ひゅうひゅうと悲しげに風が歌う。亡霊のすすり泣くような、ひどくさびしい音がする。
近くでは、まるで肺を病んだような嗄れ声の鴉が鳴いている。
常にはかんと冴え返った冬月もどこかおぼろげに見える、闇すら冷たく凝った京の夜。
腹に赤々と咲いた内蔵の華もすっかり温度を無くして、なかば凍り付いたむくろの懐に手を差し入れ、娘は震えを押し殺しながら懐中のものを探っていた。
いかな手練れにやられたものか。逆袈裟に一太刀、ばっさりと斬り倒されたその男に最早語る術はなかったが、その身に纏った…いまや京の町で知らぬもののない浅葱段だらの羽織は、百の言葉よりも雄弁に男の身元を物語っていた。
壬生の狼、新撰組。
気位が高く線の細い京の者は、侮蔑と僅かながらの憧れを籠めて、その男達をみぶろと呼んだ。
組織を束ねる固い法度のことを娘は決して知らぬではなかったが、さし当たってそれよりも急を要することがある。
これを逃せば飢えて苦しむ。
 
この近辺には人斬り抜刀斎が出る。
そうと聞いてはいかに立て続けの厄介ごとに見舞われ、いやでも慣れが来た京の者といえど、自然と足は遠のく。身寄りのない若い物乞いに落とす金もなくなる。
気がついたらここにいた娘は、自分の境遇を誰それと比べて嘆き悲しんだこともなければ、どこの誰よりはまだしも恵まれているなどと自己暗示をかけるたちでもなかった。
自分を生かすために取れるものを取る。
 
手を血に汚しながら懐の財布を探り当てるのと、後ろからがしりと頭を掴まれるのは同時だった。
 
「そういうのはな、小娘」
「ひっ」
誰も彼もが危険と隣り合わせの京の町で暮らす以上、物乞いですら…むしろ身寄りも後ろ盾もない弱者であればこそ、危機を避ける術はそれなりに身につけている。そうでなくば三日と持たず死ぬ。
そのはずが、完全に意識の外から近寄られた。
周囲に人の気配はなく、壬生狼の警邏もまだ来ないはずだったというのに。
「始末が面倒臭いんだ、俺が来る前にやっておけ」
背後の男の手にぐっと力が籠った。
ただ打ち付けるだけでは決してこうはならぬ、頭を割られるような痛みに思わず身悶えると、手が離れるどころか余計に痛みは増し、本来聞こえるはずもない頭蓋骨の軋む音がする。
それと同時に、背を向けていてなおはっきりと、苦みの強い煙の匂いが鼻腔を通っていった。
「い゙…ッ」
「斬られて随分経ってるだろうが。俺は好き好んで餓鬼を斬るほど物好きじゃないが、見たからにはこのままでは済ませられん」
まあ、うちにはガキを斬るのが一番愉しいなぞと抜かす気違いもいるが。
そう呟いて、男は野良猫を放り捨てるようにぽいと手を離した。
「……。」
背を押された勢いのままに数歩を走り、浅葱の羽織のむくろを通り越し…娘はそこで足を竦ませて凍り付いた。
夜毎に京の町をひんやりと覆う、盆地特有の冷気よりもなお強く。
殺気とでも呼ぶべきなにかが娘の足を捕らえ、その場に釘付けた。
 
今逃亡の姿勢を見せれば、煙の匂いの男は厭も応もなく自分を斬る。
娘は自らの奥底で生存本能が上げる叫びを聞かなかったことにも、まして無視して走って逃げることもできはしなかった。
「一応聞く。なぜ逃げん?」
獣の気配が再度近寄って来る。
「に、…ッ」
色濃い死の匂いに竦みながら、娘は丹田に気力を込めて細く掠れた声を絞り出した。
「に、逃げ、たら…死ぬから」
「ふん」
背後の狼の声がわずかに緩まった。…ように、娘は感じた。
「阿呆だが、心底の阿呆でもないか」
 
「来い」
「えっ」
「危険を承知で狼の死骸を漁りに来る生き汚さがあるなら、いっそ巣穴で決死のご奉公でもやってみろ。…ちょうどこの前雑用の若い隊士が死んで、手が足りんところだ。
 断ってもかまわんが、残る道はここで死ぬだけになる。勧めはせんな」
 
引き締まった痩身、背に隊長職の印が入った浅葱段だらの羽織。黒い総髪を申し訳程度に髷に結い、前髪を簾のように幾筋か下ろした…改めて見れば意外なほど若い男だ。
重く濁った闇の中にあってなおはっきりと、男の刀のはばき元に刻まれた文字が、ようやく振り返ることのできた娘の目に映った。
 
悪・即・斬。