どこにも出られないように船は沈めちまった、などと聞いて、私は迷わず賞金稼ぎ達の頭を海に放り込んだ。
縛ったままだから確実に海王類のオヤツになったろう。
ことの始まりはかれこれ二年前。とある経緯で麦わらと一緒に頂上決戦にブッコミをかまし、さらに行き掛かり上…これはカメラマンの腕の問題だ…協力した16点鐘の記事にまで映り込んでしまったのが発端だ。それを考えると当然かもしれないが、私の顔と名前は二年前と比べ物にならないほど売れた。厄介な方に。
(インペルダウンに入った辺りで今までの経歴も顔も名前も全部調べられたんだろうけど…せめて目立たないように逃げたかったな)
他ならぬ恩人達の頼みだから恨みにまでは思っていないが、そんな騒ぎに関わってしまったおかげで、平穏だった私の小悪党人生は終わりを告げた。
そして出回った手配書には今までで最低の悪党面写真と一緒に、なかなか立派な懸賞金と異名が記されてしまったのである。
当然仕事もやりづらくなったし、少し気を抜くと今みたいに賞金稼ぎに襲われたりする。
手を変え品を変え名前も変えつつちまちまやってたのに、非常に、くそめんどくさい。
   
私はひとつ溜息をついた。
(買ったばっかりだったのに早速足がなくなった…)
荷物はあまりないからトランクに詰めて殆ど持ってきているし、金は全部財布の中だ。
…それだから泥棒が入っても舌打ちして出て行くような船だと思って放置した結果がこれだよ!
ソウルキング最終ライブのチケットも取れなかったし、シャボンディパーク付近では人攫いに合いかけるし、極めつけがこれだ。普段は運が強いのにあの麦わらと関わろうとすると不思議なほどトラブルが続く。あれか。私一人なら軽めの晴れ女なところが、麦わらの…あの雨どころか竜巻の勢いに呑まれておかしな方向へ飛ばされるようなものか。
とはいえ、ないものはしょうがない。シャボンディ諸島には昔からの知り合いが住んでいるから、まずそっちに挨拶に行って、ついでに今日は麦わらが新世界に向けて出航する日だというから見送りをして、それから考えることにしよう。
   
もういい加減わかってきたが、まだまだ荒れるんだろうなあ。
   
   
麦わら一味の仲間募集、などという妙な話に違和感を覚えて先にそっちに行ってみたら明らかなニセモノだったでござるの巻。
こっそり逃げようと思ったらもうとっくに通報されてて、そこに政府の人間兵器パシフィスタが乱入してきて大騒ぎになって、しかもニセモノが殺そうとしてた相手がまさかの本物。更なるカオス。何してんのこの人達。
   
「元気そうね、麦わら」
「あ! なんだよお前も来てたのか!」
おいばかやめろ。
いや呼んだ私の責任だけどここで大声で人を呼ぶな。注目される…と思ってたら、パシフィスタがこっちを向いて…
   
「…本人と認証。懸賞金7千万ベリー…詐欺師、“白面”の
   
こともあろうに私の名前と異名と懸賞金を晒し上げてくださった。
「アッー」
場はさらなる地獄絵図になった。
   
ので、襲い掛かってくる海軍の下っ端を散らして並走しながらちょっと近況報告。
「ほんと変わってないわね」
「ししし、そうか? おめェちょっと変わったな」
「…あんたのことだから髪が短くなったぐらいしか気付いてないでしょ」
「おいルフィこら! なんだこの親しげな美女は、てめェ本当に修業してたんだろうな!」
「美女? …私?」
「おい7番、何ボヤボヤしてやがる。さっさと走れ「うるせえてめェくどいんだよ!」
騒がしい人達だ。
「なあ、お前も魚人島行くのか?」
「あんたはまたこのカオスの中ずいぶんノンキな…まあいいか。一言で済ますと、そのつもりでいたら船がなくなった」
脱獄の時ずいぶんお世話になったジンベエの親分にお礼を言いに行こうとも思ったが、実は前々から魚人島には用がある。…なんの因果か行こうとする度妙に厄介事が続いて足止めされてしまうんだけど、私は粘着系男子に呪いを受けるようなことでもしでかしてしまったんだろうか。
一応記しておくがボンチャリで人を轢いた記憶はない。いや、そんなことより。
やっぱり船をなくしたのは痛い。
金銭的被害は軽いものだし、積んであった荷物も大した量はなかったが、なにしろ操船技術は慣れがいる。これから船を新しくするとなれば、初めて乗る船で新世界へ出るという自殺行為突入だ。あの海の面倒さは私もよく知っている。
この際この場に集まった海賊連中の船を奪ったほうが買うより早いんじゃないだろうか。
「代わりの船適当に調達してコーティングしてもらうからちょっと遅れるけど、現地で会いましょ」
「なんでだ?」
「なにがよ」
   
