「久方ぶりですなあ、殿。息災にござるか」 「ええ、お陰様で。秀長さまこそお元気そうで何よりにござりまする」 岐阜城に用ならお兄さんに来てほしかった。 と言いたいところだがそれもややこしくなるから言えない。 第一それができるなら、フットワークが軽いことで有名な秀吉さんは言われるまでもなく自分で来ている。 というのも少し前に開かれた茶会で秀吉さんを少しこちらに召喚した事情もあるのか、横山城周辺をうろつく浅井・朝倉軍と何度か小競り合いがあった。そうなればやはり優先順位があるわけで、この間のように秀長さんを名代に立てて城番を任せ、態々こちらまで来ることもできない。 「普段は留守番ばかりゆえ、たまには甘い菓子のひとつも食べたいと兄上にねだって、此度はようようお使いを任され申した」 割とふざけた態度ではあるがとりあえずそういうちゃんとした理由で、この人が来た。 わざわざ店まで迎えに来てくれたので、せっかくだからと奥の席でご挨拶がてら少し歓談している。相変わらず腹は見えないが人当たりはよろしい。 普段私に浮いた話がないだけに、さっきから使用人の皆が浮き足立って覗きに来る。違うんだ。これはデートはデートだけどもっと打算的で面倒くさい何かなんだ。 「あらあら、まるで子供みたいなことを仰って」 「それほどあの延べ棒は美味かったのです」 えっ。 やめてほしい。仕事を褒められると嬉しいから。 「黄金色の見た目も美しゅうござったが、あの甘さと香りと歯触り。胃袋を掴まれるとはまことあのような味わいでしょうな。 実は兄上も竹中殿もひそかにお気に入りのようで、それがしが出迎えたときには土産のはずが半分なくなっており申した。まったく、もう少し遅ければ一つも残らなかったやもしれませぬ」 普段はそんな子供じみたことをする兄ではないのですが、と秀長さんは快活に笑った。 …それは「お前の分ねえから」ってやつじゃないのか。 「しかし一口食べてみて、あの味の前では食い意地が張るも納得が行きましてな。これは是非ともでぇとを申し込まねば手遅れになると」 「手遅れ?」 「左様、他の男に浚われてからでは遅うござる。そうと思わせるだけの腕を見せてもらいましたぞ」 「まあ、おなごを食べ物に例えるなんて」 ホホと上品に笑いながらも、我ながらわりとちょろいというか、べた褒めされて乗せられたかと思う気持ちはある。 だがこれだけ褒められてしまったらもう後に引けない。 そもそも私だって平成人の知識を抜いても、今まで身を立ててきたこの腕にはやはり自負がある。厨房は私の戦場であり、華やかな場所や身分の高い人に菓子を供するのは武功に等しい。 そしてこの乱世に、自分のいくさ働きを誇れない武者は腰抜けだ。 「秀長さま」 「何ですかな?」 「いかがです、もしよろしければ、お昼はわたくしが作りますゆえ召し上がっていかれては…ついでですから厨房もご覧になられませ」 「ほう…」 よしよし。嬉しそうだ。 「それは楽しそうですなあ、是非そうさせて下され」 我に秘策有り。 持てる全ての愛想でもって、私は秀長さんににっこりと笑い返した。 * * * 私はつくづく思ったことが一つある。 男は自分より知識のある女を嫌う。 本当だ。失敗例もいくつかある。平成の時代で合コンに行った時同じマイナー趣味の人を見つけ、嬉しくて調子に乗っていろんな話を振ったら明らかに向こうさんのテンションが落ちた。…結局その人は不機嫌なまま帰って行った。 他にも腹具合が悪くて小食だった時に限って異様に男受けがよかったり、折悪しく三つも口内炎ができて喋るのがだるかった時に限ってガンガン好意を示されたり…いや…あまり思い出すと恥ばかり出てくるのでもうよそう。まあ要はあれだ。大体の男は無口で控えめで話を聞いてくれる子が好きという普通のことだ。 この時代なら特にその傾向は強いだろう。 