岐阜城下の賑わいの中を連れ立って歩きながら見ると、はつい先ほど贈ってやった髪飾りを気にして時折髪に手をやっている。
店まで迎えに行った時の普段着はさすがに改め、白抜きで花をあしらった藍色の小袖と深紅の髪紐。その辣腕からは意外な、なかなかおなごらしく可愛い色合わせをするものだと秀長は思う。
「その花細工は好みにござったか、殿」
「ええ、とても嬉しゅうございまするよ。ただ…わたくしは普段あまりこうした格好をいたしませぬので、少し落ち着かなくて」
「なるほど、職人ですからな。しかし勿体ない。このような好きおなごだというのに」
(そら、また困っておる)
人当たりにそつがなく誰に対してもにこやかだということは、出自や心の内へ踏み込まれることを嫌っていることに他ならぬ。今まではその浅い付き合いで通じたのだろうが、自分にまでそれがまかり通るとは思わぬことだ。
どのような腹積もりであったかはどうでもいいが、店を案内された時に聞いた幅広い知識。昼食を作った時の驚くべき技法。
あれを見せられては大人しく解放してやるわけにはいかぬ。
(なんと面白い…)
 
自分にとって最たるものはむろん兄だ。
溢れんばかりの殺意をこの身ひとつに向けられる、脳髄が痺れ、心の臓が熱くなるあの愉悦。あのときめき。まこと何者も及ぶ事なき死の魅惑である。思い返すだけでも興奮する。
だが、の纏う気はそれともちがう。男女の差がどうこうという話ですらない。
日の本の誰とも似つかぬはっきりとした異質であり、語る言の葉はみずみずしい叡智の輝きと、遙けき世界の彼方の匂いがする。
 
この菓子職人は一体どうした出自の女子であろうかと、羽柴秀長ははじめからそのように感じていた。
普段こそ職人にふさわしく地味ななりをしているが、毛色はまこと不可思議で捉えようがなく、よくよく聞けばその言の葉の端々には、意図はわかるがまるきり聞き馴染みのない言い回しがある。
普通なら困惑するばかりの信長の話やわけのわからぬ下知にも、眉一つ動かさず頷くだけであるが、おそらく知ったかぶって話を合わせているのではあるまい。
忍びの目にはわかる。あれは得心しているのだ。
軽くそこへ踏み込むとは笑って躱したが、それ以来あきらかに自分を警戒してかかったようだ。
その方がやりやすいと秀長は密かにほくそ笑んだ。
何よりも、余人を以て代え難きはその技の冴えであった。いつぞやの宵祭で食った溶けるような甘い菓子には驚いたが、なんでもそれはほんの序の口に過ぎず、岐阜城の信長には毎日毎晩のように味の異なる菓子が出されると聞く。
その着想は頭のどこから来るものかと興味を引かれていたところに、岐阜城での茶会に招かれた兄が嬉しい土産を持ち帰ってきたのを見つけた。
(余談であるが、自分を見るなり舌打ちをした兄の顔には「お前に土産などくれてやりたくもない」と書いてあった。眼福であった)
 
“兄上、此度はぜひわしに使いをお任せくだされ。
 ちょろちょろと小喧しいゆえ払いはしておきましたが、しかし浅井・朝倉の動きは今目が離せぬところでございましょう”
“わしの判断じゃ、己が出張るでないわ”
“またまたー、可愛い弟に土産の菓子まで持ってきてくれたお優しい兄上にござれば、この程度のお強請りは叶えてくださると信じておりますぞ?”
言い終わらぬうちに兄は自分の横腹に蹴りを入れた。
“ふん、大方あの職人の女が目当てであろうが”
“否定はいたしませぬが”
なんだかんだと言いながら、兄も気にはしているに違いないのだ。
あの職人は織田家中の誰とも実ににこやかに接し、円滑な付き合いをしているようではあるが、ならば男女の仲を匂わせて接近してみてはどうであろう。また違う反応が出てくるのではあるまいか。
そして、そのようなやり方ならば人員は自分をおいて他はない。
そう説くと道端の毛虫でも見るような目を向けられた。至福であった。
“…まあよいわ。行け”
“やはり兄上はお優しゅうござる! そのついでに頑張れの一言ぐらいいただければわしはもっと張り切りまするぞ? さあさあ”
軽口への返答は鞘尻での鋭い突きだった。
やはり兄とともに過ごす時間は格別である。
 
 * * *
 
「うむ…悪くはありませぬが、やはり及びませぬな?」
「またそのようなことを」
お茶屋さんの縁台で饅頭を頬張りながら、秀長さんは僅かにお道化て声を潜めた。
なおデバガメはうちの店だけではなく、顔見知りの店主さんまでちらちらと覗きに来ている。やめてくれないかと言いたいところだが、この間味噌を借りた手前強くは言えないのでもう放っておくことにした。
…ああ空が綺麗だなあ。
さて。なんだこいつと思わせるつもりが、昼食でますます評価を上げてしまったようで…秀長さんの態度はとても親しげになった。
どういうことなんだ…。
いや、今まで見る限りではとても好奇心豊かな人のようだし、あんな仏法の敵とでもいうべき暴挙を受け入れられるなら滅多なことじゃ引かないだろうし、普通にお付き合いもできそうなもんだが…漠然とした不安感を抱えたままの交際は困る。白髪が増えそうだ。
ただでさえ迂闊に未来の知識を見せたことは結構な悪手なのに。
 
「おちゃん?」
「…えっ」
考え込んでいたところに名を呼ばれて振り返ると、帰蝶様とお付きのみなさんを引き連れた、我等がスポンサーこと信長様がひらひらと手を振っていた。
(かち合った!)
「あれ、秀長くんも一緒だったんだ。ああそっか、こないだ言ってたデートだっけ」
それを受けて、とてもにこやかにご挨拶をする秀長さんの横顔を見ながら思う。
サブロー君、私は君に恩があるし友達だとも思っていますが、できればこの場では会いたくありませんでした。主に私と君と秀長さんの性格及びパワーバランスを考えて。
「よかったじゃん、楽しいみたいで」
「え、ええ、秀長さまは明るくてお話上手ですし、それにとてもお優しい殿方で…楽しゅうございまする」
「そうじゃな、端から見ておっても仲睦まじいようであった」
アッー。
「まあ…」
「あのおどのが?」
「これはひょっとするやも…」
物言う花の可憐な微笑みで援護射撃はやめて帰蝶様。侍女の皆さんがゴシップに目を輝かせていらっしゃいます。
きゃあきゃあと小鳥のように囀る皆さんの輪に参加していないのは、日頃から大人しいおゆきさんだけだ。それでもやっぱり若い女の子としては興味がないわけでもないのだろうか、私の動向を伺うようにちらちらとこっちを盗み見ている。
困るけどこれはこれでかわいい。
「でぇとを申し込まれたと聞いた時から、わたくしはおが幸せになってくれればよいとずっと願っておるが…どうなのじゃろう、秀長どの?」
善意の微笑みを前にして、私が否定するわけにもいかずごにょごにょと困っていると、その質問と皆さんの視線を受けた秀長さんは爽やかに笑った。
 
「勿論、この羽柴秀長は殿に惚れておりまする」
 
きゃあと高い歓声に交じって、私の耳には外堀の埋まる音が確かに聞こえた。
……とりあえず、公開告白というシチュエーションは少女漫画の中ぐらいでしかときめけないものだと思う。