「船がねえんなら、おれ達と一緒に行こう!」
   
えっ。
「いいの?」
「なんだ水くせェな、別にいいよ。友達じゃねェか」
   
あのレイリーさんに修業をつけられたと聞いて、一体どんな風になったかと思ったが。
麦わらは二年経っても全然変わっていなかった。
「…ありがと、お邪魔するわ!」
   
   
「紹介するよ、こいつ新しい仲間!」
「違うよ!」
   
麦わらの脳内でなにがどうなってそうなったかは別にいい。仲間になるつもりないから厳密にはよくないが、前から何考えてるか分かりにくい奴だから知ろうとまでは思わない。そんなことより。
「ソウルキング…だと…!?」
TD出始めの頃からひっそりファンだった大スターが同じ船に乗ってるとかどういうことなの。むしろそっちの説明頼む、麦わら!
「あ、ファンの方…いやーありがとうございます。私実は本業が海賊で、麦わら一味の音楽家をやってます。ヨホホホ」
「エッ」
なにそれうらやましい。
「そうですファンです。今回は競争率が大荒れすぎてチケット取れなかったけど、何回かライブ行ったこともありますなにこれ奇跡。サイン下さ、あっTD全部船ごと沈んでる…くそっ、やっぱりあいつら全員海に沈めればよかった!」
「ああ、つまり魚人島に行くつもりだったけれど、船をなくしてしまったから一緒に行くということね」
「当たり。私は二年前麦わらにお世話になった詐欺師で、です。少しの間だけどよろしく」
黒髪の美人が落ち着いた調子で的確な状況説明をしてくれた。
   
「へー脱獄から頂上決戦まで付き合ったのか、すげえなあんた」
「ありがと。まあ付き合うもなにもただついてっただけよ」
「いや、それにしちゃ有名人だぞ。おれァこないだ手配書で見たが、賞金額もなかなかスーパーな「悪いけど手配書の話はしないでくれる。特に写真」
「手配書の写真は飾りみたいなものですよ、雰囲気が変われば結構人目は誤魔化せます…まあ私、目ないんですけどー! ヨホホホ!」
「び、美女が一匹…美女が二匹…ちゃんも新しく仲間になれば…美女が三匹…」
「私は人の下には付かない派だから本当にならないよ。…でもちょっとさっきからなんなのこれ、どういう体質でこんな噴水みたいな量の鼻血噴いてるの? 死んじゃうわよ」
「おい待てお前は触らないでくれ! 今女に触られたら本当に出血が止まらなくなっちまう!」
「サンジ、お前一体どうしてこんな珍プレーな体質になっちまったんだよ! おいしっかりしろ、魚人島行くんだろ!」
「なあ、この血集めてもっかい体に入れられねェかな」
「それだ!」
「どれよ!」
「死ぬよ!」
   
「あんた達ちょっとは緊張感を持ちなさい! ほら、出航するわよ!」
「相変わらず賑やかね」
今までは船長一人しか見てなかっただけにどんなバカの集団かと思ってたが、他のクルーはかなり話の通じる人…ヒト…? …の、集まりだった。安心した。航海士のナミちゃんは特に有能そうだ。少なくとも私の操船技術よりずっと頼りになりそうだから、これなら目的地まで行ける。それに何より。
「行くぞ! 魚人島!」
   
