石造りの建物…その上天井が高いため足音や人の声がよく響いて、一度騒動が起きるとインペルダウン内部は非常にやかましい。フロアの大ボス相手なら尚更。
だというのにこの麦わらときたら暢気なのかなんなのか、スフィンクスを目の前にいったい何考えてるんだ。マンティコラの時だってビーフステーキとか、おま。反応するな。
しかし脱獄すると言うからついてきたけど、男達の会話を聞いてる限りこの麦わらは兄貴を助けるために下に降りたいわけだ。…なるほど。上がる階段と下がる階段は同じ所にあるからとりあえず一緒に来て、この後は目的に合わせて別行動なんだろう。それが一番合理的だ。
「ハラ減ったー」
「私も。ろくなもん食べてないし、貯蔵庫からなんかくすねようかな」
「あるのか!?」
「場所はわかんないけど人が住んでる建物なんだから、探せばどこかにあると思うよ」
まるでその会話を理解しているように、実にタイミングよくスフィンクスが後ろで吼えた。
「カイセンラーメン! トウセツメン! ホソメン!」
「空気読んでよこのバカネコ、ますますお腹空くじゃない…あーラーメン食べたい」
「なあ、お前ラーメン何派だ?」
「醤油」
「そっか、おれミソ」
私の返事も大概緊張感はないから、麦わらをどうこうは言えないんだけど。
「イケメン」
   
『えっ!』
   
「どこ?」
「「呼んだ(カネ)?」」
   
うっかり振り向いた三人ともまとめてスフィンクスに張り倒されたが、その、なんだ…
「あんたたち、自分がイケメンだと思ってんの? バカなの? 死ぬの?」
「うるせえ黙れ。お前こそこんなとこにイケメンがいると思ってんのかバカ」
「ここはひとつ…全員バカということでいいじゃないカネ…」
   
「なんで戻ってきちまうんじゃァ!」
「一周したみてェだな」
「そうねー」
「アッサリ現実を叩きつけるんじゃねえ!」
「だから右だと言ったガネ…」
飢餓地獄を歩くだけ歩いて、スフィンクスのところに逆戻り。
私は気候の影響を受けない身だから大してダメージはないが、さすがに男達はきつそうだ。ちょっと風を起こしてやりながら改めて周囲を見回してみたが、やっぱりレベル2以下のフロアのことは私もよくわからない。
そんなに来たことないしなあ。
「ここは徹底的に歩いてみるか、でなきゃこのフロアに詳しい人を見つけるか、よね…そうでないとムダに時間だけ食っちゃう」
「お前はまたさらっと歩くとか言ってるけどなおい、おれ達にそれができる体力残ってるわけねェだろが!」
「でも防げるのは外気だけだから、足の裏とか熱いのよ?」
「それがどうしたァ!!」
「だから、創意工夫が大事だって話。ほらこれ。念のためにさっきスフィンクスの羽根何枚かむしり取ってタテガミで結んで、靴の底強化してみたの。あんた達も羽根むしって着てれば少しは涼しいんじゃない?」
   
「「「!」」」
   
「…そのなんだってー顔は、なによ」
、君頭いいな!」
「おうよ! こんな天才見たことねェ!」
(…どう考えても私の頭が特別いいわけじゃないと思うけど。いや、どちらと言ったらそっちが…特に…)
言わないでおこう。とりあえず同盟を組んだ手前、脱獄するまでは仲間でいるって言っちゃったし(麦わらをハメて逃げるとかそういうつもりはないが、ここからは出たい)。
「そっか、なんかごそごそやってると思ったけどそんなの作ってたのか」
「まあね」
「すげェなー、おめェ器用なんだな! この下行っても心強ェよ!」
「ごめん麦わら、そこまで付き合う気はない」
「えー」
「えーじゃないよ」
忘れてると思うが、私だってもともと巻き込まれてここに落ちた身だ。
「協力しろよー、一緒にエース助けようって言ったじゃねェかー」
「いつ!?」
「言ってないガネ全然!」
「てめェ何幸せな方向に記憶を変換してんだよ!」
「そうだっけ?」
   
