「あ、そうそう。斜堂先生。
 そういえばね、私はあなたが好きなんです」


青天の霹靂にも程というものがあった。
そういえば作法委員長の立花君がまた福富しんべヱと山村喜三太に絡まれて困っていましたよ、だとか。そういえば山田先生は今度の冬休みも帰れないそうですよ、奥様お寂しいでしょうね、とか。そういえば善法寺君がまた誰かの掘った塹壕にはまりこんでいましたよ、であったりとか。
まったくの日常会話の如き調子で好いた相手に思いを告げられて、斜堂は湯呑みを持ったまま暫く固まった。
からかわれているのか。それとも本気なのか。南蛮には嘘をついても許される日があると聞くがあれは何日だったろうか。いや、自惚れでさえなければ彼女はそれなりに自分のことを好いてくれていたようにも思える。ということは。
「本気ですよ」
本気ですかと聞こうとした矢先、にこやかに機先を制された。
「曖昧なことは申しません。恋の告白と取っていただければ」
「……はあ…」
背筋も真っ直ぐに茶を啜りながらもう一度告げる泰然自若とした態度の相手とは逆に、斜堂が悩みに悩んで漸くひねり出したのはそんな一言であった。
というより、これは言葉ではない。
それだけに信じられなかった。こんな状況で気の利いた言葉ひとつも返せないような朴念仁のどこをどう好いているというのか。
「返事は今とは言いません。気の向いたときに返してください。
 それじゃ」
「え!」

彼女の動きはひどく機敏だった。
言うなり残った茶を飲み干して立ち上がり、盆を抱えて部屋を出る。作法委員の綾部喜八郎を思わせるあまりと言えばあまりのマイペースぶりに、未だうまく動かない頭の片隅で、生き胆を抜かれるとはこういったことかとすら思う。
日当たりの悪い自室で呆然としながら、斜堂はずいぶん長い間納得がいかなかった。


* * *


「そういえば、そんなこともあったような」
「…そんなことで済ませますか」
仰天ものの告白にそれでもどうにか肯定を返してから数週間。思い合った仲とはなったものの…確かに彼女を好いてはいるものの、元来神経質な斜堂である。未だ心を許しきるには至っていなかった。せいぜいが自室に招いて僅かの間話をする程度だが、それは付き合いだす前となんら変わっていない。
「第一、私のどこがそんなにいいのです…」
「自分で言いますかそういうこと」
「人に言われるよりはましです」
「あ、納得しました。それにしても、どこと言われましても…全部としか。私にとって、斜堂先生はどんなでも可愛いんですもの」
「かわ、」
どうなのだ。それは。
彼女としては無自覚であろうけれど、男の側にとってすればそれは手ひどくプライドを抉られる回答だった。

「情けないのですよ、私は」
何の気なしに零した言葉は、しかし普段から痛感しているだけあって淀みなくすらすらと口をつく。
「神経質で気弱で頼り甲斐がないと良く言われますし…それでも美形であればまだ納得もいくでしょうに、幽霊のようで薄気味悪いだなんて評価も決して珍しくはありませんし。
 それに…潔癖症の男なんて、面倒臭いでしょう」
「ははあ。察するに、昔そういう台詞で振られでもしましたね」
「!」
それは見事な図星も図星。
少し歯に衣着せてくださいと頼みたくなるような、鮮やかにすぎる会心の一撃であった。体力ゲージなどあれば瞬時に真っ赤になる勢いだ。あまりのことに部屋の隅で膝を抱えて半日ほど落ち込みたくなる衝動を、元来然程の余裕もない精神力を総動員して、斜堂はどうにか堪えきった。
「あらあ…一刀両断にしちゃいましたかね」
背を丸め、涙目でじっとりと睨み上げる(同僚や生徒は勿論、時には学園長ですら思い切り引く勢いの)視線にも全く動じぬまま、彼女は僅かばかり目線を宙にさ迷わせる。…その瞳と口元に、若干黒いなにかを湛えた微笑が走ったと見えたのは、果たして自分の気の所為であろうか。
しかし次の瞬間、その笑みは影も形もなく消え失せた。


「ご自分をそう卑下してまで諦めさせようだなんて…そんなに私のことがご迷惑ですか?」
代わりのようにその顔を覆うのはひどく真摯な、情熱的な表情だった。
「私は本気であなたをお慕いしていますのに…どのあたりがご不満なのですか。やっぱり言動が強引なところですか? マイペースすぎて女性らしくないあたりですか? それとも全体的に慎みが足りないからでしょうか? でなければ、「ま、待って…待ってください」
「はい」
彼女がおかしなくらい淑やかな口調と真摯な表情で言い募るときは、なにか相手が不注意なことを言ったときだ。今までの会話からそれくらいは理解していた(時折野村や大木が食らうきつい内容を聞けば、どんな阿呆でも心得る気になろうというものだ)が、はて。
自分はそれほどまでに迂闊なことを言ってしまったろうか。
「あなたがどうこうと言うわけではなくて、私はただ「ですから私が言いたいのは」
「は、はい」
遮るつもりが遮られた。
「誰にでも欠点や劣等感はあるものですし、世の中その欠点に首ったけになるような変わり者もいるものですよ、と!」


「………。」
「………。」
「要は」
「ええ」
「要は、つまり…あなたは…私のこの面倒な気質ごと」
「好きですよ。いけませんか?」
「いけないどころか…そんなことを言われては」
慣れぬ幸福感に目眩がしそうだ。




「ねえ、私は本気ですよ、斜堂先生。あんなこと言っちゃったのは愛情の裏返しと言いますか…その、あなたが本当に嫌がることならしませんよ。だからもう少し私を信用してください。できたら信頼してください。
 世界で一番大事にするぐらいの扱いを、心得ますから」