作法委員会の顧問を務めていることもあるが、基本的に忍びという人種は『目立たないこと』を念頭に置いて行動するものだ。
それだから大体どのような場所でも浮かずに振る舞える自信はある…よほど汚い場所なら例外ではあるが、連れてこられたこの場所は彼女の言葉通り確かに清潔だった。自分の天敵ともいえる昆虫類が潜んでいるようにも見えず…周囲が明るすぎるのは少しばかり戴けないが、耐えられないわけではない。
注意深く辺りの様子を窺いながらも、斜堂は久しぶりに満足していた。
「どう? ここ気に入った?」
「ええ…最初は驚きましたが、今ならもうどうとでも」
「当てが外れたかしらねえ。私は隙あらば斜堂さんに意地悪してやろうと思ってるのに」
「生憎ですが、慣れない作法に戸惑うあまりその場から浮くほど軟弱な忍びではありませんよ」
台詞だけを聞いていればほんのわずかな意地の悪さを含んだ、恋人同士の甘い睦み合いにも聞こえようが(いや、一応恋人というカテゴリーに含まれる関係ではあるのだが)、向き合う二人からすれば掛け値なしに本気の本気である。
「フランス料理なんて絶対困ると思ったのに」
「食事の作法など、周囲を注意深く見ていればだいたいわかるものです」
まったく、一言もなしにここへ引っ張られてきた時は何が出るかと鳥肌が立ちました。意外に普通で驚いたくらいですよ。続けると、彼女は疲れたようにふうと溜息をつく。
「しょうがないわね」
「しょうがないです。人を読み誤ったのは誤算ですね」
「じゃあ、コースも佳境だし次のをゆっくり食べましょうか」
彼女がそう示したものを見て、斜堂は思わず知らず首を傾げることになった。
「いったい…なんですか、これは」
「見ればわかると思うんだけど」
「見てもわからんから聞いているのです」
「じゃあ聞かない方がいいわ」
「気になるじゃないですか」
「………。
なら、食べてみれば…ん? なにその心配そうな顔。こういうとこは食べられないものは出さない、ってもうわかってるでしょ?」
「………。」
恐る恐る一口食べてみる。
「…まだわかりませんが…貝、でしょうか」
「それね、エスカルゴっていうのよ」
「…えす?」
「カタツムリ」
未だにどう頑張ってもそこから先が思い出せない。
一週間ほど口を利かずにおいて、気が済むまで謝らせたあと(とはいえそれまでに散々笑われたのだから、絶対に自分の方が酷い目に合っているはずだ)問い質してみたところ、そのままテーブルに突っ伏して気を失ったそうである。
成り行きとはいえ、どうしてまたこの奇妙な同居人と交際を続けているというのか。斜堂はだんだん自分のことがわからなくなってきた。
(…でも、それでも好きだなんて。私は被虐の気でもあるのでしょうか…)