「あっいたいた、秀吉くん、ちょっと待ってー」 盛況のうちに茶会も幕が下りたのちの事である。 後ろから主君に呼び止められた羽柴籐吉郎秀吉は、その呼び声に元気良く応えきびすを返した。つい先刻主君とそのお抱えの職人を思い切り誉め千切って媚びたばかりではあったが、愛想は過ぎるほどが良いものだ。 「秀吉くんさあ、弟くんいたでしょ?」 はいと作った笑顔が思わず引き攣りそうになった。 兄上兄上と事あるごとについて回り、自分のために死すことも厭わぬとうっとりと語るあの気色の悪い弟のことを、特別あれこれと信長に話したことなどは無論ない。 強いて接点を挙げるとするなら少しばかり前の宵祭だが、さて、あの阿呆は刺客を始末したこととそのへんの女子を引っかけることと、それでなくば酒をかっ食らう以外に何かしたのであろうか。 たいへんいやな予感がする。よもや信長にいらぬことを言っていたら腹に二、三蹴りを入れようと秀吉は思った。 「いやあ、愚弟にござりまするよ。しかし殿があやつめに、一体どういった…?」 「ほらあれ…宵祭の時だったと思うけど、秀長くんがおちゃんのお菓子のことすごい誉めてたんだよね。こんなの食べたことないって」 「まったくですな、あれほどの凄腕は見たことがございませぬ」 これはこれで本音ではあった。 とか言ったあの職人は、裕福な織田家が後ろ盾についているのをいいことに縦横無尽に腕を振るい、見たことも食したこともない新しきものを次々生み出している。 その腕が信長の専らの贔屓とされるゆえに、城下町のの名は良くも悪くも有名になりつつあった。 「うん、みんな褒めてくれておちゃんも喜ぶよ。それでこれ、おみやげなんだけど持ってってあげてくれる?」 主君の手から風呂敷包みがぐいと差し出される。 いやな予感は的中した。 何が悲しくてあのうつけに土産など持ち帰ってやらねばならぬ。そんな真似をしたが最後、秀長はどれほど気色悪い言動をするか知れたものではないではないか。 「し、しかし、殿のおやさしいお心遣いなれど、それがしの愚弟如きにもったいなきお言葉、却って…「や、いーんじゃない? おちゃんこのお茶会のためにすごいたくさん焼いてくれたし、余ったから他の人にもあげてるし」 「……。あ、有り難くいただきまする」 心中うんざりと礼を言いながら、秀長への蹴りは顔面に入れてやろうと秀吉は思い直した。 (それからこれは竹中に食わせよう) * * * 「…え、なにこれ」 「なにってさっき言ったじゃん、ラブレター。おちゃん宛てに」 「あの、ごめん、嫌いじゃないけどサブロー君のことは友達としか思ってないし、側女ってのもやっぱ奥さんに合わせる顔がないし「俺からじゃないよ?」 「あっそう、よかった」 「中は知らないけど、なんか今度デートしたいって言ってたみたいだよ。モテるねー」 「え? いやーそんな困ったなあ、でも織田家に出入りしてるってことはそれなりの社会的地位がある殿方だろうしそうなると満更でもないし、まずきちんとしたお付き合いを考えなきゃひぎぃ」 手紙をひっくり返して宛名を確認して、私は絶句した。 「あのさ…羽柴秀長さんって二回ぐらいしか会ったことないんだけどなんで…」 「ものすごくおいしかったんだって」 「なにが」 「お菓子が」 「いつの!」 「お茶会。…あれ、言ってなかったっけ? 余ったやつ持って帰ってねってうちの皆に配ったんだけど」 「なにしてくれんのよ!」 それはかまわない。置いといてカビでも生えたら困るし、下働きのみなさんにも大盤振る舞いをしたぐらいだ。それ自体はいい。 選りに選って私の要警戒リスト赤字入りの羽柴家になんでやってくれた! 「え? いけなかった? てか秀長くん嫌い?」 「好きとか嫌いとか…」 この場合私の好悪はさほど重要ではない。 もし仮に個人の性質が蛇蝎のごとく嫌われるようなものであったとしても、その腕に一定以上の実力があるならむしろ好もしい方に入るくらいだ。しかも利害で動くならことは分かり易い。それなら利用価値を示せばいい。自画自賛を恐れず言ってしまえば、未来人のアドバンテージをフル発揮してかなりいい商売をしている自信はある。 だからこそ某エロおやj…もとい、松永さんともそこそこの付き合いができているのだ。 何せ初見の第一声で「おうなんだオメェ、信長の妾にしちゃ年増な上に色気がねえなあ」なんて言った上に尻を触った。後に平成のヤクザだと聞いたのもまったく納得の、バリバリのセクハラオヤジである。 それゆえ(同郷人であることを差し引いても)個人的に嫌うなら真っ先に名前が挙がる人だが、まあ上記の如き次第で、私としては今のところ確たる悪感情はない。いずれ平成の肉料理を作る時にはお裾分けしてあげるもやぶさかではないくらい。 話はズレたがそういうことだ。 羽柴兄弟は好悪も利害も掴めず、胡散臭い。これに尽きる。 しかもこっちとしては後の天下人の弟のことだ、無碍に断るのもなんだから一回ぐらいは受ける必要がある。 「秀長さんなんだって?」 「うーん…現代語訳すると、今度岐阜城下まで行く用事があるからぜひお店に寄らせてもらいます、デートしてくださいって」 わりと普通にラブレターじゃないか。 「二回しか会ってないのに」 そのように零すと、サブロー君からは思った以上にもっともなご意見が返ってきた。 「え、まずはメールって普通でしょ? 平成でもそうじゃん」 「あっそうか」 会って話すには時間が取れないからまずメール。 おっしゃる通りだ。 (うん、そうだった) 人も人なら、こちらの男女関係も平成より重いからといって肩に力が入ったというか…その、ちょっと自意識過剰になっていたようでお恥ずかしい。 サブロー君が言うとおり手紙一通くらいのことで、受けるとしても結婚してくださいなんて言われた訳ではない。たかがデート一回だ。 今のところ好悪どころか興味の問題で、しかも向こうは選べる女なんか見た目も家柄も山ほどいる中、滅多に会えない女にかかずらわっている時間もないだろう。程々に好感を示しつつ、肝心の気はないですよという素振りを見せればよろしい。 うやむやは女の特権である。 そう考えると途端に気は楽になった。 「そうだね、うん、じゃあ後腐れないように適当にデートしてくるか」 「がんばってね」 |