大盛況とはいかないが、仏飯はひっそりと売れている。
直接お買い求めくださる人もいれば、裏口からそっと使いを寄越す人もいる。ついこの間は丹羽長秀さんがふらっと現れ、いつものように感情の伺えない平坦な目で「わしが米を噛うとなれば、共食いになるかのう…」などとよくわからないことを言いながら買って行かれた。
なんだったのかと思えば、最近流行の囃し歌のことだった。
かかれ柴田に退き佐久間、米五郎左に木綿籐吉…そのこころは、織田軍の中でも「勇猛果敢な柴田、退却戦に秀でた佐久間、米のように不可欠な丹羽、木綿のように丈夫な羽柴」の名物武将を歌ったものらしい。
なるほど、意味はわかったけどそれ言ったらご飯が食べられないだろう。
相変わらず不思議な人だ。
丹羽さんだけではない。日本の慣習には不慣れなはずのヤングさんが、日本人より遙かに神妙な顔をして手を合わせながら買っていったりもした。
森家の蘭丸君なんかも、裏口の前を何回も行きつ戻りつして、やっと入って来たと思えばまたあれこれと言い訳をしながら、最終的な着地点はお兄さんのためだということを嫌々明かして買った。ツンツンしてるけどそれなりに長可君を好きなんだろう。
それにお城に用があったついでにと、明智さんも来てくれた。
面倒をかけてしまった手前複雑な気持ちもあったものの、あれからまめに気遣ってくれるので話す回数も増えて…なんでも一回お土産にして以降、奥様と娘さんがうちのお菓子をずいぶん気に入ってくれたとか。ありがたいことだ。
私は稼がせてくれる人が大好きである。
そしてできれば触れたくなかったが、いつまでも現実逃避したところで仕方がない。
羽柴秀吉さんの話だ。あの人は案の定来ていない。
兄弟揃って営業スマイルがわかりやすいと言うか「人当たりのいいキャラを作っている」ことを隠していないと言おうか…何にしても努めてそういう顔を作るからには、その奥には迷信や宗教を切り捨てられる冷静さがあると思っていたが、やっぱりご本人は影も形も見えない。ひょっとしたら気にも留めていないんじゃないだろうか。
羽柴、竹中軍あたりは大将のみならず、指揮下の人もあまり見ない。縁起物ひとつでも各隊の毛色が分かるものだ。
ただ、秀吉さんの場合、城内で何回かお会いする度腕をべた誉めされるので、それなりの交流はある。
……彼によれば、このたび秀長さんが私の蛮行を聞きつけてますます興味津々…いや、怪我や疲れはないかとちょっかいを出…いやいや、気遣ってくださっている…らしい。
余談ながら、それを告げる秀吉さんの目も心なしか元気がなかった。あの兄弟は裏側に何があるというんだ。
秀吉さん曰く近々こっちに来られるということなので、クッキーを焼く窯の火の様子を見ながら、私は暫し(現実逃避という名の)考え事をしている。
(なんかあの人苦手なんだよなー…なんでだろ)
偏見を抜きにして普通に考えれば、普通にイケメンだ。
人当たりもいいし、背も高いし、武術にも秀でている。禄もなかなかで女あしらいも巧い。出自は農民でも、そこは織田の家風として出世に響くようなポイントではないだろう。
サブロー君にも指摘されたのでもう開き直ろう、戦国時代においては私は行き遅れも甚だしい年だ。しかも経産婦ならまだしもいまだ未婚、これは今の時代マイナスにしかならない。…さて、このスペックで、後の天下人の弟というのを差し引いてすら、彼以上の良縁が望めるか。
確実にノーだ。
しかも虐められたとかじゃない、むしろはっきり好意を示してくれている。
もともと私はこんなバリバリのキャリアウーマンやるつもりは…そこそこあったけど、ここで雇われる前の貧乏暮らしを思えば拘るべきことではない。
お気持ちを寄せてくれる人がいるならありがたく受けて、さっさと寿退職して悠々自適生活と洒落込むつもりではある。さすがにもう川辺に罠張って魚やカエル焼いて食べたり、鳥の巣に投石かまして雛鳥を奪って食べるような生活は謹んで遠慮したい。
ここは自分を生き残らせることを第一に考えて、いっそ結婚までこぎつけるのが最適解じゃないのか。
「……。」
天火竈が立てる炎の音に私の唸り声が混じる。
(でもなんか怖いんだよなあ!)
まさしく恋と恐怖は理屈の外であった。
嫌いというわけでもないのに、秀長さんへのこの苦手意識は本当にどこから来ているのか。自分でも不思議なのだ。
そもそも私はあんまり人が好きな方ではない。あちこちの勢力と交流を持っているのだって、こんな殺伐とした時代で暢気に人見知りしてたらあっという間に死ぬと力ずくでコミュ障をねじ伏せた後天的社交性だ。仕事と思えば愛想良くできるのだから、もうできればずっとビジネスの話だけしていたいくらいに。
だからあの人の、人心を見透かすような目が怖いのだろうか。
蛇に睨まれた蛙とはまさにあのこと。
目を合わせると声が出なくなりそうなところを、腹から気力を奮い起こしてにこやかに話したり軽い掛け合いをしているに過ぎない。
その事実を見抜かれるのがいやなだけか。
(今まで完全に引いた状態で接してたもんなあ…)
小窓から見える火をじっと見つめながら眉間に皺を寄せる。
学生の頃は苦手だった人付き合いも、必死でやればできたのだ。もう少し踏み込んで腹を割って、結婚前提とまではいかなくともお付き合いぐらいしてみるべきか。
イメージを先行させてろくに個人と向き合わずはいさようならじゃ、ついこの間決めた方針にも背くし、向こうにも失礼だ。
「……。」
晩夏の蝉がじわじわと鳴いている。
怖いけど。気は進まないけど。
私は一回思い切って秀長さんと対決するべきだ。
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