「黙って私についてこい」
言葉だけならプロポーズのようなのに、状況が変わると恐怖と怒りしか感じないものだ。
「いやよ。説明してくれるまで動かない」
「詳しい説明をする時間はない、。君の身に危険が迫っているのだと言ったら納得するか?」
「…確かに危険そうね、主に目の前の人が」
皮肉をくれて思い切り睨み付けたが、目の前の人…こと、ジョージ・ラローシュと名乗った不審者は歯牙にもかけた様子はない。
変わったデザインのサングラスで表情はよくわからないが、この事態に際してなんとも思っていないのはもう透けて見えるようだ。
   
溜息をついて、私は改めて店内を見回した。
これはひどい。
客席はボックス、多人数用ともに台無し。これと大きくひびが入った舞台の床を直すだけでも何時間掛かるかわからない。一番の被害は内装に合わせてわざわざ取り寄せたと聞いた一枚板のテーブルだ。きれいな飴色で店長のお気に入りだったのに、今は中央からへし折れて無惨な断面を見せている。…ちなみにこの人がおかしなボールになって跳ね飛んで激突した際に折れた。
気の毒な店長は女の子たちを落ちてきた照明から庇って(頭に当たったようだ)気絶しているが、これを見せたらまた気絶するかもしれない。
店内にいくつか飾られた花瓶が一つ残らず吹っ飛んで床に叩きつけられ、破片と水で足の踏み場がなくなった。
両開きの戸は片方の蝶番が外れて傾いて、その隙間から何事だとばかり野次馬が覗いているのが見える。…こっちみんな。
「……。」
一見しただけでもこの大惨事。わけがわからないよ。
そもそも詳しいもなにも、この人はひとつも説明していない。いきなり戸口をぶち破ってダイナミックエントリーしてきたかと思えば、従業員の一人を…なんだったか、オートマータ、だとか呼んで、一人残らず破壊してやるとか逃げられると思うなとか、悪役そのものの言葉を浴びせたぐらいだ。あとは乱闘騒ぎになって、やっと収まったのが今さっき。この現状で言われた通りのこのこ着いていく現代社会人がいるわけないだろう。私の月給丸ごと賭けてもいい。
ちなみにその襲われた従業員は逃げた。当然、店内にいたお客さんも逃げた。…一人残らず。
「ふむ、営業妨害については済まなかった。専門の業者を呼んで、明日にでも営業を再開できるように手配し「そういうことじゃないでしょうが!」
人の職場に乱入して、従業員にいきなり襲いかかって殺そうとして、あげく強引に人の身柄を拘束しようとしてることに関して説明及びオトシマエはないのかと聞いているのだ。そこの納得がいかない限り私は梃子でも動かない。
思い切りそう噛みつくと、ジョージさんは初めて表情を変えた。
「…なんでそこでいやな顔するのよ。私何か無茶なこと言ってる?」
「少し待っていろ」
くるりと私に背を向けたと思うとその辺に転がっていた(まだ原型を留めていた)椅子に腰を下ろして、どこかに電話をかけ始める。
   
「アシハナか」「あれ、兄さん。こんな時間に何ですかい」「言われた店で自動人形を発見した。“いれもの”らしき歌手も近くにいる」「ほー…逐一連絡入れるタマじゃなし、それでわざわざあたしに電話ってこたあ、やっぱり疑われやしたね? ほーらご覧なせえ、只でさえ兄さん人当たり悪ィんですから、大人しくあたしがそっち行くの待ってりゃよかっ「話せ!」
   
「わっ!」
聞き覚えのある名前が出たが、珍しい名字だし同姓の別人ということはなさそうだ…と耳を澄ましていると、ジョージさんが今までで一番嫌な顔をしてこっちへ携帯を投げ渡した。
受け取りながら考える。
鉄面皮だと思ったら案外むきになりやすいのか、それとも電話口の阿紫花さん(仮定)がうまくからかったのか…聞いた限り後者っぽい。
   
「もしもし、です、けど…え? 阿紫花さん? 本当に?」
「あ、こりゃどうも。ちょいと色々ややこしいことにゃなってますが、とりあえずご無沙汰で…阿紫花英良でさあ」
「ええ、お久し振り…ってちょっとどころの話じゃないわよ、大騒ぎよ! もう!」
「あーあー、やっぱり騒動になりやしたか。ったく、ジョージの兄さんは腕はともかく隠密行動って奴が取れなくていけねえ」
「隠密行動? 何か人に知られたらいけないことでもあるの?」
携帯の向こうで阿紫花さんは少し黙り込んで…ややあって盛大な溜息が聞こえた。
「ねーさん、今からちっとばかり現実味のねえ話をしますがね、切らないでちゃんと耳貸してくだせえよ」
「…ええ」
「その兄さん、そりゃ見た目はどこの不審者だってぐれえ怪しいんですが…一応あれで信用はできるお人で。そっちに着いたらちゃんと詳しい説明するんで、あたしに免じて一旦ついてって保護されといてくれやせんかね。
 あんたの身が危ねえってのは、どうもマジな話みてえなんで」
「……。」
横目で窺うと、ジョージさんはなぜかそこだけほぼ無傷だったピアノの椅子を起こして(そんなことをするようには見えなかったが)手遊びのように一つずつ盤を叩いては音階を確かめていた。
なにやってんのこの人。
「そうね、そうする」
どのみちいつまでもここにいたら警察が来るし、今以上の揉め事になったらその分詳しいことを聞く機会は遠ざかるだろう。ここは常連さんの意見を聞いて、ついて行ってみることにする。
「あ、ねえ、それと一つ聞いていいかしら」
「へえ、なんですかい」
「…よくお店で言ってた冗談、あれまさか本当だったの?」
「冗談もなにも。何回も言った通り、あたしゃ正真正銘殺し屋でさあ」
   
向こう側で阿紫花さんは愉快そうに笑った。
…どうも楽しんでないかな、この人。