そんなとき。
耳の端に不吉な鎖の音が聞こえたような気がしたんだが、気のせいだろうか…
   
「麦わらァ! エースに会ったら宜しくよ、命あったらまた飲もうぜってな!」
「フハハハ! 精々いい囮になってくれたまえ! バーカ!」
…よくここまで小物っぽいことを言えるもんだ。
   
スフィンクスごと捕まった時はどうなるかと冷や冷やしたが、なぜか目を覚ましたあの巨体が暴れ出してくれたおかげで(…そう言えば身動きとれなくなっていた時、足の裏がスフィンクスの顔らしきところにぐりぐり当たっていたような気がする)(たぶん気のせいだ)、網をよじ登ってなんとか上の方へ逃げられた。
しかし下では麦わらがブルゴリや牢番長相手にしてると言うのに、追い打ちかけようなんてよく思えるな。
私はこの二人と違って、過去に麦わらと何やかやあったわけじゃないから言わない。結構好感も持っていることだし。
   
「おう、またなー! ここまで送ってくれてありがとう!」
   
「だから、あの全開の笑顔が胸にくるほど眩しいなら言わなきゃいいのに…」
「うるせェ黙れ」
「…そうもいかんのだガネ」
「おーい麦わら! 私はとりあえずこの二人と一緒に脱獄してみる! 下にはついてけないけど頑張ってね!」
「おう! ありがとな!」
麦わらのルフィ、といえば今や時の人であり、三億の懸賞金の大悪党。なのに評判の割にはとても真っ直ぐないい子じゃないか。バカだけど。
できることなら兄貴を助けに行く手助けぐらいしてやりたいが、さすがにこれ以上下に進んで獄卒獣に出くわすのは御免被る。さらに下手なことしてマゼランが出てきたりしようものなら、それこそ死亡フラグだし。
「おい、なにやってんだ! 行くぞ!」
「わかった!」
   
   
もう一度下を振り向くと麦わらと目が合って、間髪入れず返された太陽のような笑みに思いがけず胸が痛んだ。
ごめん。
また会うことがあったら協力する。
   
「アハハハハハハ予想外なほど早く ま た 会 っ た わ ね !」
もうヤケクソだ笑いしか出ない。なんだこれ運命か! それも必ずドタバタがついて来て騒ぎを大きくする星の元にでも生まれついてるのかこの麦わらは!
「あんた達脱獄するって言ってたじゃないのよーう!」
「やっぱ一緒に行きてェのか?」
「地獄へ行きてェわきゃねェだろうが!」
「なんかねー、隠れてたらこいつが勝手に飛んで来やがったのよ」
「あ、それぶっ飛ばしたのおれだ」
「嫌な予感はしたけどやっぱりあんたかァ!」
「もう…ヤダガネ…捕まってたほうがよかったガネ…」
バテきってるけど、それにしてはよくついてきてるんじゃないだろうかMr.3は。この吹き抜けは焦熱地獄の熱がもろに来て熱いみたいだし、ロウもすぐさま溶けるようなとこ、生半可な執念じゃこんなに長く走れないだろうに。
ちょっとペースを落として横に並んでみる。
「大丈夫?」
「だ、大丈夫に見えたら…君は目がおかしいガネ…」
そろそろ本当にきつそうだ。
「先に謝っとくわよ、ごめん!」
   
横で首を傾げるMr.3を思い切り蹴り倒すのと、吹っ飛ばして空けたちょうどその場所にミノタウロスが金棒を振り下ろすのはほぼ同時だった。
吹き抜けの中に轟音が響き渡り、ぱっと僅かに血霧が舞う。
「くそ! なまったな私!」
回避はしたが、走りながらだ。飛んだ瓦礫に少し腕をやられた。…言い訳をさせてもらえば、長い監獄暮らしでろくに稽古もトレーニングもできなかったのだ。仕方ない。
…君、私を庇って「庇いたくなるほどバテてたから見てらんなくってね」
「本当に可愛くないな君は!」
「どういたしまして小悪党。…まあ元々ただのお節介だけど、腕のお返しはさせてもらうか」
背後でまたミノタウロスが吼えた。
両手の中でじっくりと能力を呼び起こして集中し、足を止めると同時に作った風をぶつける。
狙いは腕!
「私の攻撃手段は、柔術だけじゃないよ!」
巻き起こした真空の刃は、見るも鮮やかな切れ味で真っ二つにした。
…ミノタウロスの、金棒を…
   