前にも同じことを感じた記憶があるが、どうも麦わらといると死ぬ気がしない。
   
   
過ぎた話で恐縮だが、大きな下降流の条件は冷たくて重い水。要は水の中に濃度の高い塩水やガムシロを流し入れると、目に見えて下に流れて溜まるのと同じことだろう。面倒だから説明はしない。
サンジ君の血がいよいよなくなりそうなので、体温が下がらないように周りの気温をちょっと上げつついざ“不思議海流”。
   
変な人が乗って来たり伝説クラスの怪物と遭遇したり、変な人すなわち船長を助けに来たであろう大きめの船が一握りで潰されたりもしたけれど麦わら一味は元気です。
なんか戦う流れになっちゃったけど。
「お、おいおいお姉ちゃんよゥ…見た所アンタも麦わらの一味じゃねェ〜んだからァ、ここは一緒にあのアホウ共を止めるとこだろうがァ!」
「もって言うな。私まであんたの仲間みたいじゃない。それにほら、まあ別に私が船外に出て戦うわけじゃないし」
「だ〜からってェ! 自分もワリィ食うって時に何を平然としちゃってんのォ!」
「うるさいなもう!」
どさくさに紛れて海中に放り出そうと思ったがやめておいた。…別に人命がどうのこうのという御託をまともに聞いたわけではない。もしもあのクラーケンに人肉を食べる習性とかあったら、船からほっぽり出した瞬間(能力者らしいから)無防備な餌につられてこっちに狙いを定めてきたら困るのだ。
それに、わかりづらい奴だがなんとなく麦わらのことはわかってきた。確かに麦わらはアホだ。ボタンがあれば押すし紐があれば引っ張るし、目の前で電話が鳴ってれば躊躇いなく出る、脊椎反射で生きてるような奴だが、しかし。だからこそ。
よっぽどのことがなかったら、勝算ゼロの相手にわざわざ突っ込んで行かないだろう。
   
「…なァ、おれァおまいさんを見込んでちょ〜いと提案があるんだがよォ?」
声を潜めて話し掛けてくるな。もう嫌な予感しかしない。
「どうだィ、一丁ォこのおれと組んで麦わらの一味を打ち取るってのはァ〜? これだけ賞金首が揃った一味なんざそうそうねェときた…ケヘヘ、全員の首を持って帰ったとくりゃァおれもおまえさんも一躍「おーい誰かー、このバカ海に捨てるから手貸してくれるー?」
「ヒギィ」
「あら、手ならいくらでもどうぞ」
さっきも見たが、やっぱりロビンも能力者らしい。言葉と同時に私の肩から植物のようにニョッと手が生えた。いいなあ便利な能力。
エアエアも便利だが、こと戦闘においては役に立たないも同然だ。ちょっとうらやましい。
「少し聞いてたわよ…ふふ。初対面の女を口説くのにあの台詞はセンスがないわね」
「ねー」
そもそも私は面食いというか、男の好みはごくスタンダードだ。イケメンが好きだ。
いや、無法者の端っくれとして堅気がいいなんて贅沢は言わない、ただ望めるなら理性的で誠実な…強いに越したことはないんだけど、どちらと言えばナイトよりプリンス系のやさしい人が好きだ。味噌汁で顔洗って出直してこい凶状持ち。
こんな裏稼業だ、叶うべくもないんだろうが。
   
   
大変今更な話になるが、私は暑かったり寒かったりする分には外気の影響を受けない。実生活では便利な能力である。それにシャボンに乗っているとどうしても鈍くなる移動速度も、風を起こせば素早くすいすい動ける。殆ど空を飛べるようなものだ。…ただ、この二年で更に気付いたことがある。
力が抜けるのを覚悟で水の中に入って実験してみた結果、シャボン内で能力を使い続ける限り活動限界はないに等しかった。呼吸が苦しくなることもない。
つまりこの能力は酸素を作り出せる。
(しかしこの深海にシャボンで放り出されたりしたら、十中八九海洋生物のオヤツになるか良くても発狂する)
自分の呼吸を確保する分ぐらいなので、広いサニー号内部の空気をそうまで劇的には増やせないが…とりあえずさっきからやってみている。ないよりマシだろう。
   
