「ねえ、3兄さん。ちょっと提案があるんだけど」
そんな前置きで示された作戦は奇抜というか、大層突拍子もないものだった。




「つまり君と私の能力をうまく合わせれば、首尾良く逃げられる可能性があると」
「そ。まあ人数は限られてくるけど、それでもこの案なら相当の人数イケると思う」
「ふむ…確かに。理屈としては可能だガネ」
人気のない物陰に身を潜めて、口早に囁き交わす。
あまり大々的にしたい話ではないというのでついて来てみれば、カマーランド組…革命軍の一人である彼女は(非常にどうでもいいが彼等の中では珍しく、生まれてこの方女だそうである)軍艦を奪い取りここまで来る間に、海軍本部へ乗り込んだとしてもどうにか逃げられるだけの方法をずっと模索していたのだと告げた。
「しかし驚いたな。私以外にまだ逃げ道など探す奴がいたとは」
それも革命軍の中に。
言外にそう示すと、は自嘲ともとれる笑いかたでくつくつと喉を震わせた。
「そりゃあこういう奴も中にはいるよ。いくらなんだって、好き好んで命投げ出すほどドMじゃないもの。
 ああ、でも、間違えないで。イワさんたちのことは大好きなの。恩もある。もちろん麦ちゃんもね。だからできる限り全員で助かるために頑張ってはみるけど…結局自分が一番大事だし生き残ることを最優先してるから、逃げ道は確保しておきたいわけよ。卑劣は承知でね」
「一番賢いスタンスだガネ」
「ありがと。それから頼みがあるんだけど、この話は当面誰にも言わないでおいてくれない? 下手に抜け道があるなんて知らせちゃったら脱獄組の連中、逃げることしか考えなくなるだろうからね。また騒ぎになったら困るもの」
続けられた言葉に頷きながらも、それと同時に無性に笑えてきた。
この感覚には覚えがある。巨人達の決闘場で感じたものと似た…かりかりと胸の奥底を引っ掻かれるような、得体の知れない不快感。
(…ずいぶんと、笑わせてくれる)
では何か。この女は自分が信用に足る相手だと思ってこんな計画を打ち明けたと言うのか。
「なら、私には聞かせても?」
「そりゃ、知っといてもらわないと。何も言わずにおいて、その結果私の知らないとこでうっかり死んじゃってましたーじゃ笑い話にもなりゃしない。だからくれぐれも死なないで、できればいつでも能力使えるようにしといてくれると助かるかな」
「ほう。
 ならば私が命惜しさに、移動手段である君だけ拉致してどこかへ逃げないとは言い切れるカネ?」
せいぜい困って悩むがいい。
目を丸くした表情にそう溜飲を下げた瞬間、
「3兄さんは、さ…」
「ん?」
「そんなに私と駆け落ちしたいわけ?」
間髪入れず、とんでもない爆弾を投げつけられた。


「 ア ホ か 君 は ァ !
 文脈を読みたまえよ、誰がそんなこと言っとったカネ!」


「あっはっはっは! いやごめんごめん、冗談!」
あまりといえばあまりの返答である。
隠れた意味がないほど張り上げた声に返ってきたのは、笑い混じりの謝罪だった。…いや、むしろ謝罪がわずかに混じっただけの笑い声と言うべきか。
「ごめんって。あんまり真剣に言うから、ついからかってみたくなって。でもそうとも取れるよ、誤解を招くような脅し文句はやめた方がいいね。
 まあともかく。…だってね、能力者だけどたいして強いわけでもないし、特に何かそれ以外を持ってるわけでもない…ぶっちゃけ取り柄なんて人より多少口と頭が回るだけの、この私が、会ったばかりの人間に能力明かすなんて大博打もいいところでしょ。態々それだけのことをするからには、リスクの一つや二つは覚悟の上」
「だから私を信用すると?」
「ううん、信用じゃないけど」
(…やはり)
それ見たことか。こんなものだ。
いったい何を期待しかけた。大方この女だって自分のことなど、生き延びるために都合のいい駒としか捉えているまい。策略家などという人種は概ね…取り入るか取り立てるかの違いこそあれ…他人を利用することしか考えないものだと分かっていたはずだろうに。
そう思った瞬間、見透かすようなタイミングで言葉が続く。
「信頼よ、3兄さん」


