よ。敵も敵じゃ、たまにはお主が行ってはどうじゃな」
唐突な言葉に、さほど広くはない酒場…ギルド内部にハンター達のざわめきが満ちる。
ギルドマスターである老人が声を掛けたのは、今の今までカウンター内部で事務仕事をしていた…誰がどう見たところで紛れもなく受付嬢である。
、と呼ばれた女は賑わう酒場全体を平静そのものの目で見回し、そうしてゆっくりと声の主へと視線を戻した。
「わたしですか」
「専門じゃろ? だいたいこのところハンターも教官共も存外ぶっ弛んでおるからの、たまには格下と思っとるはずの人間にビシッといいとこを見せつけられんといかん! それが女なら尚更よ!」
声も高らかに告げる老人に、彼女は溜息交じりの答えを返した。
「今、口から出るままに仰ったでしょう」
「ばれとったか」
「バレバレです」
「行くじゃろ?」
「………仰せのままに」
受諾の返事にさえも、どうにも覇気というものが感じられない。


という女について知られていることは、ごく少ない。
随分と長い間、受付嬢としてギルドに籍を置いていること。手早く、かつ綿密な事務仕事に定評があること。しかしそれは本人いわく「面倒臭いことが嫌い」なので、「適当にやって後でやり直す羽目になるなら、その時面倒の種をすべて摘んでしまった方がずっといい」という主義によるものであること。そして、仕事のない時は眠そうなぼけっとした表情を隠しもせずになにやら書きものをしていること。大体において、ハンター達の殆どはその程度の認識しか持っていない。
ハンターランクの低い…キノコ採りや小型の肉食竜の討伐といった軽いクエストしか受けられない年若いものも、また大型の飛竜を難なく狩ってのけるような、所謂上級ハンターと呼ばれるものも。
そうした人物であるから、周囲から声が上がることも当然と言えば当然ではあったろう。
「おい。…お前、本当にやれるのか?」
言葉こそは少なかったものの、立花仙蔵の一言は全員の総意だった。
愛用のレウスSヘルムを取って露わにされた切れ長の目は、普段の涼やかで知性的なそれとは違い、隠すこともない疑念を…そして同時にほんのわずかな好奇の色を宿している。
公にその存在を認められない非合法の職業とはいえど…むしろそうであるからこそ、腕と経験だけを恃みにして戦場を渡り歩く彼等は押し並べてプライドが高い。俺が俺がと逸るような真似はせずとも、ギルドマスターへ直々の依頼とあれば、誰が任されるのだろうと気に止めるのは一種の習い性といえた。訓練所の教官たちの間で一際高い評価を受ける仙蔵であっても、それは変わらない。
だからこそ、態と気に障りそうな言葉を向けた。
おそらく全員が納得などしていなかろうし、自分もまさにその口だ。何かを持ち合わせているのなら、私達を納得させるものを出してみろ。
仙蔵は、言外にそう問いを投げた。
それに返されたのは歴然たる答えではなく、いくらかの靄を含んだ言葉であったけれど。
「そこらへんは、私の装備を見ればわかると思うよ。…着替えてくる」
言い残して、彼女はふらりと階上へ姿を消した。


「…どんなだと思う?」
「どんなもこんなも。だいたいあの人がクエストに行くのなんて見たことないぞ」
「俺もだ」
「わたしも」
「俺たちの中じゃ一番長くここにいる仙蔵が知らないんだ、覚えがなくても当然だろうな」
「ふむ…教官方は言うに及ばないが、受付嬢もそれぞれ高いランクを持った腕利きだという噂ならば聞いたことがある」
「所詮は噂だろ。発信源は?」
「ココット村の大木元教官だ」
「しかも一番信用できないとこから!」
「あの人狩りのこと以外だとほんと適当なこと言うもんな」
「いつも長袖着てるから、肉付きで判断もできないし…」
「肉付きがどうこうとか、本人に聞かれたら殺されるぞ雷蔵」
「ちょっと三郎!? 僕どう聞いてもそんな失礼なニュアンスで言ってなかったよね!?」
「ねえねえ久々知君、さんってほんとに強いの?」
「…そうでなけりゃマスターはあんなこと言わないよ、タカ丸さん」
「まあ確かに思いつきと閃きで生きてるはた迷惑もいいところな面倒ジイさんだけど、あれで眼力はまだ鈍ってな、痛ぁ!」
「きり丸…いろいろ余計」
「それにしても装備を見て判断しろ、だもんなあ。かっこいいことぶち上げたよねえ! ね、いさっくん!」
「うん…(あの骨格は、戦えない人のそれじゃなかった気がするんだけどな…)」
「そんなことはどうでもいい…なぜだ…なぜ俺に声がかからんのだ! ふん、あんなひょろっこい女一人に何ができる! フルフルの二匹なんぞこの俺、ッ!」

