「よかった! お前ら無事だったのか!」
…あ、また傷ついてる。
「アンタら、あん時ァよくも見捨ててくれたわねーい!」
…まあ普通怒られるだろう。
   
獄卒長や獄卒獣や牢番長、果ては監獄の副署長まで出てきて、さらにそこへどういう目的か知らないがマーシャル・D・ティーチ…“黒ひげ”一味まで乱入してきて、海底監獄は今までにない大混戦に陥った。
ノーマークの身は便利だ。そんな中をするりと駆け抜け、うまいこと毒にも武器にもやられずにどれだけ走ったろうか。
バギーとMr.3(と、なぜか彼らを妙に慕う囚人達)に出くわした。
「思ったより早くまた会ったわね…って前にも言った気がするけどまあいいや。やっぱり死んでなかったどころか元気そうで何よりよ」
「…やっぱり君もいたのカネ…いや、このメンバーならいるだろうな…」
「なによその言い種は」
「そう言うなよ、お前のこたァ心配したんだぜ? まさかあそこで浪花節に走るたァ思わなくてよ」
「失敬な」
自分に有利なステージで余裕があったから行っただけで、私は別段人情家じゃない。自分と人への感情を秤に掛けて、より重い方へ行くだけだ。大したことじゃない。
そんな考え事をしていたら、後ろから幾つも悲鳴が聞こえてきた。
「ヒドラだ! マゼランが来たァ!」
「マゼランまで!? どうなってんだこのフロアは!」
追いついてきた地獄のボスがヒドラの毒を振るい、囚人達もカマーランド組も次々やられて倒れていく。
そのあたりの看守や獄卒を捕まえて盾にしようかとも考えたが、あの量の塊じゃ意味はなさそうだ。
逃げるしかない!
「みんな避けろ! ヒドラが直撃するぞ!」
   
そして次の瞬間。
禍々しい色合いの毒の塊が真っ白になった。
   
「…壁?」
「まったく、貴様の甘っチョロさにはヘドが出るガネ。麦わら。ちょっと気を許せば仲間みたいに思いやがって!」
白くなったと見えたのは蝋の壁、それを作り出したのは、
「3!」
「Mr.3」
「今のうちに行け! 私の諦めは早いぞ!
 借りの作りっぱなしはごめんだガネ!」
   
まるっきり期待してなかったっていうのに反則だ。
ちょっとかっこいいじゃない。
   
「何をやっとるのカネ、君も早く逃げたまえよ!」
「そうもいかなくてね」
マゼランの毒はあくまで液体、鉄の硬度の蝋を破ることはできない。…ただ、彼らはなにか忘れてはいないだろうか。
「なんだ、お前も一緒に戦うのか?」
「そんなとこ」
「アホか君は! 死ぬぞ!」
マゼランの毒は確かに強力だ。しかしそれは、下手をすると周りの味方まで巻き込むいわば諸刃の剣。それ故インペルダウンの職員には『署長が次に何をするのか迅速に判断、配慮し、署長の動きの邪魔をしないこと』が義務づけられている。看守に成り済ましていた間に調べた。
つまり私は様々な攻撃のパターンを事前に覚えておけたのだが、そのデータの中に、蝋では防げないものが記載されていた。
特に麦わら。あんた一回見たらしいじゃないの。覚えとけそのくらい。
   
「…調子に乗るな…」
マゼランの口から重い息が漏れる。
   
「あれは…毒ガスか!」
正解、Mr.3。確か毒雲(どくぐも)。溜息のように重く息を吐くだけで人を殺せるのだから、強いは強いがなんとも不便な能力だ。
「あー! そうだった! このドクのやつガスも使うんだ!」
「最初に思い出せ、バカカネ貴様は! 私の蝋の壁では気体は防げんのだぞ!」
心なしかMr.3のツッコミが冴え渡っているような気がする。アホなこと言ったりやったりする人間に対しては果てなく振り回されるタイプと見た。
「それで君はなんでそう危機感がないのカネ!」
「危機には感じてるよ、焦るとろくなことがないから騒がないだけで。
 ところでズル賢いわりに案外間が抜けてるじゃない。まさか私の能力忘れたの?」
普段の攻撃手段は鎌鼬の刃、しかしそれしか出せないわけじゃない。
「髪がボサボサになるから、できればやりたくないんだけどね!」
   