心臓が跳ね上がった。
(こんな程度の、一言で、まさか)
心中の動揺を知ってか知らずか、はすいと歩を進めて、距離を詰めた。
「だからね、」
手を伸ばせば触れられるほどの至近距離で漆黒の目が瞬いて、戸をノックするようなごく軽い力で、細い手の甲が自分の胸を叩く。
心臓の位置を。
「あとは3兄さんの心一つ。信じて計画を明かした以上、どう出ようが文句はないよ。まァ、いよいよとなったら一緒に逃避行でもなんでもしようじゃないの」
「!」
にやりと不敵に口角を上げた、一般的に見れば悪党そのものと見える笑い方が、
一瞬で蝋燭に火を付けた。
(い…いやいやそんな、そんな馬鹿な! まさか私がそんな、簡単に…)
「…どう、して」
「ん?」
「どうやったら、そんなことが言える…あの連中の中ではまだ利口そうに見えたが、君は…大した、大馬鹿だガネ…」
「いやあ、もっと上がいるからね。さすがに麦ちゃんには負けるでしょ」
「あれに勝ったらそれこそどうかと思うが」
第一あの麦わらはどこをどこからどうひねっても、一見してすら利口には見えないだろうに。力無く呟いた言葉に、しかしなぜだか明後日の方向から一斉に肯定が返ってきた。
「「…え?」」


「んん? おれそんなにバカか?」
「おめェを指して利口だなんて言う奴がいようもんなら、おれァ酒の席での肴にして数年は笑う自信があらァな」
「そうかァ?」
真後ろにいたのは。
麦わらのルフィ。道化のバギー。“オカマ王”エンポリオ・イワンコフ。元七武海、海侠のジンべエ。バロックワークス元社長、サー・クロコダイル。Mr.1ことダズ・ボーネス。他大勢のニューカマー組や脱獄囚達。
「あれ、皆いたの。どこらへんから聞いてた?」
「『どうやったらそんなことが』…あたりか。にしてもお前達、一体何を話してた」
「参ったなァ…やっぱ教えなきゃ駄目?」
「それァそうだろうよ。クハハハ…それともなにか、小物二人で仲良く逃げる相談でもしてやがったか」
「ああ、うん、そうかも」
全身から血の気が引くと同時、この状況で顔色一つ変えずそう言える彼女は尊敬に値するとさえ思った。元七武海はこの場に二人いるが、危険度はクロコダイルの方が遥かに高いだろうに(かの魚人海賊団の船長は、少なくとも元上司に比べたらまだずっと温厚そうだ)、その特上の危険人物を前にこれほどまでの胆の据わりよう。はっきり言って実に羨ましい。
思わずそんな現実逃避をした途端。
「いや…3兄さんが、いざとなったら私を拐って遠くへ逃げるって言うから」


一瞬の沈黙の後わき起こった歓声や、飛び交う口笛やら冷やかし文句に本気で頭が痛くなった。


「 い く ら 何 で も (なんて誤魔化し方をするのカネ! 君は!)」
「ああうん…まあ、ごめん(だってこういうことにしとくのが一番手っ取り早いから)」
「おいおい堂々たる駆け落ち宣言ったァ随分ハデじゃねェか相棒! てめェこの色男!」
「なんだよー、お前らやっぱ逃げる相談してたん「バカ野郎! おめェ分かっちゃねえなァおい麦わら…察してやれよ。Mr.3はつまりあの女に惚れてんだって」
「おおー! 応援するぜェ3兄さん!」
「そういう意図か、くだらねェ…勝手にしやがれ」
「若い者は元気じゃのう」
「ヒーハー! なかなか情熱的なこと言うじゃないのォ? 3ボーイ? は革命軍の大事なニューカマーだけど、そこはヴァナタの気持ち次第…どうしてもって言うならあげないこともナっサブルよ!」


「だってさ。何ならほんとにどっか逃げちゃう?」
「…もう好きに言ったらいいガネ…」