どすり。

吐き捨てかけた潮江文次郎の目前、木の壁に深々と突き立った素材剥ぎ取り用のナイフに…正確に言えばその持ち手を掴んだ女の姿に、全員の視線が集中する。
「今、なんつった…?」
常の無表情とは別人のごとき怒りの形相を露わにした、受付嬢…否、ハンターがそこにいた。
痩身をくまなく覆うのは、主に「真珠色の柔皮」と「アルビノの中落ち」を素材とするフルフルSシリーズ。それだけであったなら、なんだあんなものと一蹴できる者もいるが…彼女が背に負った得物を目にして、なおそれを口に出せる命知らずは一人として存在し得なかった。
轟砲【虎頭】。
強力な武器であると同時に、上位のハンターでさえクエストを受けることを躊躇う雪山の死神、轟竜ティガレックスを何頭も屠り去った証し。ましてや持っているのみならず、生半可な腕力では扱い切れないそのヘビィボウガンを使い込んだ痕跡は、何百何千の言葉よりもなお雄弁にの技量を物語る。
装備を見れば分かる、とは嘘でもはったりでもない。
彼女は紛れなく歴戦のハンターだ。
「わかっちゃいないわね。フルフルたんはこの世に下りた最後の天使なのに」
「…は?」
たとえ、その言動が破綻していようとも。
「…まったく。わからないなんて可哀想にも程があるわね。美しいフォルム、あの美声、雪の中に溶けて消えそうな白い柔肌、身体を痺れさせ目を眩ませる魅惑的な青白い電光、情熱的にこっちへダイブしてくるときの愛くるしい動作! ああ、思い出すだけでもすべてが幻想的でうっとりするわ…フルフルたんこそ私のハンター人生を賭すだけの価値のある恋人、オム・ファタールなのよ! もっと詳しく言うとね、」
「…は……はあ…」
いつものあやふやな寝惚け面からは予想もできない熱い口調には、いかな文次郎であろうとも反論を控えたくなるものがあった。
立て板に水、という諺を地で行くなめらかで滔々たる弁舌に、皆が引き攣った顔を見合わせた。まさかこの女、自分の気が済むまでここでしゃべり続けるつもりじゃなかろうか。


