誰であろうと忙しい時期だった。
ましてやウルダハ富裕層となればなおのこと予定が詰まる。昼は各国を飛び回っての商談や各種決めごとの会議、さらに夜毎に開催される舞踏会や食事会における貴族や商人は、リムサ・ロミンサの海賊もかくやというほど肉を食らい酒を飲む。
若い頃はどれほどでも動き回っていられたように思えるが、いかな百億ギルの男であろうと、流石に六十を数えた身では疲労も簡単には取れなくなるものだ。
「……。」
状況を考えれば決してそれどころではないというのに、疲れの抜けぬ体は精神を裏切って眠気を訴えてくる。
肌触りのいい布団に、ほどほどの音量の人の声。
自分を腹のあたりに抱き込んだままの体は冒険者らしく筋肉質で、加えて熱発した体温が危機感にも増して睡魔を誘う。
 
「でもさ、アタシちょっと安心したよ」
「え?」
「だって調理場にあった荷物、あれお見舞いでしょ? たまに話してる好きな人、来てくれたんだよね」
「えーと…うん、まあ、うん」
「あら、これだけのものを用意するのはウルダハでは大変なはずよ。アイスシャードまで一緒に持ってきてくれて…随分大事にされているのね」
 
ロロリト・ナナリトは静かに舌打ちを噛み殺した。
その途端、まあまあそう怒らないでくださいとでもいうような、宥めるような手付きで、光の戦士がこちらの背を軽く叩いた。
(わかっておる)
もとを正せば、なぜ寝ていることにして押し通さなかったのかと思わぬでもない。
ないが、こうなったらなったで不平を言おうがどうにもならぬ。己の苛立ちは着実に増していくとしても。
 
「しかも私達より前に早々に駆けつけてくれるんだから、そう目のない話でもないでしょう?」
「どうなんでしょうね…」
時間が空いただけのことである。
それだけではあるが弁明はできない。そもそも自分はなんと紹介されているのだ。…この様子ではあれこれと姦しく詮索されたのであろうが、後で問い詰めておくべきか。
 
「帰る前に何か消化のいいものを作っておくわ。食欲が湧いたら食べてちょうだい」
「アタシはそうだなあ…あ、洗濯物ある? やっておくよ」
「うん…ありがとう、じゃあクローゼットにあるから、お願いしようかな」
 
二人がおのおの動き出したあたりで、まるで時限爆弾の残り時間を伺うような目をして、英雄が布団へ頭ごと潜り込んできた。
「よ、よかったですね、間一髪でしたよ」
「…なぜここに入れた」
周囲に誰もいなければ怒鳴りつけるところであったが、声を潜めてもこちらの怒りは少なからず伝わっているだろう。
彼女は視線をさまよわせながらへどもどと言い訳をした。
「で、ですから、クローゼットはやばかったでしょう。変態ジジイ呼ばわりされたいんですか」
「仮に見つかったら言い訳もできん場所に押し込めてどの口が抜かす」
「逆にどこだって言い訳の余地はないんだから、一番見つかりにくい場所でまちがいはないと思ってですね」
暁に病人の布団を剥ぐようなアホはいませんと続いたが、いくらララフェルの体格だからといっても、目と鼻の先に隠す底抜けの阿呆がここにいるではないか。
「チッ…暑苦しい」
「もう少し我慢してくださいよ、砂漠生まれのデューンフォークでしょ」
 
「ねえ、こっちのカゴの服なんだけど「どうかした?」
 
咄嗟に口を塞がれ腹に抱き込まれながら、小娘どもを返したあと何を言ってやるべきかと、ロロリト・ナナリトはゆっくりと思考を回し始めた。
 
 * * *
 
ドアが閉まって数十秒。さすがにもう戻っては来ないだろう。
せっかく心配して見舞いに来てくれた手前二人には申し訳ないが、今日ばかりはありがたくも心底困り果てた時間だった。
「ふー…」
なんで本来安静にするべき病人がこんないやな汗をかいているのだ。
「おつかれさまです、帰りましたよ」
手近なタオルを取って額に浮かんだ汗を拭き、寝台の方へ声をかける。
今現在、この人とはつかず離れずという立場同士である。製塩工場の立ち上げでそれなりに交流はあるが、いくらなんでも風邪で臥せっている26の娘さんの寝床から還暦の爺さんが這い出してきたらと思うともう、反応の想像すらできないレベルだ。
その結果約二十分ほど布団に突っ込んでしまったが、もう途中からリアクションが怖くて確認のしようもなかった。
「…あれ?」
不機嫌極まる顔をしてすぐ出てくるだろうと思ったが、意に反して掛け布団は動かない。
これでコスタ・デル・ソルの大地主、ゲゲルジュ氏なら「子猫ちゃんと一緒に寝たいんじゃよ〜♪」なんて嬉しそうに調子をこくかもしれないが、相手は私が知る限りララフェルいちの堅物。そんなこと言ったら病院にかつぎ込まねばならない。
 
「どうかしま…」
軽く布団を捲って、驚いた。
ララフェルの小さな体はうつ伏せになったまま微動だにせず、マスクひとつ外さぬまま、断続的に浅く息をついている。
「……。」
まさかの就寝。
 
普段は死んでも見せなさそうな姿だが、新事業も始まって忙しくなる時期のこと、ずいぶんお疲れだったんだろう。いくばくか睡眠時間を削っている可能性も高かった。
(…ちょっと嬉しいな)
疲れと睡眠不足に加えて布団の中に抱え込まれ、暖かい中で身動きも取れなければ意識が落ちても不思議はない。ないんだけど…ああ、ひんがしの国では確かこういうのを「熱に当たって鬼も倒れる」とか言うんだったか。
すごい役得きちゃったこれ。
 
起こしても起こさなくても怒られそうだから、もうちょっとだけ見ていようか…。
 
 
 
数日後。
クガネに渡った際ハンコックさんから聞いた話だが、ロロリト会長は謎の風邪をこじらせて床に臥せっているとか。
……原因は明白だった。
あとで果物持って謝りに行こう。