「猫飼いたいなあ」
ブラウン管の中で紐にじゃれる子猫を見ながら呟いた言葉に、死神がくるりとこちらを振り向いた。
「それ何回も言ってるけど、飼ったためしがないよな」
「飼いたいけど、今の状態じゃどうしようもないでしょ。間違ってデスノートに触られちゃったらどうするのよ」
「動物は字書けないし、俺の姿が見えるだけだろ?」
「それがネックなんだってば。わたしはもういい加減慣れたけど、一般的にあんたの姿は怖いんだから怯えたらかわいそうじゃないの。
 …あ、でも小さいころから一緒に育てれば意外と懐いたりするかも。ほんとに飼おうかな」
それも面白そうだとでも思っているのか、リュークは少し楽しそうに(死神の表情がわかるようになってしまったあたり、そろそろ人間離れしてきたのかもしれない)わたしの考える姿を見ていた。
「なあなあ、ネコ飼っても脅かしたりしないからリンゴもう一個」
言われてみると、先ほどまで手の中にあった林檎はなくなっている。
「だめ」


考えてみれば、リューク自体がもうわたしにとっては意思の疎通のとれるペットみたいなものだ。二種類の動物を同時期に飼うのは如何なものか、あまり構ってやる時間もないというのに。
「猫…」
どうひねっても死神は死神。あのふわふわモフモフしてちょっと生暖かくて甘え上手の、この世で最高に可愛いと信じているあの生き物には似つかないだろう。…いやわからない、市販の耳と尻尾でもつけてみたらどうだ。
………。
ちょっとしてみた想像は、気持ち悪くなっただけに終わった。

「リューク」
「ん?」
「明日の休み、ちょっと遠いとこまで野良猫ウォッチングに行くわよ」
「わざわざ見に行くほどのもんなのか? 人間ってやっぱ面白…」
「行くほどのもんなの。たくさん野良猫がいるんですって。かーわいいわよ!」

わたしが契約を解くか、寿命で死ぬか。もしくはどこかにノートを失くしてしまうか。
何らかの形で契約が切れるまで、このままでいるとしよう。


--------------------------------------------------------------------------------


俺にしてみれば、雷の光はキレイだと思うんだけどな。

「ああそう、だけど私は大ッ嫌いなの! あとでちゃんと林檎あげるから、止むまで側離れないでよ! リューク!」
「わかってるって」
一応俺もオスだとか、言って納得する奴じゃないしなあ。
そんなことを考えているとまた窓の外で目映い光が空を深く切り裂いて、身体が強張って押し殺した悲鳴が上がる。
やれやれ…ま、しばらくこのままでいてやるか。
いつも強気だから、怯えてるとこってけっこう面白いんだよな。言ったらたぶん殴られるけど。


--------------------------------------------------------------------------------


「だから、イヤだって」
「そこをなんとか! …この書類だけでいいから日本語に訳してちょうだい、お願いリューク! わたしより英語馴染んでるでしょ!」
「なんで俺がそんな面倒な真似しなくちゃならないんだよ。だいたいお前らの使ってる漢字って言うの、いろいろ線が多すぎていけ好かないんだってば」
「……今なにか言った? え、しばらく林檎はいらない? それなら一週間ほどなしってことで「そ、それはないだろ! お前ほんとに俺のノートに名前書いて殺すぞ!」
「そんな真似したら40秒の間にノート燃やして死ぬからね。わたしが死んでノートもなくなったら、また退屈な死神界に逆戻りなんでしょ? そうよねえ、『死神は特定の人間に憑く、及び殺す人間を定めるため以外の目的で人間界にいてはならない』…だったわね?」
「ウホッ!」
どうやら相当痛いところを突いたらしい。
リュークには申し訳ないが、こっちだって焦りに焦っているのだ。
家まで仕事を持ち帰ってくるなど、決して気分のいいものではない。まして期限は明後日である。今日中に終わらせてしまえるなら、それこそ脅しだろうが詐欺だろうが。
「さあリューク…選びなさい。おとなしくこの仕事を手伝って林檎五個もらうか、それとも断ってこの先一週間お預けか。
 なお後者の場合、どんなに身体をひねろうが逆立ちしようが一カケラもあげないけどほんとにその方がいいのね?」
「くそ…お前ろくな死に方しないぞ! 死神を強請るなんてこの悪魔ッ!」
半ば呻くように言い捨てて書類とペンを手にしたリュークには見えないよう、こっそりと手だけでガッツポーズを取った。