ましてや自分に馴染みのない(この時代に伝来していなければ当たり前だ)思想や学問の話など得意げにつらつら語られておもしろい殿方はいない。 そこを突く。 「…なるほど、なるほど。大概の農家では発芽した麦など使い道はあり申さぬな。それをいいことに大量に買い付けたと」 「そ、その通りにございまする」 その筈だったんだけど。 「では、麦はここからどのような行程で水飴に?」 「ここからは少し時間がかかりまするが…水を含ませて少し休ませ、麦芽と呼ばれる状態にいたしますね。大体の穀物は発芽時に大量に糖分を出しますので、その甘くなった状態の時に細かく砕き、焦げないよう気を付けながら糊のように煮詰めますと、水分が飛んで最後には水飴が出来上がるのです。これはあとで完成品をお出しいたしましょう」 「いやー、殿はまこと博識で、聞いていて楽しゅうござるな」 「ま、まあ…そうでもありませぬのにホホホ」 おかしい! さっきから秀長さんは一向に退屈した様子がない、いや、それどころか楽しそうだ。 とりあえずお昼には少し早かったのでまず当店自慢の天火窯、いくつか特注した石臼、それから穀物類を置いておく冷暗所などなど、適当に奥向きをご案内しつつ一つ一つにたっぷりと蘊蓄をたれた。自分で言うのもなんだが客観的に聞いたらちょっとうざいと思う勢いだった。 なのに秀長さんはそれに引くどころかひとつひとつしっかりと聞いて、ではあれはどうだそれはこうかと突っ込んで質問までしてくる。 いつもそうしているように頭の後ろで腕を組み、どこを見ているかわからない飄々とした笑みを向けて。 いやな気はしないがどういうことなんだ。 「そうそう、ここでは肉食も普通に行うとか聞き申したが」 私は内心で快哉を叫んだ。それがあった。 「ええ、わたくしが普通に食しておりますもので、仏法における禁忌とは知りながら、皆も影響を受けてしまいまして」 禁忌ではありますが…と前置きをしながら、そっと切り出す。 「なんでしたら、お昼は肉料理でいかがでしょう? 腹が減っては戦は出来ぬと言いますゆえ…少々風変わりですが、力のつくものをお出しできまする」 嘘は言ってない。 「おお、今度はどれほど美味きものが出てくるのですかな?」 「ステーキ丼というものです」 ドン引きしてください。 使用人の皆はさすがにもう慣れてくれたのだが、初見で私のステーキ調理行程に引かなかった戦国人はいない。 (このために特注した)鉄の肉叩きでしこたま叩くだけでも正気を疑う顔をされるのに、問題はその次だ。なんと言っても肉は臭みが嫌われるので牛乳に漬け込み臭いを消して、もう一つ、焼く時に日本酒でフランベを行う。独特の獣臭さがほとんどなくなり酒精の香りもつく。そこに根菜の中でも香りの強いごぼうを笹切りにして添えるのだ。 …我ながら美味けりゃいいってものではない。 この時代の常識をとことんぶち壊す調理法は端から見たら得体の知れない魔術に等しい。羽柴兄弟をどうこう言えないくらいよくわからん店主に、改めて皆よくついてきてくれている。 終わったら全員分のクッキーを作ってあげよう。 なお、ステーキ丼はサブロー君に出したら大喜びして二杯お代わりしてくれた上に、事あるごとに牛肉食べたいとねだるようになった。 そう滅多に牛を潰すわけに行かないんだから、あんまりワガママ言うんじゃありません! 閑話休題。 秀長さんは大いに驚いた。 「殿、この美しい炎はなんという技法で?」 「……フランベという技法にございます…」 だが引いてない。 「ふらんべ…まったく一つ一つが目新しい、わしは今までこれほど面白き飯を見たことがござらぬ」 肉を牛乳に漬け込んだ時はどういう仕組みで臭いが消えるのか質問責めにされ、牛肉を叩く時は見よう見真似で手伝いすらしてくれた。フランベの炎はうちの一人が腰を抜かしさえしたというのにこの人は興味深げに見入り、今までに変わらぬからっとした笑顔でもっと褒めた。 なんでこんなにメンタル強いのこの人!? |