何度となく追い詰められるというのに、達しかけたと見るやすっと手を引かれる。快楽と苦痛が入り交じり、身体が自分のものとは思えないほど熱を帯びて痺れる。
自分の手で解放することもできぬまま、斜堂は眼前の恋人へ身も世もなく懇願した。
「あ、あぅ…うっ、く…そんな、あ、だめです…お願い、です…もう、許して、…ください」
「だめ」
の返答は簡潔そのものだった。
「…だめよ…まだあげない」
そう囁きながら離した指が、軽く爪を立てながら鎖骨の線を辿る。
薄い夜着を肌蹴られて、自分の使っていた帯できつく後ろ手に縛られて、なぶられて、思うがままにいたぶられる。
こんなことをされるなどと、斜堂は予想もしていなかった。
普段の様子を見るに、ただされるがままになるより攻める方が性に合うだろうとは考えていた。また常の触れ方では慎重すぎるという自覚も手伝って、ならばこの際自分は受ける側に回り、好きにさせてみようかと思ったのだ。…率直に言えば、が羞恥に俯きながらおずおずと触れてくれるのを内心期待してもいたのだが、
返ってきたのは妖艶に牙を剥いた、それは荒々しい口付けだった。
彼女が自ら言うところの狼とは比喩でも誇張でもない、掛け値なしの本性そのもの…決して自分にそんな趣味はないと思いながらも、気を抜くと堕ちてしまいそうなまでに苛烈な、先天性の嗜虐気質だ。
今までがひた隠しにしていたのは、まさにこれだ。血肉でなく精神を食い荒らされきつく噛みつかれて、斜堂はようやく心底から理解した。
被った猫を素顔だと信じきって考えのない真似をして、猫を脱がせたほんの一刻ほど前の自分に説教のひとつもくれてやりたい気分だった。無論猫も猫で素顔の一部ではあろうけれど、これはどう見ても猛獣の類いではないか。
意図はどうあれその獣の前に望んで身を晒したのは、他でない斜堂自身ではあるが。
「ふふ…ねえ。さほど難しく縛ったわけじゃなし、こんな程度すぐに抜けられるんでしょう? どんなに頼りなく見えても、あなたは忍術学園の教師なんだから…そうよねえ、斜堂先生?」
「それ、は…あの」
「そうしないっていうことは、本気で嫌がってはいないんじゃないの?」
その言葉に思わず背筋が震え、慌てて目を伏せた途端ぐっと顎を掴まれ強引に向き合わされる。
「ほら、また目が反れる。言わなかった?」
私が話している時は、どんなことを言われても視線を反らさないように。
言葉こそ確認の形を取ってはいたが、その声は有無を言わせない響きに満ちて…しかもそれでいながら優しく甘いのだから、ますますもって斜堂は反応に困ってしまう。もっと傲然と頭を押さえつけられたなら、もう無理です、止してくださいと逃げることだってできようものを。
(…私から誘っておいて、それはあんまりだとは思いますけれど)
さらにまた、自分のそうした考えを見透かしたようにひどく優しい言葉をかけられる。至近距離からの囁きは耳を舐めるように柔らかく響いて、より一層強く羞恥と欲望を煽った。
「あんまりいやなら、やめてもいいのよ。…私のほうは」
「そんな…そ、んな、意地の悪い…」
「意地悪…どこが? やめてって言うなら、やめてもいいって言ってるじゃないの…ねえ? 恥ずかしいんでしょ?」
口の端を吊り上げて楽しげに笑いながら、もう十分に熱を持って張り詰めた自身をすっとなぞり上げて、生き物にするように掌で先端を撫で回す。
散々焦らされた身には強い刺激であるのに、しかし完全に達するにはまだ足りない。
「ひ…! ぅ、あ、さ…こんな、このまま、だなんて…」
「だからね、最初に言った通りよ。どうしてほしいのかはっきり言ったら、いくらでも満足させてあげるって…」
「……」
「影麿さん?」
「っ、も、…もっと、ください…! もう私、これ以上は…おかしくなってしまいそうです。お願いです、達かせてください」
身体を満たす熱が行き場をなくし、脳髄を蕩かせる。
