かの有名な光の戦士はさまざまな蛮族たちと友情を育んでいると聞く。
 そうした交流と比べてしまえばお世辞にも健全と呼べない触れ合いなのは承知しているが、ヒト種とされる我々に春をひさぐ者がいるのだから、蛮族だって食うに困ってそういう仕事をするものは出るに決まっていて…さらに金さえあれば肉欲などいくらでも満たせるこのウルダハでは、いわゆる「ふつうの」ヒトとされる種に飽き、異種族に手をつけてみたいと望む金持ちがけっこういる。
 さらにそうした金持ちは多くの場合忙しい。いちいち現地に飛んで仲良くしましょうと交流するヒマなどないほどに。
 かくて需要と供給さえはまれば、ウルダハで商売が始まるのは自明の理というものであったのだ。
 …当店の名誉のために一応言っておくが、これでも人身売買だなんて無体はしていない。完全に合意の上の商売である。違法なだけで。
 ある人は人体の可動領域を越えたアナンタ族の舞の虜になり、ある人は無邪気なシルフ族とのおしゃべりや踊りにはまり、ある人はアマルジャ族の戦士にと自分の打った剣を贈ってくる。またある人は遠いドマからやってきた穏やかな人狼族に訥々と人生相談をしては感極まって泣いていたりする。
 本番をするケースのほうが少ない風俗店とはどういうものかと思わなくもないが、経営は今日も見事な黒字、メンバーの志気も高いとくれば、まあ、よろしいではないか。違法だけど。
 ウルダハは短期間に成長を遂げた都会であるからして、その分疲れて心を病む人間が多い。
 だから大体の客は彼らと話をしに来るのだ。
 私見ではあるが、それは決定的に自分と異なるものと話すことで、この世には根本的にわかり合えない相手がいる、ひいては同種であるからといって無理にわからずともよいのだと再確認するためなのではないだろうか。
 そのように少しでも肩の荷を下ろしてもらえるならば幸いだ。
 なお、これだけ本番行為が少ないのだからいっそなくしたらどうかと提案したことがあったが、聞いたオーナーは鼻で笑った。
 
 なぜウルダハでこの店が高い人気を保っていると思う。
 そう。禁じられているからだな?
 人はいけないと言われるとやりたくなるのだよ。でなければ、博打などという最終的には損しかもたらさない娯楽が、どうしてこれほど長く続けられているものか。
 それをふまえて、本題だ。本番行為を禁止してしまえば、店の目の届かないところで強要する客が多く出る。そうなればサービスにも影響が出る、いままでうまく回っていた歯車も狂うだろう。
 いらないからなくす、では商売は務まらぬよ。何事もバランスが肝要なのだ。

 
 私が単純な駆け出しだった頃にいただいた言葉である。
 
 そんな、客も従業員も獣人たちも各々帰った早朝。
 ガラス張りの中央スペースとそれぞれのグレードの個室、照明を絞ったラウンジ、ロッカー完備のフロントをぐるりと歩き回って最終確認をしておく。各フロア異常なし。備品の欠けも見当たらない。
 シルフ族の日光浴のために造られた吹き抜けの部屋などさんさんと陽の光が注ぎ、朝だというのに今からもう暑いほどだ。
 
「夜会で噂を聞いたぞ、よくやっているようだな」
 オーナーが来る時はいつもそんな朝方だ。
「いいえ、ご期待に添うにはまだまだでございます」
 振り返って膝を付く。
 ララフェルの小さな影が機嫌良く頷いた。
「そう謙遜することもなかろう。お前はいい買い物だった」
 エゲツない高利貸しで有名なお方だ。この場合の買い物≠ニは、それすなわち借金のかたにもらってきたという意味になる。
 ミラージュトラストのテレジ・アデレジ総帥。
 商業都市ウルダハでも指折りの富豪であるこのお方が、珍しいものを愛するゆえに同好の士へと向けて作られた趣味の場所。それが当店だ。
「ついてこい、例の件だ」
「こんな朝からですか、旦那さまは本当に悪趣味なお方…あの人もかわいそうに」
「ふん、あの若僧に情でも湧いたか?」
「まさか」
 
 ついでに言えば、私はこの店の支配人、つまりこのお方の部下であり…長く飼われている愛人だ。
 今からどこに行って何をするか、そのろくでもないご趣味はよくよく知っている。
 
 * * *
 
 まさにウルダハ趣味を絵に描いたような贅を極めた部屋だった。
 獣脂蝋燭をふんだんに使ったシャンデリアが派手な家具のひとつひとつまでも照らす中、光の中央に据えられた豪奢なソファで、部屋の主であるララフェル族の豪商が笑う。
「わかっていただけるかな?」
 ソファを正面に見る位置、声を掛けられた若い男の肩がびくりと震える。
 その視線はテレジ・アデレジを通り越し、背後の女を食い入るように見つめていた。
 
「なに、同じ男としては、君がその気になるのも理解できる。責めはしないよ。実にいい女であろう? …だが、な」
 見ての通り、これは私の女なのだよ。
 
 囁いて背後に手を伸ばす。
 まるで甘える猫を愛撫するような手付きで頬を撫でると、女はうっとりと頬を上気させてララフェルの小さな手に甘えた。
 彼女はウルダハ地下のとあるクラブの支配人であり、普段から肌もあらわなビスチェ姿だったが、今はより露骨で下品な…それだからこそたまらないほど男の劣情をそそる、申し訳程度に局部だけを隠した黒いショーツをまとっていた。
「あの店の獸人たちとて大切な従業員だが、同じところにいるからといっても、こちらの方は非売品だ。いらぬ気をもたせてしまったことを、飼い主としてお詫びしようではないか。
 私とても鬼ではない、一人で励もうという分には止めはしないが、ね?」
 ひどく嫌らしい皮肉の色を含んだ声音は、しかし男には届かず、ただ鼓膜と精神の上っ面を撫でて通り過ぎる。
 
 己こそ誰より彼女を理解していると確信していた。
 この場に呼ばれる前までは。
 富豪の愛人だと噂には聞いていたが、そんなものは噂話に過ぎぬと…ひたむきに誠実に愛を捧げれば彼女もまた、最後にはそれに応えてくれるものだと。
 だというのに、これは何だ。
 まさに噂通り。生身の椅子よろしく壮年のララフェルを柔らかな膝に乗せて、彼の手に、額に口付けを落とす姿は、普段の理知的な顔など見る影もない。
 どれだけ望んでも自分にはついぞ向けてはくれぬ甘い声、裸よりも趣味の悪いあられもない格好を。
 テレジ・アデレジという飼い主のためだけに。
 胸の奥からひどく苦い吐き気がこみ上げてきた。
「躾の悪い猫ですまなかったな。そら、お前からもお客様に詫びなさい」
「これはこれは…申し訳ございません」
「やめ…」
「わたくしの不手際でお客様の誤解を招きましたこと、重ねてお詫び申し上げます」
 
 ゆっくりと上げた顔にだけは、何度となく通ってきたあの店の暗がりで見た…ずっとこのまま眺めていたいと願った、百花も霞むような微笑みが浮かんでいる。
 その笑みに射抜かれた瞬間、男は悟った。
 
 己が進める場所などもうどこにも残っていないのだと。