群青の夜空に雪が舞い飛び、悠遠なる天空には虹色のオーロラが揺らめく。
周囲を白に覆われた雪山の、ごうごうと音を立てる強風と獣の鳴き声の中。獣のそれとは違う軽い足音が二つ、ざくりざくりと響いては消える。
怒号と銃声、獣の立てる断末魔の声。世で最も身近な生と死のやり取り、善も悪も介入し得ない生きるためだけの殺戮だった。
ヘビィボウガンを背負った黒髪の女が慣れた手際で死骸から肉を剥ぎ取り、黒い毛並みのアイルーがそれを横目に岩陰で火を起こす。時折短く言葉を交わしながら的確に自分の役割をこなしていく姿からは、長い時を共に過ごしてきたと知れる気負いの無さが伺えた。
やがてアイルーが、こんがりと焼き色のついた肉を差し出す。女は銀色の帽子を押し上げわずかに微笑むと、熱い肉に唐辛子を塗って齧り付いた。
達観の笑みが深くなる。
「…ホットドリンク切らすなんてねえ」
「…ほんとにな」
「アイテム管理してるのアンタよね」
「俺のせいかよ。最後に確認すんのお前だろ」
「アンタのせいでしょうが! 調合しようと思ったらにが虫ないし!」
「だから最終確認しなかったのはお前だっつってんだろ!」
「そりゃ私だって余裕があったらしたわよ! だけどしょうがないじゃない、朝にランゴ大発生よ!? 麻痺属性の針でブチブチ刺されてノンキにアイテム確認してられるかってのよ、アンタだって逃げるのに精一杯だったくせに」
「金か家さえありゃ野宿しねえで済むのにな」
「だからその家をもらえるってんでこうやって雪山越えて、わざわざここまで来たんじゃない…もういい加減、野宿もご飯の心配も懲り懲りよ」
「…なあ」
アイルーがふと声を落とし、マフモフフードを被り直した。可愛らしいとすら言える猫の姿をしていながら、しかしその表情や声音はいたく真剣だ。
「飯って言えばよ、どうもこの辺りはおかしくねえか?」
「うん。普通ポポやガウシカを見つけるのにこんなに手間取ることはそうそうないし、あのハイエナどももいなかった。確かに不気味だわ」
ハイエナとはハンターの使う比喩で、雪山に生息するギアノスやドスギアノスのことを指す。通常群れを成して狩りをしたり、ハンターや猟師達の取った獲物を鮮やかなフットワークで横取りしたりと、嫌われ者の意味合いで白いハイエナだ。また人間の調理の匂いを嗅ぎつけ、食べ残しを狙うこともある。
しかし、今はその気配すらもない。
「あの手の連中も草食モンスターもいない、辺りが異様に静か…とくれば、当然何かいるってことね。この辺のモンスターより飛び抜けて強いやつが」
「俺らが呼ばれたのもそんなやつの討伐って所じゃねえのか?」
思わず知らず、溜息が漏れる。
「…かもね。今はほんとに何も持ってないし、出てこないといいんだけど」
意気消沈も甚だしかった。
黒毛のアイルーは元々の猫背を更に丸くして静かに火を消し、黒髪のガンナーは覇気の失せた目で一口にホットミートを頬張る。咀嚼もそこそこに飲み下すと未だ熱を持った食物が喉を通り越し、心地好く胃を暖めた。
「それでなくても毎年必ず死ぬ奴出るって噂じゃない、ここ。早く抜けましょ」
その周囲が、ふと陰る。
「おい、…この影「聞きたくないなあ」
「ざけんな! 見て見ぬ振りすんじゃねえぞ、それこそ俺らが死ぬかもしれねえって時に!」
「知らない! 辺りが暗いとか気のせい!」
瞬間。
稲妻に似た咆哮が大気を振るわせた。
それは声というよりも、音。
まさしく轟音と形容するに相応しい、聞くものの全ての動きを止めるバインドボイス。飛竜種のそれを知らない一般人ならば声も出せずに立ち竦んでしまうほど雄々しく、そして禍々しい。
しかし彼等は一般人ではない。
狩るか狩られるかの命の削り合いを職業とし、時に野蛮人だ狂戦士だと謗りを受けようとも、誰よりも強く勇猛果敢であることをこそ誇りとする者達。
相手がどれほど凶暴であろうとも、怯んで棒立ちになるなど有り得ない。
