにしておくようなアホが、このウルダハで首と胴体をつなげていられるはずがないのだ。
こうして話しているだけで私の立場だって結構ギリギリである。
本当にしかたない。
 
「ほら、これ!」
首に下げていた金の指輪を外して放った。
驚きに丸くなった金色の目に、鮮やかな純金の光が映り込んできらめく。
大きな宝石のついたそれは、昔大がかりな任務の報酬として貴族の奥様にもらったもの。何かあった時金に換えるためのとっておきだった。
くれてやろうじゃないか。
私もとんだお人好しだ。
 
「二束三文の可能性もあるけど、持ってきな」
「いいんですか?」
「返せって言ったら返す?」
「まさか。ありがたくいただきます」
懐にしまいこみながら合否を確認するな。
 
「長生きしなよ」
「ええ、ありがとう」
 
ウルダハにおける挨拶なんてこれでいい。
どこまでも金と力がものを言うこの都市の片隅で、一時でも笑って話したその事実だけでいい。
あんな奴もいたなと懐かしく思い出す日だって、いつか来るだろうさ。
 

 
世の中とは、とても広い。
この海沿いの農場からリムサ・ロミンサ、ロータノ海を渡って東アルデナード小大陸、エオルゼア諸国…と世界はどこまでも続いている。
一応学校ではそう習ったが、私はといえば海を渡ったことすらない田舎者だ。
さて、今は光の戦士とかいう英雄が現れて、あちこちが大騒ぎらしい。
英雄がどこそこで帝国軍を追い返した、蛮神を退治したと噂に聞く度、そんなにも強いとはどういう人なのだろうと考える。
強大な敵にも膝を付かない、とびきり強くてたくましくて、どんな窮地にも動じない腹の据わった人にちがいない。ハンサムだったら最高だ。
(少なくとも…)
 
「フスィーッ…ヒトの娘よ、落ち着いたか?」
 
少なくとも、この状況下で私みたいにビビり上がって尻尾を巻くことはないと思う。
「は、はあ、その…はい」
普段お客さんに対するならなんぼなんでもこんな曖昧な口調はしていないのだが、怖いんだからしょうがないではないか。サハギン族見るの初めてなんだぞこっちは。
ただ、又聞きに聞いたしょうもない噂と違って、少なくとも人を取って食うようなことはないように思える。私が怖がっているのを察して遠くから話してくれているし。
「ええと…オレンジを、お求めなんですよね?」
「そうだ。私の産卵地の幼子たちがいたく気に入っている…フスィーッ…だが、ヒトの商人はそもそも我々を見ると逃げる」
そりゃそうでしょう。
サハギンが果物買いに来たとかちょっとミスマッチすぎて、それを口実に殺されるんじゃないかととち狂うやつの方が多いと思う。
知らないとはそれくらいの恐怖なのだ。
「フスィーッ…故に、話の分かりそうな若者が一人の時を狙った。すまなかった、ヒトの娘よ」
「いえ…そういうことなら。私こそすみません、やたらに怖がって」
彼らの子供ってやっぱり稚魚なんだろうか。
それにしてもそういう話なら、数回取り引きして信用できると判断したら、他の商会に話を通してあげるのもやぶさかではない。人間の果物を誉められるのはやっぱりうれしいのだ。
そうだろ、おいしいだろとにやつきたくなってしまう。
「そうそう、ギルはどれくらいお持ちですか?」
「フスィーッ…我々も扱わぬではないが、ギルはあまり持ち合わせがない」
じゃあどうやって取引をするつもりなんだろう。
もしその分ここで無償労働するって言われたら、申し訳ないけど全力で土下座してお断りしたい…いや、想像つかないけどさ。この威厳ある感じのサハギンさんがうちの農場で働いてる姿。
「その代わりにこれで払いたいのだが」
私は思わず目をひん剥いた。
 
取り出されたのは、星のつぶのような虹色の光沢を持った真珠だ。
ひとつひとつは女の中指の爪ほどのものが、いくつも。
少なくとも、私の貧相な首ほどならくるっと一巻きできるほどの量がある。
 
「……。」
「フスィーッ…足りるだろうか?」
「…う、受け取れません」
「足りなかったか?」
「逆だよ! 逆!」
 
お客さん用の敬語をかなぐり捨ててしまったがこれは仕方ない。
すいすいと海中に潜れるサハギン族には珍しくないものかもしれないが人間には高級品だ。
こんな高いものオレンジと引き替えにできるか。そもそも初手からぽんと出すな。ヒトの欲をなんだと思っているのだ。
私が仮にこれでぴったりだ、次回から同じ量を持ってくるようにと指示していたらどうする。どんなに楽に手に入るものだとしてもそれはよくない。
 
