人語を解するものならばコミュニケーションが取れるはずだと考えてしまうのは、人間の悪癖であろうか。それとも自分達の敵だと教えられて、ここまで来る時点でとうに尽きたはずの感傷が、顔を見た瞬間に蘇ったのか。
自分で自分の心の向きが掴めなくなる不快さに、は思わずきつく眉根を寄せる。
   
「おまえ、囮だったのか…」
「戦闘要員二人のいるところから離れて一人で逃げようとする訳ないじゃない、常識的に考えて」
“グリモルディ”の頭上から降ろされたを、人形の目が恨みを籠めてねめつける。周囲に人気はないものの、もしも部外者が見ていたとすればまず間違いなく悪夢認定をされたに違いない。
頭上の満月が冴え冴えと投げかける強い光さえ、むしろ悪い夢を演出する一要素のようだ。
周囲を濃い緑に囲まれた中からようやく開けた場所に出たと思えば、周囲一面にヒトによく似た“なにか”の破片が散らばって…あるものは四肢を切断され、胴を真っ二つにされ、またあるものは首だけになって転がっている。どう見ても大量殺人の現場である上に、未だ目を開けて怨唆の呻きを上げているものもある。
覚悟していたも吐き気を堪えるのが精一杯の、とてもではないが気分のいい光景ではない。
「悪く思わないでとは言わないけど、お互い食うか食われるかの状況下なら私を恨むのはお門違いでしょ?」
なるべく冷酷に聞こえるよう口調は整えられたものの、動悸はまだ早い。声が震えなかったのは幸いだった。
「くそっ、くそォォ…エサのくせにィ…人間の、くせ、にッ!」
言い終えることはできなかった。
「まったく、首だけになってまでこうるせえ旦那方ですねえ」
まあ自動人形ってのはみんな悪趣味でおしゃべりでしたけどね、と、先ほどまで生首であった人形の欠片を見下ろしながら阿紫花が薄く笑う。
身動きの取れる個体は残っていないが、それでも瀕死の人形達の視線から遮るようにを背に庇うのは流石に本職と言うべきなのか。
「ねーさん、ああいうモンと喋るのは感心できやせんよ。相手はあんたを殺して血を飲もうとした連中ですぜ」
「そう?」
「殺さなきゃならねえ相手に情を移しゃ、そんだけあんたが辛くなるってもんでしょう。気が済まねえなら済むようにして、なるだけ早いうちに忘れちまいなせえ」
彼はそれきり口を噤んだ。
肝心なところは言わずにおいたのだろう。掴み所はないが目端の利く男だ。
「…ありがとう。阿紫花さん」
この場では自分に最も馴染みがあったはずのその顔は、45口径で数度に渡って撃たれたせいでもう原型を留めていない。
クラブで見ていた時の表情さえ思い出せないほど粉々にされたその破片に、しかしは最後に一度だけ手を合わせてから踵を返した。
   
「ジョージの兄さん、そっちはどうです」
「いないようだな。近辺で行方不明者が出たという報告もない」
「ならもう残りはいねえって事ですかね」
「ああ。予想よりは時間が掛かった方だが、これで終了だ」
それにしても。
小さく呟いた言葉とサングラス越しの視線は僅かならぬ呆れを含んでいた。
「言ってやりなさんな。元っからああいうお人でさあ」
「わからないな。あれは自動人形だ。生体ではない。埋めたところで土壌に返る訳でもないだろう」
「自己満足も満足のうちですぜ。あれで気が済むならいいじゃねえですか」
丘のように土の盛り上がった一角に、が大降りのナイフで掘った穴が開いている。
翌朝までには“しろがね”機関に命を受けた警察機構の人間が数人、この場所を片付けに来るだろう。それは彼女にも言ってあった。それでもなお自動人形の破片を一つ所に集め、土は掛けないながら浅く掘った穴の中に納めて、目を閉じる。
「…やはり、わからないな」
月光に照らされた生無きものの墓標は、自分から見れば何の意味も持たないものだというのに。
暫時そうして目を閉じていたは、気が済んだのか服の泥を払って駆け寄ってきた。
「ごめんなさい、時間を取っちゃって」
「構わないが…あんなことをする意味はあるのか?」
「え、ないわよ?」
ジョージの疑問に返って来たのは、意に反して、なにを当然のことを聞くのだと言いたげな表情だった。
「特になんのためって言うわけじゃないの、こうすると私の気持ちがちょっと軽くなるっていうだけ。…意味はない上に、埋めるまでやったらあとで片付ける人が面倒だから中途半端なことになっちゃったけどね」
「意味だ無意味だってそういうことじゃねえんですよ、兄さん。人間にゃ落とし所ってやつが必要なんでさあ」
「ね」
「……。」
非常に腑に落ちなかった。
この二人の言いぐさは何事だ。まるでわからぬ自分の方が野暮だとでも言わんばかりではないか。
「なら」
「?」
「どうせ急ぐこともない…何かすることが必要なら、最後までやったらどうだ。
 葬送には鎮魂歌が必要だろう」
殺し屋と歌手は、揃って珍獣でも見るような不躾な視線を寄越した。
「…兄さん、どういう風の吹き回しで?」
「どこかで頭でも打ってバグ起こしたんじゃないかしら」
「前々から言おうと思っていたが、君達は失礼だ」
私でもそういう気分になることはある。そう呟いて側の立木に背を預けると、少し離れたところに突き出た石に腰を掛ける気配がした。これは阿紫花だろう。
は少し躊躇っていたがやがてひとつ頷き、開けた丘の上まで走っていくと…ふとこちらを振り返って、笑った。
「ありがとう、ジョージさん」
「ふん…リクエストが木偶人形への鎮魂歌で、なにを礼を言うことがある」
   
伴奏も音響装置も満座の客もない。観客はといえばたった二人と、人に仇為す異形の人形の残骸。
その寂しい舞台で、しかし何一つ不足にも感じさせないのは彼女の技量によるものか。もしくは別の要因なのか。喉から溢れる声は様々に調子を変えながら伸びる。不思議なほど耳によく馴染むそれが紡ぐモーツァルトの鎮魂歌は、耳をくすぐるように柔らかく周囲に満ち、消える。
降り落ちる強い月光が天然のライトになって、の細いシルエットを鮮やかに浮かび上がらせる。
(…まるで彼女は)
決して明るい調子でないはずの葬送歌を技法を駆使して巧みに歌いこなし、飽かず聴かせる、その様子はまるで。
音楽の天使に愛されているようだ…などと。
ジョージはふと、らしくない例えが浮かんだ。
しかし考え進めるほどに、馬鹿馬鹿しいとさえ思ったその例えはやおら形を為して脳裏に立ち上がって来る。
敬虔な信仰者が自らの神に祈るような表情、祈りに似た歌声は、いつか暇を持て余した時戯れに観た舞台で、孤独な仮面の男が扮する“音楽の天使”に見守られた歌姫の姿に重なるではないか。
(馬鹿馬鹿しい。たかが場末の一歌手にこんな形容…)
機械化されずにある“しろがね”よりも、半サイボーグである“O”は人間としての感情になお疎く、ジョージもその例外ではない。
そのために、彼は胸中に涌き上がる不可解なものをつかみ損ねた。
音楽の天使に愛された人間。
遙か昔に自分が諦めたものを腕にしっかりと抱いた彼女の姿は、尖った爪で心のどこかをかき毟られるような疼痛感を呼び起こす。
   
甘くも苦くも感じられるその感情の名は、嫉妬と憧憬。
雲のない夜空に吸い込まれていくの高い声が、ひどく遠く感じた。