腕全体がびりびりと痛む。
先ほどまでは確かに感じられたものがひどくぼやけて霞んで、能力を使った後に生じる独特の疲労感が関節を軋ませる。まるで海に落ちた時のように、微妙に力が入らない。
こんな筈ではなかったが、これはこれでありかとも思っている。そうそう滅多に使わないから切り札ではあるのだけど、取っておいたまま目的の火拳のエースを死なせてしまったら意味がない。
だからこれでよかったのだ。
(火拳も解放できたし、後はどうやったら生きて逃げられるかだけど…)
インペルダウンで拝借したトライデントを振るい近くの海兵達を薙ぎ倒して、ひとつ息を付いた。
「…考えつかないなあ」
さて困った、どうなることか。あとは白ひげの親分か誰かが道を開いてくれるかもしれないけれど、とりあえず自分で自分の退路ぐらい確保してはおきたいものだ。
それにしても。
「解放したのはいいけど、あんな盛大にあちこち燃やしたら3兄さん原型なくなっちゃうんじゃないの?」
* * *
「んー!」
手足を固められて口を塞がれたのち無人の建物に引っ張り込まれて、後頭部で頭突きでも食らわしてやるかと思った矢先に聞き覚えのある声がした。
「静かに。敵じゃない。静かにしててくれたまえ、。私だガネ」
「3兄さん!?」
海軍の処刑人の服装と帽子で敵意を向けたものの、よく見れば味方だった。そして解除してもらって気付いたが、手足を固めていたのはドルドルの蝋の枷だった。
「どうしたのその格好。処刑人に化けて誰か騙し討ちにする気?」
「ふむ、当たらずとも遠からずだ。この姿なら怪しまれず処刑台の上まで行けるからな。…それで君をここに連れてきたのは他でもない、頼みがあるのだガネ」
「だいたいの予想は付くよ、このタイミングとその作戦で私に用って言ったら一つしかないはずだから」
「流石に話が早いな」
即ち、私の能力を使ってどこか火拳の近くに飛ばしてくれということだ。
「二階から双眼鏡で見たが、処刑台のすぐ下に鏡があった。太陽光を反射して光ったんだガネ。そこまで頼みたい」
「でも、3兄さんはそれを頼むことのリスクもわかってるよね」
「………。」
物言いたげに唇を噛みしめたところから察するに、あらかじめ十分予想していた反応なんだろう。
「頼む」
「そう言われたって」
「君しかいないんだガネ! いいか、君の能力なら誰にも気付かれず、スムーズに私を近くまで運べるだろう。味方も敵も多く注目の度合いの高い麦わらが暴れ回っている今なら、海軍の最高峰が味方…それも下っ端の顔が違うなどとはまず気付きはしない。それだから、今なら処刑人になり代わって、蝋で鍵を作る期を窺える。私が一番高確率でやれる!」
「理屈はわかるけど! でも私の能力はあらかじめ話したでしょう。最後の手段なのに今ここで使っちゃったら、あとどうやって逃げるっていうの!」
「だが、処刑の時刻は近い! 麦わらや大物連中はマークされている、これを逃したら火拳は助かるかどうかわからんのだガネ!」
こんなに熱い人だったろうか。脱獄組と一緒に文句を言っていたからこの戦争に用はないのだと思っていたけれど、そんな危険を冒してまで、
「火拳の生死を、どうしてそんなに気にするの。
3兄さんを疑う理由はないしそもそもこれ聞いてる時間も勿体ないけど、こっちだって余裕はないんだから、納得いく説明をしてくれなきゃ困るよ」
「Mr.2が」
「Mr.2…ボンボーイ?」
イワさんがそう呼んでいた。
「知っていたカネ」
「…いや、当り前だから」
こんなときになにをツッコませてくれる。
私はカマーランド組だ。直接話したのはほんの少しでも、彼がどれだけ情に厚いかみんな20時間以上見ていた。そうでなくてもあの軍艦にいた者が彼を知らないはずないじゃないか。
「ああ済まない、そうだった。Mr.2が最期になんと言ったか覚えているだろう」
「必ず兄貴を、救って来いって」
「その、手助けをしてやりたい。…一度は極寒地獄で奴を見捨ててしまった身だが…いや、だからこそ、せめての弔いと償いにできることをしたい。そう言ったら君は、私を笑うカネ?」
なんて質問だ。
「逆に聞きたいんだけど、笑うと思ってる?」
「私は笑ってきた。人の感情を、厚意を、忠誠を、友愛を、どれだけ笑い飛ばして踏みにじって来たかわからない。今までずっとだ。
だから、今更何だと…お前の自己満足でどうして私の作戦を台無しにしなきゃならないと嘲笑されても、仕方がないとは思っているのだガネ…だけど、頼む。それを承知で頼むのだガネ、。君の能力を、君の切り札を私にくれ!