「おおっ、言われてみればシャボンがちょっと膨らんだ気がするぞ!」
「ホントか! すげー! すげー!」
「いやそれは絶対気のせいだから」
いくら何でもこの短期間で膨らますのは無理だ。どれだけノリいいんだこの一味。
   
   
海水に浸かった瞬間、全身から力が抜けた。
新魚人海賊団と名乗った彼等がどんな思想で動いて何を目的にしているにせよ、水深一万メートルの戦うことさえできない今の状況下では逃げるしか術がない。あのままバトル突入より遙かにマシだ。…などといっても水の流れはおそろしく速く、かつやはり能力者である悲しさ。
身体をまともに動かすことも一味の誰かの行方を確認することもできず、私はあっさりと水流に飲み込まれた。
   
昔、似たような状況に陥ったことがある。私が魚人島に来た理由でもある、もう十年以上も昔の…しかし未だ色褪せていない記憶が。
流れの速い海水に巻き込まれた瞬間、不意に蘇ってきた。
   
 * * *
   
その日は特に波が高かった。
ごく唐突に海が大荒れに荒れ狂い、やはり唐突にぴたりと凪ぐなど外の海ではいざ知らず、グランドラインではごく当たり前の現象である。運悪くその犠牲になる者も後を絶たない。…その運の悪い一人が、たまたま私だった。
能力者になったばかりのことだ。今思えばうまくタイミングを合わせれば風で身体を浮かせて船のどこかに掴まり直すぐらいはできたのかもしれないが、当時の私は巨大な青黒い生き物のように逆巻きうねりを上げる波に怯え、柱にしがみついて震える、ほんの小娘だった。
波が身体をすくい去るのは、本当に一瞬。
海に投げ出されたかと思うと見る見るうちに全身の力が抜け、酸素を求めて開けた口から大量に海水を飲んで、痙攣する身体は高波に絡め取られるままに海中を引き回される。
…すぐに意識をなくして以降は、殆どのことを覚えていない。
しかし、霞がかかったようにぼんやりと不明瞭な意識の中でも解ったことはあった。どこまで沈んだ時なのか、私をしっかりと抱き抱えた華奢な手。絶えず呼び掛けていてくれた優しい声。
荒れる波を軽々と掻い潜り、驚くようなスピードで泳いで行った誰かの存在を、覚えている。
   
気が付いた時には、シャボンディ諸島の比較的低い根の上に引き上げられていた。
大量に飲んだ水を吐き出し、地面に突っ伏して咳き込む背を、誰かの手がそっと撫でる。
「よかった、無事で」
鮮やかな色のドレスの裾がちらりと視界に入って、初めて人がいたことに意識が行って振り返った時だった。
「おい、本当なんだろうな。見間違いじゃねえのか?」
「本当だって、見たんだよ! あんな泳ぎ方人間にゃできねえし、ありゃ絶対人魚…それも髪が長かったから女だ、間違いねェ!」
「!」
   
柄の悪い声と数人の足音がした瞬間。
「あっ!」
   
ドレスの人影はすぐさま踵を返し、未だに荒れる海の中に飛び込んだ。
「今のって…」
後には私と、私を指してやっぱり人魚じゃなかっただの確かに見ただのと言い合う男達だけが残された。
「まさか」
   
まさか、と、あれから何度となく自答してきた。
幾人もの船乗りが追いかけてなお見えることの叶わなかった…半ば幻とさえ呼ばれる種族が、まさかたまたま私を見つけて助けてくれたなんて、そんな都合のいい話があるものかと。だが、それでもやはり考えれば考えるほど確信は深まる一方だ。
海中を泳ぐあの速度からいってまず間違いなく、あの人は人魚だった。
思えば私はその時からずっと、人魚族に憧れを持っていたのかもしれない。
   
閑話休題。
インペルダウンの拷問で死に目を見た時、今まで命を拾ったことは何回もあったが、私はこのことを思い出しては悔やんだ。命の恩人に何一つ言えなかったことだけが気懸かりで、もしもこの牢獄を出ることができるなら、今度は必ず魚人島に向かおうと決めていたのである。
今までは魚人島の治安の問題で叶わなかったが。今回こそ。
   
…とりあえず、溺れ死にさえしなければ。