花の嵐に霞む背が、ひどく遠い。
幹部のバレルさんなら何度かお目にかかったことがあるけれど、しかしリーダーともあろう方がわざわざ日本支部まで視察に来るなどという事態は滅多にない(なので、決まったとき支部はそれはもう混乱したものだ)。そしてさらに珍しいことに、今日はふらりと表に散歩に出るなどと言い出した。なんでも、ここ数週間ほとんど日の目を見ていないのだとか。
基地の警備をしていた私達に全く有無を言わせず…いや、言える有無などはなから持ち合わせはないのでどの道同じことだ。
そうした次第で場にいた人間の中から私が急遽警護役に抜擢され、付近の桜の名所を歩いているというわけだ。邪魔にならないように、けれど安全の確認できる範囲で後ろをついて回って、リーダーが無事基地に帰るまでを確認するのが本日の仕事となる。いくら平和な国だといってもそりゃあ凄い大抜擢だ。素直に嬉しい。決めたのジャンケンだけど。
それにしても、本当に日本は平和だ。警護が一人で済むくらい。
「おい」
「は、はいっ!」
しまった。声が裏返った。
「人が少ないな、今日は」
「あ、…春休みも終わった平日の昼前ですので。さすがに」
「…そうか」
煩い子供がいないのはいい、などと納得したように呟いて、リーダーはまた歩き出す。
「最近、子供嫌いと喫煙者は日本に住みにくくなってきました」
「だろうな」
世界を手にした暁には、変えてくださったりするだろうか。
どちらにも当てはまる私はうっかり期待してみたくなるところだけれど、果たしてそんなことで動くような方だろうか。可能性は低そうだ。
いや…むしろそうであってはならないと、この方はそんな理由で動いてはならないと私自身が思っている。
リーダーを神格化しているのは私だけではないと確信があった。
バレルさん達はもとより様々な国に散らばる支部の団員一人一人、勿論その末端も末端である私に至るまで、ブタのヒヅメという結社内においてリーダーを崇拝していないものはいないだろうと思っている。
迷いも躊躇いもないその背をこうして一人で見ていられることが信じられないくらいに、この方の存在は大きく絶対的なのだ。
反面、それが故にひどく脆いものにも思えてくる。舞い踊る桜の花弁にふと姿を隠されたと思えば次の瞬間には消え去っていてもおかしくないほどに、絶対であるからこそ、裏を返せばその存在はあまりに非現実的で、目が眩みそうだ。
当然ながら、リーダーは目の前にいる。見失っては警護の意味もないのだから、離れ過ぎない距離をキープしてしっかりついている。万が一のために懐には銃だって入っている。
第一私がここでリーダーを見失うことなど許されないのだ。
だから、こんな思いはただの幻想にすぎないけれど。
けれど、届かないその尊い哲学に、貴方の知らないところでひっそりと寄りかかるくらいは許してくださいますか。
深すぎるその思想の最果てに、いつか私も立てるときが来るでしょうか。
今はただ、それを願っていていいですか。
貴方のためならば、どれほど困難な任務であっても命を投げ出す覚悟は持っています。
「よ、おかえり。…いいなお前、名前ぐらい覚えてもらったかよ」
「馬鹿! 緊張してそれどころじゃなかったわよ! …無事に帰ってこられただけで死にそうになってるのに、これ以上なにを上手くやれっていうの」
「…だよな」
「おい」
「「はいっ!」」
「ご苦労。
…そういえば女の団員は珍しいな。お前、名前は」
「…!」
名前を聞いたリーダーが去っていった後、あまりのことに耳まで真っ赤になって足から崩れ落ちたのは想像にかたくないと思う。
ちょっと、何笑ってるのカツ丼。殴るわよ。