甲虫カンタロスのような独特の姿をしたその竜を視界に収めた途端、今の今まで取るに足らない言い争いをしていた彼女らの表情は瞬時に鋭く引き締まり、それぞれの武器を携え距離を取る。対峙する竜も負けじと猛り狂い、自分の縄張りで命知らずにも餌を横取りしてのけた無礼な侵入者へ牙を剥く。
「やばいわね…貫通弾がもう残ってない!」
「こっちもだ、落とし穴もシビレ罠もタル爆弾も切れちまった!」
アイルーが、竜の飛ばす岩を避けながら女の言葉に怒鳴り返す。只でさえ少ない道具類は進んでくるまでの悪路に切れる寸前だった。ひどく軽いアイテム袋をしっかりと腰に括り付け、ヘビィボウガンの女は降り掛かるバインドボイスをものともせず連続して顔面に銃弾を浴びせた。
「でも、どのみちかかってくれなさそうよ! 思ったよりずっと利口だわ! それに…」
言うや、がちんとボウガンが虚しい音を立てる。
「…弾、なくなったしね」
通常の攻撃用の弾だけでなく、補助系…麻痺弾や睡眠弾もまったく残っていない。せめて光蟲と素材玉が残っていればまだ希望もあったかもしれないが、今の状況では無いもの強請りとしか言いようがなかった。
轟竜が近距離から突進してくる。
避けられない。
「南無三…!」
ガンナーは爪の届く位置にいたアイルーの首を掴んで引き寄せ、死神の鎌から庇うように抱き竦めた。
息の詰まる衝撃と共に、銀白色の鎧が宙に投げ出される。
雪の積もった岩山に落ちるよりも先に、彼女の意識は闇に溶けた。
目覚めると、全身を鈍い痛みが走り抜けていった。声が上手く出ない。
視線だけを動かして窓からの景色を伺うと、どこにでもありそうな田舎村だった。建物の向こう、ちらりと光った青いものは噂の巨大なマカライト鉱石だろうか。今寝かされているのも、見える建物と同じように程好く古びた木の寝台。足元に見慣れた黒毛の相棒も寝かされ、包帯に覆われた身体が静かに息をついている。
(…助かった)
心底から安堵した。
それと同時、奥の部屋へ続くらしい衝立の向こう側から壮年の男が顔を出した。フードの下の髪は白いものが混じっているが、一目で元ハンターと知れる頑強な体付きと鋭い目。
「おや、気がついたな。
…ああ、まだ起きないほうがいい。しばらくそのまま安静にしているんだ」
了承の意でわずかに片手を上げると、男は何が可笑しいのかからからと笑った。腕組みをし、一人で盛んに頷きながら話し出す。随分と陽気な性質であるようだ。
「崖から落ちたんだろう、下が雪で助かったな。
全身打撲に失神、それに軽度の凍傷と…全治数日ってところだな。私としては背中の打ち身より、身体の前面の打撲の方が気になるが…ともかく、しばらくはゆっくり休みたまえ」
「ありがとう。
…バレル、は?」
「ん? そこのオトモアイルーのことか?」
「そう。本人が言うには、オトモじゃなくて相棒、だけど」
「心配はないはずだ。ここにはアイルーの生態にも詳しい斡旋業者が出入りしていてね、念のために見てもらった。命に別状はない…どころか君よりずっと軽傷だそうだ。
余計なお世話だが、後で謝っておいたほうがいいんじゃないか? 起きていたとき、ヘタに庇ったりしやがってと文句を言っていた」
「無理。猫、好きだから」
苦笑すると、軽口を叩ける余裕があるなら大丈夫そうだなと男も笑った。
「じゃあ数日後、動いて支障がないようだったら一度私のところに来たまえ。村のことを少し話そう」
言って男が出ていくと、その場に声を発するものはいなくなった。黒髪のガンナーと黒毛のアイルー、慣れた様子で窓から顔を覗かせる鳥。それ以外と言えば、開け放たれた窓から漏れ聞こえる様々な声に、水車やリフトの動く音。飼われている草食モンスターの鳴き声。
ポッケ村というのは、想像したよりもずっと良さそうな場所だった。
「…初対面ぐらいはいいとこ見せたかったなあ」
ともかく、一人と一匹はどうにか生きて目的地に辿り着いた。