熱のせいだろう、思考がぼやける。暑くて寒い。呼吸する度に喉が痛む。
風邪を引いた。
こうなってしまえばもう眠るしか道はないし、調子を崩したときは人間いくらでも眠れるものだ。
先だってのアラミゴの解放、加えて廃王テオドリックが残した秘宝の発見…もういっちょアラミゴとウルダハの共同事業の取り付けなどなど、最近仕事は山とこなしてきた私である。体調を壊したと正直に告げると、皆に口を揃えてほら見ろ言わんことじゃないと怒られた。
大人しく寝ていろとばかりアパルトメントに放り込まれたので、この際お言葉に甘えて普段できないほどの惰眠をむさぼるつもりだ。
どうせ他にやることもない。
「……あ、」
まだ処理していない予定がひとつあった。
私は今日をそれはもう楽しみに待っていたが、こんな状態では表に出られまい。
(残念だけど、今出てってうつしてもなあ)
それ以前にまたしこたま怒られそうだ。怒られるのもいいものだが時と場合による。
腕を伸ばし、はずして側に置いてあったパールを取った。
 
 * * *
 
しばし経って、リンクパールの呼び出し音が私の意識を引き戻した。
どれほど寝ていただろう。体感では昼前くらいだと思うが、今は仕事の話を暁から断ってもらっているはずなので、わざわざパールを慣らす相手はいないはずだが。
「はい」
「ワシだ」
「えっ」
誰だ、というには声も一人称も覚えがありすぎる。
眠る直前まで考えてた相手を誰が間違うものか。
「もしもし…ど、どうかしたんですか。なにか火急の用事でもできました?」
「火急と言うならそうかもしれんな。戸を開けろ」
「は?」
さっきとろくに変わらない間抜けな声が出た。
咎められはしなかったが、通話の向こうからは小さな…声でわかるほど苛立った溜息が返ってきた。
「何度も言わせるな。いいから部屋の戸を開けろ」
「はあ…」
おもてを見ろと言うだけのことだ、つべこべゴネても仕方がない。ベッドから降りて殺風景な部屋を横切り、言われるままに鍵を開けて表をちらりと…
 
「手間を掛けさせおって」
「ファッ!?」
 
ララフェルの小さな体躯でいつものように傲然と腕を組み、砂と日除けのバイザーのむこうから愛想のひとつもなくこちらを睨みつける姿も、なんともいえずいつもの通り。
ロロリト・ナナリト会長が実に不機嫌そうに立っていた。
 
「こんなところで立ち話をするわけにいかん。入るぞ」
「えっちょ、なんですかこれ、何しにうわっ」
「お前はここで帰れ」
「はっ」
上役が部屋に入ったのを見届けると、お付きの銅刃団の人は荷をこちらの手へ持たせて(内心はどうあれ)顔にいっさいの表情を出さず、余計な口も一言も利かず、アパルトメントの廊下を足早に去っていった。
…あれはまず下っ端の挙動ではないな。
「こんなことのために銅刃団つれてきたんですか」
「何がこんなことだ、口外されるリスクを考えてもみろ」
ウルダハ砂蠍衆のトップと光の戦士が密会とか、人並みの頭があれば、それこそこんなことおっかなくて口外できないと思うけど。
「物のない部屋だな」
「あんまり帰らないもので」
かりそめにも未婚女性の部屋にずかずかと上がっておいて、まず一言めに言うことかこのジジイ。
とまれ、あまり家具がないのは指摘通りだ。寝心地が悪いとつらいのでベッドと布団はふかふかした上等のものを使っているが、それ以外といえば書き物机とクローゼットとリテイナー呼び出しベル、あと最近備え付けた調理台くらいか。
「それで、いきなりいらしたのはやっぱりこの荷物に関わる話ですか」
部屋着のままだったので近くの上着を羽織りながら、ぼんやりする頭を多少引き締める。
…そのとたんに、まるでかわいそうな子を見るようなでかい溜息を吐かれた。私何かおかしなこと言ったっけ。
「お前の故郷には見舞いという習慣はないのか?」
「えっ」
なにそれ。
いや知ってる。知ってますよ。でもさ。
「そんなヒトらしい心がおありだったんですか」
「ほう、もう二度と会いたくないと言うことか「とんでも、なゴフッ…、!」
反射的に遮った勢いでひどく喉が痛んだ。
咳込むと頭も痛むしくらくらするし、道端の団子虫よろしく背を丸めたこちらを、老商人はじっとりと見つめてくださった。
「空いた時間で来たのだ、おかしいこともなかろう。お前に倒れられては困ることも多いのでな」
「あ、りがとう、ございます」
いや、嬉しい。
正直に言って嬉しい。会いたかったし。
なんだかんだ言いつつこのクソジジイ、ウルダハでは珍しい新鮮な果物に加えてアイスシャードをいくつかと、ついでに体の温まるスパイスまで包んでくれているのが見えて…言い方はあれだがまっとうに心配してくれたのかと思うとまったく、言葉が見つからないほど嬉しい。困る。
偏屈な人だと思ったけどそれくらいの情はあって…ついでにちょっと自惚れるなら、私にも少なからず向けてはくれているのだ。
これはなかなか顔がにやける。
「なんだその嬉しそうな顔は」
「そう言われても困りますよ、嬉しいんですから」
この人のことだ、用が済んだらさっさと帰りそうだから今のうちにしこたまお礼を言っておこう。
そんなことを思った時だった。
 
二人分の足音とかすかな話し声。そのあとにノックの音が聞こえる。
「起きてるかな」
「さっき通話したばかりだから、眠ってはいないと思うけれど」
 
全身の産毛が逆立った。
(リセとヤ・シュトラ!)
 
これはまずいことになった。なんでこのタイミングなのだ。
仮に表で二人でいたなら仕事の話にしか見えないし、あと十分ほどもずれていたらそもそもかち合うこともなかっただろう。だが今この場はまずい。大いにまずい。
公的にはこの人とは別に仲良くないことになっているのだ。
窓から出そうにもここは三階だ。私やリセやアリゼーなら飛べる高さだが、老境の商人にそれを望むのは酷だろう。
「落ち着け」
私が言い訳を考えるのに対し、向こうは向こうで、存在を悟られない方向に考えがシフトしたらしい。
「ワシの図体ならば隠れる場所には困らん。適当にやり過ごせ、いいな」
冷静なのか、それともそれなりに慌てているけど端から見るとわからないだけなのか。言い置いて早足に部屋を横切り、ララフェルの小さな手がクローゼットの戸を開けようとする。
(あそこじゃだめだ、洗濯物はないかって開けられたらアウトだ!)
異性ならばともかく、私と彼女達なら気心知れているから結構あり得る。
私は勢い込んで立ち上がった。
「そこは危ないです、こっちへ」
言い訳をさせてほしい。私は熱も加わってかなりテンパっていた。
後に考えれば、二人を待たせてあるこの時間を使って、テレポで人気の少ないブラックブラッシュあたりにでも飛んで放り出せばよかった。そうすれば子供でもあるまいし普通に帰ったはずだ。
まことに焦るとろくなことにならない。
 
「おい下ろせ、貴様何を「黙っててくださいね!」
脇から手を入れて持ち上げ、ベッドへ引き返し、小さな体を有無を言わせず掛け布団の中へ押し込むと、ノックに応えて戸を開けた。
 
…彼女たち二人を招き入れてから、そういえば寝たふりでもしていればよかったと気付いた。