言葉と同時、体から起こした旋風が荒れ狂い、毒ガスを巻き込んで浚っていく。
各フロアのあちこちに設置された換気口からガスをすべて押し流すには、そう時間はいらなかった。
十分な情報収集をしておいてよかった。
「た、助かったガネ…そうか、このためか…ありがたい!」
「どういたしまして。よかったよレベル1で」
換気にもっと手間がかかるこれ以下のフロアで、何度も毒を吐かれて量で押されたら今よりずっとやばいことになっていたはずだ。いや、まだやばいには変わりないから油断できないんだけど。
「おおー! マゼランのガス吹き飛ばしたぞ! すげえ能力だ!」
「なんだか知らねェが3兄さんと知り合いみてェだぞ、聞いたか今のやり取り」
「じゃあなんて呼ぶ?」
「名前知らねェしな」
「じゃあ姉御だ」
「姉御ー!」
「ガス系の防御は任せましたぜ姉御ー!」
「カッコいいぜ姉御ー!」
   
やめて。
   
太陽を見るのは久しぶりだ。
嬉しいは嬉しいけれど、しかし今ばかりはとてもじゃないが浮かれる気も起きない。
「やはり君でも何も言えんか」
横のMr.3に頷きを返し、樽に背を預けて座り込んだ。
ボンちゃんのあの覚悟に触れてなおはしゃげたら、よっぽどのドKYか天然だ。…ちょうどドKYが向こうで麦わらに張り倒されているけど助ける義理はない。
   
「あー、…君はあれだ、一緒に火拳を助けに行くのカネ」
結局真横に座ったまま、なぜかバギーや囚人達のところに行く気配もなく、Mr.3がぽつりと呟いた。
「行くも行かないも海流の流れが変わらない限り逃げられないんだから、もうどうしようもないでしょうが」
「さすがに腹をくくるのが早いな、羨ましい」
「割合女の方が度胸は座ってるもんだよ」
お世辞にも真っ当とは言えない道を歩く女なら、特にそうだろう。ここぞという時いざという時にナヨナヨメソメソしてちゃ締まらない。窮地にはますます機転が利いて、男を海に蹴り込んでも自分だけはうまいこと助かれるくらいでなけりゃあ。
「だろうな。最初は侮っていたが、君は案外戦争の中に殴り込んでも生きていそうだガネ」
「そうかな」
「ああ。それほど強いわけではなくとも、自分の力の及ぶ場所とそうでない場所を見極めるのがうまい。極寒地獄のことだって、生きて帰る自信があったから行ったんだろう」
「まあね」
ご明察だ。こういうどうしようもない事情でもないかぎり、基本的に私は自分のために動く。
「だから今苦虫を噛んだ気分でいるんじゃないのカネ? …違うか?」
「言わんとすることはわかるけど、腹の立つ指摘してくれるよね」
お人好し、とバギーには言われたが、実はそれほどのものじゃない。
自分のことしか考えない訳ではない。しかしあくまで自分のためにだけ生きている。
つまり人がいいだなんだ言われているがそれだけのことで、命を賭すような真似はしないのだ。勝算がなければ敵の前に立ったりしないし、もちろん命を捨てる覚悟で人を逃がすこともない。
「おっしゃる通り。器が小さくて困るよ、本当に」
それだから今さっきのような強い感情を前にすると、自己嫌悪にかかることもある。ボンちゃんしかり麦わらしかり、私はあんな真っ直ぐな人たちに礼を言われるような立場じゃないんだ。そこまで強い気持ちは持っていなくて気まぐれに近くて。本当はほとんど、ただの八方美人で。
「前から思っていたが、君はあれだな」
「ん?」
「…少しばかり私に似て「極めて心外だ」
「そ、そんなに怖い顔をしなくてもいいじゃないカネ…」
「外見だろうが内面だろうが心外極まりないわよ。周りほど強くはないから自分の能力と集めた情報をうまく使って立ち回ろうってスタンスだったら、まあ、言えないこともないとは思うけど」
「そこまで私の言いたいことを呑み込んでいるくせになぜ怒る!」
「ノリよ」
「ノリか」
   