一度口火を切ってしまえばあとはさほどの抵抗もなく、斜堂はまるで譫言のように、先ほどまではまさか自分に言えるはずがないと拒んだ言葉を吐き出した。
告げた拍子に目尻から零れた涙の粒を、が口付けて吸い上げた。その表情は甘くありながら同時にひどく淫蕩で、一年も前の自分であれば敬遠するのみならず汚いとすら評したかも知れないものだというのに。
(何故でしょう…この人にならば、何をされてもと思うのは)
「甘い…」
「そ、そんなわけ、ないでしょう…何を「甘いの。私にとっては本当に。なにせ私は、ずっとあなたを泣かせたくて仕方なかったんだもの」
口説き文句にしてはなんとも物騒に過ぎる。
斜堂の首に腕を絡めて引き寄せ上体に乗り掛かって、驚くほど真剣な目が顔を覗き込んだ。
「本当、よ。ひどい言葉で追い詰めて怯えさせて、じっくり表情を見たかったの。いつも苦しいぐらい思ってたわ。もっといじめてみたい、泣かせてみたいって。…そんな女は、嫌い?」
「ええ、勿論嫌いです。関わりたくもありません。
あなた以外なら」
言ってしまってからなんという気障な文句だと内心僅かに後悔したが、はそれは意外なことを聞いたと言いたげに目を丸くして…その頬に薄く朱の色が混ざった。
「だから!
そんなことを言われたら、ますますあなたから離れられなくなるじゃないの…」
「離すつもりなんて、ありませんよ…私をこんなにしたんですから、責任を、取っていただかないと」
聞いたは不敵に笑って頷くと、しなだれるように身体を跨いだままゆっくりと腰を落とした。
「は…ぁ」
柔らかな内襞にずぶずぶと飲み込まれ締め付けられる。
知らずのうちに斜堂の口から熱い息が漏れた。今の今まで散々焦らされていたぶられて追い詰められて、挙げ句にこれでは余裕もなくなるというもの。いかに閨房術もたしなみの一つといえど、気を抜いた瞬間を置き去りに達してしまいそうになる。
男としてはさすがにいかがなものか。
しかもそれはそれで向こうの目論見通りのような気さえして…言ってしまえば、こちらにも一応矜持というものがあった。なにせ彼女ときたらそれは良さそうに目元を赤く染めてはいても、まだ余裕げに笑っている。
(じ、自分が攻める側だからといって…本当にどこまで意地の悪い人ですか)
「あ、あ…! …ふふ…影麿さん、ずいぶんいじめたけど……もう達きたいの、よね?」
「っ、あう…く、わかっているなら、いい加減…こ、れを、ほどいてください。自分で、動きたいんですよ…」
「…だめよ…今夜は、贈り物なんでしょ? だから…ぅ、ん…影麿さんはそのまま、動かずにじっとしてて…好きなように、する、から。だいじょうぶ、よ。わたしも、もう…余裕、ないもの…」
ひどく悪辣な笑いかたをしてぎりぎりまで腰を引いたと思うと、ゆっくりと焦らすように、しかしまた中を抉るようにぐっと深く飲み込まれる。
薄い胸に身体を押し付け軽くすり寄せるように挑発しながら、淫蕩な水音が響くほど激しく攻め立てられて、斜堂は堪らずに眉根を寄せ唇を噛み締めた。
「ふふ、ほら…っ、痩せ我慢は、しないで、よ…? もう、震えてるじゃないの。…ねえ、達きたいのね、そうなんでしょう…?」
自分の背に爪を立てて切れ切れに囁きかけるその声も、荒く熱を持っている。
そうしてもうまさに達しようかという時。それと同時にびくびくと背筋を震わせたに渾身の力で噛み付かれて、
あまりの痛みに斜堂は本気で悲鳴を上げた。
* * *
それからさらに半刻ほどが過ぎて。
「はあ…良かった、堪能したわ…。ご馳走さま」
全身に無数の歯形をつけられ布団でさめざめと嗚咽をこぼす斜堂を横目に、は満足げな溜息をついた。その肌が心なしか色艶を増しているように見えたのは、果たして薄暗い場所が故の目の錯覚であろうか。
「……もうお婿に行けません…」
「そうよ? 今更じゃない、あんなことまでしたんだから。…だから、もう私のものになるしかないわねえ、影麿さん」