「ど…どうしようこれ…」
「俺に聞くなよ」
「だって文次郎さんにつかまっちゃってるし」
「ふむ…それにしてもオム・ファタールとは「運命の男」という意味であったはずなのだが、果たしてフルフルはオスなのだろうか」
「仙蔵……今はそういうことはいい…」
「気にして何が悪い、長次。私は学術的な興味の上でだな」
「いや今一番いらない方向の興味だよ!」
「ところでさんって恋人いなかったっけ?」
「…いた。それも大のフルフル嫌いで有名な「あの」斜堂教官だ」
「あのデスギアシリーズの? えっ、ちょっ、どうなのそれ」
「あれだけゲテモノに弱い人がよくハンターなんぞ務まると思っていたが、昔組んでいたとか案外そういう関係じゃないのか?」
「そこらへん、教えてやっても構わんがの」
「マスター!」
「あーおもしろかった。どうじゃ、驚いたじゃろ」
「心臓止まるかと思いましたよ」
「見ての通り、あれはフルフルのことになると止まらんからの。好きなだけしゃべれば本来の目的を思い出して大人しくなるから、文次郎に任せておけばいいわい」
「知っててけしかけました?」
「当然じゃろうて」
「性悪爺」
「聞こえとるわ! 話してやらんぞ!」
「あ、あ、すいませんマスター!」
「フルフルとと影麿とくれば、ワシはいつも思い出すわい。
 あれはいつのことだったか…ギルド宛てに緊急クエストが入って、影麿が沼地にオオナズチを退治に行った時のことじゃけどな。手傷を負って逃げ込んだその先、洞窟で運悪くフルフルに出っくわして…そら、あ奴はゲテモノが嫌いじゃろう…ほんの少し固まった隙に電撃を食らって丸飲みにされて、危うく死にかけたそうでの」
「うっわ丸飲みとか…エグ…」
「あの潔癖症の教官がそれじゃ、フルフル嫌いにもなるよなあ…」
「おもしろかろ? 初めて聞いた時は腹がよじれるかと思ったわい」
「ま…マスター…人の生死のかかった話でそれはさすがにいかがなものかと」
「伊作、良識派は黙ってろ。…それでマスター、続きは」
「うむ。そこへ出て来たのが当時フリーのハンターをやっておったよ!」
「……ヒーローのようだ…」
「その通り! 依頼も受けていない通りすがりの立場が故に一度は逃げようと思ったものの、足からズブズブ飲まれていく様を目の当たりにして、これは放っておけんと思ったそうでな。消化される前にどうにか討伐し、腹を掻っ捌いて消化されかけの影麿を引きずり出し、ついでだからと肩を貸してここへ送ってきてな。それが大元の馴れ初めじゃ。影麿にとっても、ギルドにとっても」
「うわあああ、かっこいいー!」
「まあその後、ワシや教官たちを相手にフルフルの話だけで二時間弁舌を振るわんかったらもっと格好よかったんだがの…ありゃあ全員ゲンナリしたわ」
「あのー…今まさに文次郎がそんな感じで顔面蒼白になってるんですけど…助けなくてもいいんですか」
「だから黙ってろ伊作。ところでマスター、あのヘビィボウガンはあれですよね。ティガレックスの素材の…」
「おもしろいのはそこよ。あ奴、半助が得物を褒めたらとんでもないことを言いよった。
 フルフル素材のヘビィボウガンが実装されないから仕方なくこれを使っているだけで、ティガレックスなんぞ可愛くないからたいした思い入れもない。もしフルフル素材のものが出てきたなら、どんなに勝手が悪かろうともそれだけを使うとな」
「すっげえええ!」
「小平太は威力さえ高きゃいいってとこがあるから、尚更そういうの信じられないだろうな」
「うん、わたしには未知すぎてすごい!」
「しかしハンターとしてはとことんダメすぎる拘りだというのに、実力に裏打ちされた徹底的な姿勢…ある意味で痺れるな。憧れないが。決して」
「一種のモンスターをそこまで愛するっていうのもすごい話だ。…でも人間の恋人もいるとか…どこに惚れたんだろ斜堂教官の」
「いや、俺はべた惚れに惚れてるのは教官の方って聞いた」
「えっ嘘! フルフル嫌いなのに!?」
「よく知っとるな、その通りじゃ。まさに救世主のように現れてフルフルを討伐し、腹を裂き、自分が血と体液に汚れるのも構わず腕を突っ込んだその漢気に惚れ込んだそうでな…普通逆じゃろうに」
「(…どうしよう、ちょっと気持ちがわかる)」
「それにしたってまだ謎はある。教官はともかく、フルフル狂いのさんがよく付き合いを了承したものだ」
「…言っちゃっていいのかなあ…わかる気がするよ。だって斜堂教官って、嫌ってるわりにどことなくフルフルに似てない?」
「雷蔵、失礼にも程があるだろ。確かに言わんとすることはわかるよ…斜堂教官は確かにどこか湿っぽいし陰気だし覇気もないし暗がりが好きなだけあってしまいに目が退化したって納得いくけど、さすがに私でさえあの顔面男性器に似てるとまではひどすぎて「何回も言うようだけどそれは僕の意見に見せかけて、どう考えても三郎が思ってることだよね!?」
「よせよ! フルフル斬れなくなるよ!」
「ちょっと…文次郎が本気でそろそろ限界っぽいんだけど」
「ほんとだ」
「見ろ、それに反比例してさんの今まで見たことないツヤツヤキラキラしたあの至福の笑顔」
よ、気が済んだらそろそろクエストに行ってはどうじゃな?」
「そうでした! 待っててね愛しのフルフルたーん! 今行くからね!」


相手からの反応はなくとも、とりあえず語りたいだけ語って満足がいったのだろう。その笑みは普段の五割増し、足取りに至っては軽いを通り越してもはやスキップである。その後ろで魂が抜けて顔色を無くしている文次郎には、当然のように一瞥すらもない。
「装備は完璧、ボウガンの手入れも万全。アイテム持った、弾持った、チーズと酒で体力スタミナ共に最高値っと。
 それではマスター、行って参ります」
意気軒昂を絵に描いたがごとき勢いでが出ていった後。
「…さんがいつも書いてるこれ。町の近辺だけじゃなく世界中判明する限りのデータをかき集めた、完全フルフル生態ファイル、だ…」
カウンターに置いてあったそれを覗き込んでの食満留三郎の一言に、全員が引いた。
見るも鮮やかなドン引きだった。




この世で本当に恐ろしいものはモンスターなどではなく、人の異常な愛情である。
年若いハンターたちの心にそんなトラウマが植え付けられた、ある日のハンターズギルドの一幕。