いつの間にかケンカは治まっていて、今度はバギーが囚人達と何やら盛り上がって騒いでいる。
「…気に病むってこととか、あるのかしらね」
「さあ」
主語も使っていなかったのに言わんとしたことが目線だけで通じたあたり、あまり気分はよろしくないが案外本当に似ているのかもしれなかった。
   
「今思えば、因縁はあっても悪い奴じゃなかったガネ」
「因縁?」
基本的にボンちゃんを悪い奴だと思ったことはないから、そこは突っ込まない。
「Mr.2は、私がインペルダウンに入ることになったそもそもの切欠だガネ。…まあ私が元同僚を見捨てて逃げようとしたからではあるが、締め上げられて一緒に海軍に捕まってな。それだから飢餓地獄で会った時だって、こともあろうになんでここにいるはなかったはずだ…自分がやったことじゃないカネ、くそ、バカバカしい」
ぎりぎりと歯噛みしながら話す様子を見るに、なんだか色々と溜まった鬱憤があったらしい。黙って聞いておく。
「監獄で再会したらしたで、今度はいいように使われて。なぜ私が貴様と麦わらに協力する必要があった。私はだ、ただ娑婆に出たかっただけで」
いや、あれはあんたたちが麦わらを騙して協力させるために「一緒に行こう」って言っちゃったのも原因だと思う。
話がややこしくなるから指摘はしないけど。
「バロックワークスにいた時など、私を消す任務を受けた男だ。いや、カマだが。…なのに最後の最期であんな風に一人で犠牲になりやがって…貴様は麦わらを逃がせばそれでよかろうし気にもしているまい、しかし私はそうもいかんのだガネ。一体どんな反応をすればいいというんだ…まったく身勝手な奴め」
「つまり色々言いたいこともあったのに、何一つまともに伝えられないまま最後ででかい借りができちゃって何をどうすればいいのか困ってると」
「そうだ、だいたいずっと前から気に入らなくt「世界はそれを愛と呼ぶんだぜ」
「やめてくれたまえよ気色の悪い!」
「ごめん。言ってみただけ」
うわあ、全身びっしりと鳥肌が立っている。悪いことを言った。
   
いやそれにしても、いったいどこのロマンスだその展開。一度は(組織の命令とはいえ)自分を殺そうとした人間で、監獄に入る切欠でもあって。そんな男(オカマ)と地獄の海底監獄で再会して? しかもなんだかんだあったけれど、一人で犠牲になってくれたその男の信念に嫌も応もなく影響を受けているというのだから。
そんじょそこらの安いラブストーリーより情熱的な展開…とか言っちゃったら今度は本気で怒って、手足に蝋の重りつけて海に沈められそうだから言わない。
そして受け入れたくはないらしいが、たぶんこの様子だとボンちゃんの言っていた「ダチ」の意味も伝わっていると思うのだ。今までが今までだから抵抗はあるようだけれど、きっとそうなんだろう。
   
「愚痴を言って済まんな」
「ん? まあいいんじゃない、生死の掛かった局面になったら私はそんなこときれいに忘れるしね。
 そしたらMr.3、あんたもやっぱり火拳の救出を目的にするの?」
「そのつもりではいるが、誰にも話さないでいてくれるカネ」
「喋るほど人の目的にも動向にも興味ないもの」
「…そうか…
 あー、それから君の機転を見込んでのことなのだが、もしかしたらサポートを頼むかもしれなくてだな…」
「特にこの戦争に用事はないから、言ってくれればやるよ」
麦わらやジンベエさんは火拳の救出。イワさんたちは麦わらのサポート。サー・クロコダイル(と、ついでにバギー)は白ひげの首を取りに。それぞれ見事に目的がバラバラだ。
さて、どうなることか。
   
   
「ま、打てる手はできる限り打っておくか」