『おおー!』
   
後ろで男達が盛り上がってるが今のはただのコントロールミスで、本当はもっと深手を負わせるはずだったんだけど…
今言ったら水を差す。
「なるほど、風で鎌鼬を起こすのか。たいした威力だガネ!」
「あんな太い金棒ぶった斬るなんて、なかなかのもんじゃなーい!?」
「すげー! やるなお前ェ!」
「よしきた! こうなりゃおれも取って置きを見せたらァ!」
本当は腕一本もらってやるつもりだったとか、さすがにこの空気じゃちょっと言えない。
「ま、まあね! たいしたことじゃないけどね!」
   
黙ってよう。
   
「失礼いたします、副署長」
入ってきた女看守は(制帽と大きなサングラスで顔半分は隠れているが)そこそこの美形だと解る程度は整った顔立ちを崩しもしないまま、戸口付近にいたバギーとMr.3に思い切り蹴りを入れて退かした。
「痛ェ! 何すんだてめえこらァ!」
「そうだガネ! いくら看守でも横暴が過ぎる!」
「…なにか文句でも?」
「「ありません」」
   
「麦わらのルフィの処遇についてまとめたものです。今までの経歴や罪状、一味のデータなども一応持って参りましたが、肝心の点はこちらに。…所在はレベル5の中央塔、死亡までの推定時刻は毒を食らった時刻からしてざっと20時間といったところでしょうか」
「ああ、御苦労」
書類を指し示しながら説明を加える女看守へ、ハンニャバル…もといMr.2・ボン・クレーが鷹揚に頷く。
その様子を見守るバギーとMr.3の方へ顔を向けて、彼女はふっと口だけで笑みを形作ってみせた。
「例の手続きも済ませてまいりました」
「うむ」
「れ…例の?」
「手続き…?」
「知りたそうね」
相手の意図はまったく読めず、さらに味方であるはずのハンニャバル(に化けたボン・クレー)は何も言わないまま書類を捲っている。
思わず知らず背筋が寒くなった。
「おい、ヤベェぞ相棒…Mr.2の野郎、ひょっとしたらおれ達をこのまま見捨てる気じゃねェのか」
「いやまさか…と言いたいところだが、危険な目に合う確率は高そうだガネ」
「知りたいなら教えてあげる。
 あんた達のお仲間を火の海に叩き込んで死刑にした手続きよ」
言葉と同時にサングラスと制帽を外し、素顔を晒してみせる。
「「!」」
いつの間にか姿を消していたはずの、連れだった。
   
「ボンちゃんに女性職員の制服持ってきてもらってね、あちこち動いて情報操作してきたのよ。副署長がわざわざ動くんじゃ不自然なとこもあるから。…って、いうか…途中から完全に地声だったのになんで気付かないのよ…
 あ、囚人の私はもう足を滑らせて火の海に落ちて死んだことになってるからよろしく」
「脅かしやがってなんだそりゃ! 汚ェぞてめえだけ!」
「それだけの調べ物にいつまで時間を掛けてるのカネ! アホか君は!」
「だいたいその大荷物はなんだってんだ! 金でも奪ってきたんじゃねェだろうなこの極悪人!」
「食糧庫から食べ物くすねてきたんだけど」
「「文句言ってすいませんでした!!」」
   
   
「ねえ、ボンちゃん。麦わらを探すのは私も付き合うけど、それはそれとして食べないと身体がもたないよ。時間がないならその分早く動く必要があるでしょ、肝心な時にエネルギー切れじゃ締まらないわ。
 …ねえって。
 …食べないんなら口に漏斗突っ込むよ」
「わかった! わーかったわよう食べるわよう! あんた結構乱暴ねい!」
「まあね。身体が資本だからね」