わたしの勝ち。


--------------------------------------------------------------------------------


「おかえりなさーいア・ナ・タ☆お風呂にする? ご飯にする? それともアタシ?」
「…………。」
「…あれ? なんでリアクションがない上にそんなイヤそうな顔してるんだ? ダメかこれ」
「あのねえリューク…今度はなんなの」


この死神はたまにわたしの意表をつくようなおかしなことをやってくれるが、今回はいったいなんのつもりなんだか。
珍しく仕事中に「今日は先に帰ってる」だとか言いにきたのでのんびり一人で帰ってみれば、リュークはどこで見つけたものやらエプロンなど着込んで、いそいそとわたしをお出迎えしてくれた。
見た瞬間疲れが倍増しになった。
ちなみにそれは昔の彼氏が誕生日に半ばネタで贈ってきた、白いレースのエプロンだ。着るときよくあの爪でひっかけなかったものである。
「え、だって前に言ってただろ。嫁に行くより嫁が欲しいって。だから俺からちょっとしたサービスだ」
「ああ、そういえば…」
納得は、した。
したんだけど。
「リューク、気持ちはありがたいんだけどね…それかなり偏ったイメージよ。
 そもそもどこで覚えてきたの、あんな台詞」
「え? ああ。この部屋の二件隣のやつがな、よくそういうビデオ見てるんだ。新妻ってやつの決まり文句なんだろ?」
そういうビデオってどういうビデオだ!
「なんか種類は色々あったけどな、共通してるのは人間が交尾ばっかりし「いやもうよくわかった言わないでいいから」
「本人がどっかに電話で喋ってたぞ、ナースとか女教師とかコスプレが好きだって。あと一回きつい感じの女に縛られてみたいとかおかしなことも言ってたな」
「だから言わなくていいって! あああすみません顔もろくに知らないご近所さん…うちのバカ死神がなんてことを…」
二件隣の人とは全く面識がない(というか今まで性別すら知らなかった)のに、ひどく余計な一面を知ってしまった。これから廊下で会ったりしても、罪悪感に潰れず挨拶できるだろうか。
うわあ自信ないなあ。あなたの性癖はうちの死神から筒抜けになってますなんて誰が言えるんだ!


「あのね、前から言おうと思ってたけど人様の家をのぞくのは極力よしなさい。趣味が悪いわよ」
「やだね。これは俺の…なんだっけ、あ、ライフワークだ」
「今すぐ便所に捨ててきなさいそんなしょうもないライフワーク!」

…ほんとにもう、余計な言葉ばっかり覚えてくるんだからこの子は!


--------------------------------------------------------------------------------
(つづき)


「あとね、浴槽は台所洗剤で洗うもんじゃないわよ。ちゃんと風呂用洗剤がここにあるでしょうが」
「あ、ホントだ」
「まあ知らなかったのは別にいいとしても、もう一つはちょっと許しがたいかなあ…」
「…なにが?」
「大概にしないと張り倒すわよ?
 なんで台所洗剤の中に 酢 を 入れたのかって聞いてるの」
「いや、みのも○たの言うことに間違いはないって上の階の「やかましい! 直ちに新しいのを買いに行ってきなさいこのバカ! 三丁目の角の中野商店まで行って、デスノートの切れ端触らせて「台所洗剤一本」って言えば疑いなく出してくれるから。
 あそこの店番してるトメさん、もうほとんど目見えないみたいだしね」
「いやでも、」
「…リューク? ま さ か 断 ら な い わ よ ね え ?」
「行ってまいりますご主人様!」
「(だからそんな単語覚えなくていいって言ってるのに)いいかもう…行ってらっしゃい」


「ただいまー」
「おかえり。…またずぶ濡れになったわね」
「そりゃ行きはいいにしても、帰りは荷物持つんだからどうやったって濡れるだろ」
「あ、そうだったっけ…とりあえずお疲れ様。お風呂沸いてるって言いたいところだけど、死神は入っても意味ないんだっけ」
「ああ。身体が冷えることも汚れることもないからな」
「そう、じゃ後でアップルパイでも作ってあげましょうか?」
「ウホッ! お前やっぱいいやつだなあ!」
「アップルパイ一つでそこまで株を上げてくれるの、子供かあんたぐらいよ…ま、先にお風呂入ってくるからそのあとね」
「…………。」
「どうかした?」
「お背中お流ししますわ、アナタ☆」
「………〜〜、五 月 蠅 い ッ !」

俺なりの感謝の気持ちだったのに、なんで引っぱたかれたんだろう。