言いながら再び引き寄せられる。首筋に舌先を這わせ、斜堂の反応を楽しみながら歯を当てて、きつく噛むでも吸うでもなくやわやわと顎に力を込めた。
「どうしてそう噛むのが好きなんです…?」
「決まってるでしょ? おいしそうだから、食べちゃいたいの」
「食べ、」
斜堂は自分の白い顔から、ますます血の気が引いたのがわかった。
冗談であっても洒落にならない。
「わ…私なんて食べたところで、骨張っていておいしくはないでしょうに」
「わかってないわねえ、肉付きは関係ないのよ。惚れた相手だから食べつくしてみたいと思うんじゃない」
「そうでしょうか…なら」
「ん?」
「私が任務で死んだら、その遺体の処分は学園に任されますから…それからなら、むしろ本望と言いますか…いくらでも食べてくれていいのですが」
「いやよ、死体なんて」
一刀両断である。
「あのね、私は生きた肉がいいの。たとえばこの首の血管を食い千切って、全身にあったかい血を浴びて、胸を裂いて心臓を引きずり出して…まだ脈を打ってるうちに口に含んでね。
影麿さんをそんなふうにできたらきっと、食べながら達っちゃうわ…」
内容こそ物騒を通り越して血生臭いというのに、その囁きを彩る声はまるで恋の告白のように、それはひどく甘い響きを伴って。
「そしたら本当に、あなたをずっと私の中に入れていられるじゃない」
あまりに具体的な言い方に、まさか本当に以前人食いをやらかしていはしないでしょうね、と聞いてもみたくはなったが、その問いを肯定されるか…もしくはどうかしらとはぐらかされるかしようものなら、この先震えずに向き合える自信がない。聞きたいが聞かない方がいいような気がするので、結局斜堂は聞かずにおいた。
そうして、代わりのように口から滑り出たのは、元から気にしていたことだった。
「…前前から聞いてみたかったのですが」
「どうかしたの?」
「さんは、そのう…ひょっとして、普段満足していないのでしょうか…だから。だからそういう…つまり」
獣じみた真っ黒な瞳がぼんやりと幾度か瞬いて、
次いで、彼女は盛大に笑い出した。
「ちょっと、な…なんで笑うんですか失礼な! あなたって人は!」
「くく、ふふふふ…ごめんなさい、でも…だってね…でもね!」
「…出茂鹿くんでもあるまいし…」
「ああ…もう、もうもう! そんなこと気にしてたの…だからこういう趣向にしたの? 私がどう動くか知りたくって? 本当に可愛いひとね!」
「ですから、可愛いは褒め言葉では…「そんな可愛いこと言うほうが悪い!」
飛びつくように胸元に抱きつき頭を擦り寄せて、心底嬉しげに細まった双眼が至近距離から顔を覗き込む。
「…やっぱりまだ食べないでおくわ、一息にぱくりとやったらこんな可愛い人、勿体ないもの。
だから、ねえ…影麿さん。今度は縛らないから、もう一回」
「はいはい…わかりましたよ。今夜の私は、どのみちあなたのものですから」
このまま行けば近い未来、頭からぺろりと喰われてしまうのだろうと予感しながらも…それでさえ離れられないなどとはまったくもって、我事ながら愚かにも程があるというもの。
(…そういえばいつか似非占い師が言ったとかいう「先が長くない」とやらは、まさかこのことではないでしょうね…)
異様なまでに胸にすとんと落ちる考えだった。
予想のついてしまった己が未来にほんの僅か血の気は引いたものの、それを見計らったようなタイミングで唇に噛みつかれて、甘美な恐怖に目眩がする。
ああ、まこと厄介な獣に目をつけられたものだ。
けれどもこの血肉に飢えた雌狼に、やはり首ったけに惚れ込んでしまったのもまた事実ではあって。
もう今夜ばかりは生き死にの話は忘れておこうと結論付け、斜堂は苦笑混じりに彼女の背を抱き締めた。
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