…と、いうようなことをサハギンさんに懇々と言い聞かせると、彼は幸いにしてわかってくれたようだ。
 
「そうか…」
「そうです! これ一粒で…むこうの一番大きい木箱あるでしょ、あれが十箱以上でまだおつりがきます」
「フスィーッ…わかった、それほどあっても困ってしまう。この真珠は引っ込めて一度産卵地に戻り、ギルを持ってまた来よう」
「それがいいですよ。今日のことは父に話しておきますから、少なくとも次回逃げられることはなくなると思います。あとこのオレンジ、お菓子にしようと思った分だから質はそんなによくないんですけど、よかったらどうぞ」
「ありがたい。お前は良い娘だ…フスィーッ…」
営業努力というやつですよ。サハギンさん。
 
のちにサハギン族の(本人曰く)若者が数人農場に現れて、今度こそ私は肝をつぶす勢いで驚くのであるが、それはまた別の話だ。
 

 
好きだと言えば嘘になる。
確かにあの頃の私は傲慢で恐れ知らずな、頭でっかちの若造だったと自覚している。何度思い返しても恥じ入るばかりだ。
それに、結果的に生きているのだから、二度と同じ失敗をしないよう物事は十全に疑ってかかるつもりで…そう考えればこの上なく勉強になったといえるだろうね。
だが、そうした理屈と感情の部分はまた別のものなんだと、それもまたはじめて痛烈に思い知った。
君を相手に取り繕っても仕方ないか。
認めるよ。私はあれからロロリト会長がとても嫌いだ。…酒精の入っている今くらいしか言えないけれど。
だが、調べれば調べるほどに彼の手腕は確かで、さすが腕一本であの立場まで上り詰めた腕利きの商人だと思わざるを得ない。そこだって、わかっているのだよ。
認めているが認めたくない、などという大人に出会ったのも初めてだ。
 
え、もう一杯? の、飲めるとも! 大丈夫だ。これでもシャーレアンの法律では成人済みなのだから。
……。
…。
 
私はこれまで、偏屈な老人と言えばお爺様やマトーヤ老のような…ああいう学者肌しか知らなかった。
それが、世の中にはあんな悪辣な策謀家がいるだなんて! いや、知ってはいたさ! いたが…そう、私の理想とは常に別の世界にいるような…どこか他人事のように感じていたんだ。
もしくは、私であればそんなものはすぐに気付けると驕っていたのかもしれない。
ここだけの話だ、誰にも言わないでくれるかい?
……あの糞爺とすら思っているよ。
はは…こんなことを言うのも初めてだ。酒精に酔って感情を露わにするなんて、まさかシャーレアンの神童のすることではないね。
え、かまわない? 酒はそのためにこそ飲むものだ?
君の口から聞くと説得力が違うな…では、もう一杯…
 
……いまの時間から、どこへいくんだい…?
製塩事業の打ち合わせ…? そうか…きみは空を飛べる、このあたりの地形のはあくに手を貸してくれとたのまれて、いたな…。
寝ろ? 大丈夫だよ…うん、ありがとう、だが酔っていないと言っているじゃないか、私の意識ははっきりして…
して…
 
「……。」
アルフィノ・ルヴェユールという少年は抱えるものもなにかと多く、心労の溜まるところにいる。たまには羽目を外させてやろうと思ったはいいが、これはなんというか、飲ませすぎた。
まさかワイン数杯でこのありさまとは。
双子の妹と見紛うような体躯をベッドへ運んで布団をかけてやると、誰を思い出したのか秀麗な眉が寄る。
彼がロロリトを嫌っていることは知っていた。当たり前だ。むしろ好意を持つ方がおかしい。
だからこそ、敬愛とまでは行かずとも、これからアラミゴを挟んで協力体制を取る相手のことだ。多少吐き出させてやれと思えば、アルフィノは数杯で前後不覚に陥り、案の定心情を吐露したのち夢に沈んだ。
今は旅の空の下にいる相棒ならば「あの上品な坊ちゃんがクソ爺とは、なかなか言うようになったじゃないか」などと笑うだろう。
 
「大丈夫大丈夫、今日の話は黙ってるから」
どうせ言うまでもなく、あの老獪な古狐はもとより好かれようなどと思っているまい。
光の戦士は苦笑いと共にきびすを返した。