私を男にしてくれ!」
「…ねえ」
「なんだ」
「3兄さんがあと15も若かったら、私の肩掴んでそれって取り返しのつかないセクハラ台詞よ」
………。
「 ア ホ か 君 は ァ ! 」
あえて真顔で呟いてみたこちらの言葉に一瞬固まった後、建物に隠れた意味がなくなりかねないような大音量で怒鳴り倒された。いや、本当に誰か気付いてないだろうな。
ああ、でもやっぱりこれがいい。
それこそ蝋燭のように熱いのも悪くないが、3兄さんはバカやったりしょうもないこと言ったりする人にツッコミ入れるのがやっぱり似合うじゃないか。
「そんなことはともかくね、ほんと、冗談じゃないってのよ」
「う…、済まない」
「気が変わったのか最初からそうだったか知らないけど、自分の意地や感情論でせっかく確保しておいた退路を潰すような、そんなバカって、」
「!」
「私、大好きよ」
「………え?」
「3兄さんってばつくづく小物でろくでなしだけど、ひとでなしじゃないのね」
ああ、インペルダウンに入っていて、結果としてこうなったんだったか。
「いい、わかった。私の気が変わらないうちに早くここから出て…そうか、蝋で足場を作る必要はないんだった…どっかの瓦礫に乗ってくれればいいわ、それで鏡のとこに飛ばすから」
「本当カネ!?」
今ここでイヤだとか言ったら私こそ本格的にひとでなしだ。
「あ、有り難い! 恩に着るガネ!」
「あとで盛大に着てもらうから早く!」
表に飛び出し、手近な瓦礫のひとつに飛び乗ったのを確認してから、懐の手鏡を出してしばし道を探る。すぐに見つかった。女性将校あたりが落としたのかもしれない、私のそれとサイズもあまり変わらない小さな手鏡。
私は「ミラミラの実」の鏡人間。体を鏡にすることで光そのものは勿論、炎やマグマ…光を発する攻撃を跳ね返せる。
(私が未熟なのかもともと実の特性がそうなのかはわからないが)様々な条件はあっても、鏡を通すことで誰にも気取られず物や人を運ぶこともできる。…ただし体力の消費がひどいので、一日一度しか使えないのが難点だが。
それだから渋ったのだ。次に使えるようになった頃にはたぶん戦争は終わっているだろうし。これ以外に私がどうこうできることなんてなさそうだし。
「だけどもう後のことは知らない! なるようになりゃァいいのよ!
行ってらっしゃい!」
「ミラミラの実」能力全容
・身体を鏡に変え、能力かどうかは関係なく光を発する系統の攻撃を跳ね返す。(黄猿大将の攻撃、パシフィスタのレーザー、エースの火拳、赤犬大将のマグマ辺り)
・視認できる程度の範囲内でなら(自分一人だけ)鏡の中を渡ることも可能。鏡を割っても能力に影響は出ないため、遊園地のミラーハウスなどでは最悪に厄介な暗殺者に変貌する。
・ビブルカードのようにどこかに自分の一部を使って作られた鏡であれば、視認できる範囲と言わず海を越える距離でも飛ばすことはできる。
・鏡を通じて自分以外の生き物を運ぶことは基本的にできないが、何か大きな無機物に掴まってさえいれば一人でも何百人でも一緒に運ぶことが可能。作中ではMr.3の蝋で大きな足場を作り、それにできる限りの人数を捕まらせて、遠くに置いてきた自分の鏡のもとまで飛ばすつもりだった。なお、何百人単位は話の時点で未挑戦(本人いわく「理論上はできるはず」)。
・大技である分体力消費は非常に激しい。エンポリオ・テンションホルモンを持ってしても回復は不可能。