「んあ? なんだお前」
「…わ、たしの、台詞なんですけどね」
なんだろうこのあからさまな不審者は。

空から降ってきた麦藁帽子の少年を目の前に、は一瞬固まりついた。
どんな身体の作りをしているのか知らないが、三階分の高さからいとも軽々と飛び降りてきたかと思えば、くるりとに向き直ってにっかり笑う。幾度かの瞬きとともにその笑顔を見返すと、彼は何の頓着もなく距離を詰めてきた。
「あの、…君、外の人?」
世界政府の高官やら護送される罪人やらが通るのだ。場所柄当然のことではあるが、エニエス・ロビーにはあまり外の島の者が入ってくることはない。故に、島に住む住民や衛兵ならば大体似通ってくるその雰囲気の中にあって、彼ははっきりと浮いている。
「おれか? 海賊だ!」
「海賊?」
「おう」
「本当に?」
「なんでだ?」
「…なんでっていうか」
始めて見たのだ。
エニエス・ロビーで生まれ育って、外に出たことすら数えるほどという身のには、海賊など話に聞くものでしかなかった。目の前の少年の存在はどうにも信じられない。
(通報…)
したほうがいいのだろうか。
するようにと教え込まれている。そのために子電伝虫まで持たされているのだ。
この島は司法の島。住む人間は絶対の正義に守られる身であり、また正義を執行するに値する者でもあるのだから、罷り間違っても見逃すことなど許されない。幼少期から耳にタコが出来るほど言い含められてきた、執行者としての意識を持つように、なる道徳と照らし合わせて考えれば、こんなところで立ち話をしていることだって決して褒められたことではあるまい。
けれど。
(怖くない。海賊なのに…なんか悪い人っぽくない)
聞いた話によれば、海賊などというものは金や食料や綺麗な女を見ればなんの躊躇いもなく奪って殺して悪辣の限りを尽くす、残虐非道の荒くれ男どもの集まりではなかったのか。
「ここには、なにしに来たの?」
「仲間を取り返しに来たんだ!」
目を見張った。
喧嘩を売りに来たようなものではないか。そんな理由で、この不落の司法の島に。

「お前知らねえか? ニコ・ロビンっていうんだ、髪と服が黒くて背の高い女」
「その人は知らないけど、海賊なら裁判所を通って司法の塔だから…たぶん向こうのほうに連行されたんじゃないかな」
「そっか、ありがとう!」
は混乱し通しだった。なにを自分はぺらぺらと、そんなことを。
「ねえ、聞いていい? 本当に、その人を取り返すつもりなの? …できると、思うの?」
「ヘンなこと聞くなあ。思ってなきゃ来ねえだろ」
「…そうか。そうかもね」
目の前の彼は何か常識を狂わせる磁力を発しているのかと思うほど。自分が自分でなくなっていくような、一秒ごとに世界を塗り替えられるような、それはもう圧倒的な爽快感。
眩暈がしそうだ。
「じゃあな!」
「あ! 待って!」
駆け出そうとする少年を思わず呼び止める。
彼はその場で足踏みをしながら、怪訝そうな顔をして振り返った。


「ん?」
「一緒に連れてって!」


咄嗟に口から飛び出したあまりにも頓狂な言葉に、今度こそは自分の頭を疑った。
自分はなにを言っているんだ。
しかし、それに対する答えも負けず劣らず突拍子のないものだったけれど。

「おう、いいぞ!」
「えっ!」
「あ。でも今おれ忙しいからよ、ウォーターセブンって島のアイスバーグってオッサンのとこで待ってろ。すぐ行くから」
「え、え…」
いいのかそれは。
今会ったばかりの、しかも政府の島の女を。


「じゃあ、またなー!」

彼はの戸惑いなど知ったことではないと言いたげに、あろうことか腕をゴムのように(というよりも、それはまさにゴムそのものとしか見えなかったけれど)伸ばすと、数十メートルも離れた木の枝をしっかりと掴み一気に中空高くへ飛び上がっていった。
「……行っちゃった」
後にはただ、彼の去った後の空を呆然と眺めるが残された。
「海賊に、なる」
改めて口に出してみると、とんでもなく無謀なことに思えて仕方がない。司法の島で絶対の正義に護られて暮らしてきた自分が、こともあろうにその正義を敵に回そうなどとは。
だが。
しかしその無謀で馬鹿げた企みは、あまりにも魅力的な響きでもって自分の心に飛び込んできた。水平線の向こう側に確かに在る新しい世界への好奇心が、身体中から溢れ出して背を押した。心の奥に眠っていた冒険心を掻き立て、紅蓮の炎と燃やすように。
彼はすぐ行くと言った。今はあの確証も何もない言葉を心から信じられる。
彼は来ると言ったのだ。
「…はは!」

まずは家に帰って、荷造りを済ませたらまた窓からでも抜け出そう。
とにかく今は、ウォーターセブンへ。
(あ。…そういえば、名前聞いてないや)




次にあの抜けた海賊に会ったら、まず真っ先に名前を聞こう。
知らずのうちに先ほどの彼と同じように顔中で笑いながら、は一直線に走り出した。