「この囚人はそのー…釈放済みだったか?」
「エンポリオ・イワンコフ? 奴なら数年前に…ほら、例のアレですよ。お忘れですか、副署長」
「あ、ああそうか! アレか! アレだ!」
「なっ」
「えっ! え、ええ、アレね」
こっちに振られても困る。
本当ならもう少し情報を集めておきたかったが、極寒地獄に行くなら私は不可欠ということでそんな暇はなかった。時間を食ったら麦わらが死んでしまうかもしれないから、もちろん急がなくちゃいけないが。
それでなくても隠語や略語や代名詞だけでは、ここで働く人間しかわからない(関係はないが、正体を見破られるスパイというのはこういうところから足がつくんだろうなあと漠然と思う)。
「あー、アレってわかるか、お前言ってみろ」
ボンちゃんナイスパス。不自然だけどこれはぜひ聞いておきたい。
しかし聞いてみたその話は、何ともおかしなものだった。
(インペルダウンで時々起こる失踪事件…鬼の袖引き? そんな話があるなら囚人達の間でも噂になってておかしくないはずなのに、半年は入ってた私が一言も聞いた試しがない…)
本当は囚人の前だからそういうことにしてあるだけで、何か隠しているんじゃないだろうか。それこそ噂で聞いた狂犬の看守長とかそういうのの犠牲者…予定外の死人を不思議な現象に仕立て上げて、組織ぐるみで隠蔽…なんて、まあ厳しいながらもそんな腐った組織じゃなさそうだから可能性は低いだろうが、念のために何らかの裏はあると見ておいたほうがよさそうだ。備えあれば憂いなし。
   
「寒くなってきたわね」
「そりゃ極寒地獄も近いからな」
隣の看守に耳打ちすると、なにを今更という顔をされた。
そりゃそうだ。ただし私自身は寒くないから、前のバギーとMr.3の様子を見て判断したんだけど。あんな分厚いコート着てても寒いって気温は一体マイナス何度に「では、いつものようにお預かりします」
「え?」
聞いてなかった。
何を?
   
「ええ、武器とコートを。
 いやー我々にはとても真似できません! 「囚人達に副署長の格を見せつけてやるのだ」と、極寒地獄をいつも裸で…しかも丸腰で行く様は、職員一同尊敬しております!」
   
あまりのことにボンちゃんが固まった。
「な、お前もそう思うよな」
「え! え…ええ…でもその、差し出がましいことは承知ですが、私としては少しお身体を大事にしていただきたいなーと…」
「ん? …なに言ってんだ、副署長ってよくセクハラするしすぐ野心出すし基本的にアホだけど、職務態度はすごく真面目で矜持が高いからついて行けるのよねっていつも言ってるじゃないか、女達は」
精一杯言い訳をしてみたが、逃げ場がなくなった。
「………。
 我が身を顧みない副署長の雄姿はインペルダウンの誇りです」
「そ…そうか…そうだな…」
ごめんボンちゃん止められなかった、でもその代わりと言っちゃなんだけど、
「あ、囚人にコートを着せるのも失笑ですので」
「「なぬー!」」
後ろの連中も道連れってことで。
まあやばくなったら私がエアエアの能力でどうにかすればいい。大丈夫だろう。
   
「あー、じゃあお前、ちょっと付いて「なんの御冗談ですか、副署長でしたらレベル1と2の囚人ぐらいお一人で十分でしょう」
「ただでさえ今は手が足りないんですから、こんなことで人員を割いたら署長に怒られますよ」
   
えー…
…そういう次第で、私だけ怪しまれない程度に仕事を片付けてから、あとでこっそり極寒地獄へ行くことになった。
ごめん皆。私が行くまで凍死しないでいてほしい。
   
どういう原理で焦熱地獄の下がこんな極寒になるんだろう。
   
カムフラージュに(何の因果か自分が捕まってたレベル2の)復旧作業を少し手伝って、コート…は余分に持つと目立つから酒を山ほどとできるだけの武器を持って、ついでにこっそり鍵も盗み出して、私は再度極寒地獄へ潜入を果たした。怪しまれずにレベル2まで上がったことだ、こっそり一人で逃げてもよかったんだけど、さすがにそこまで非情にはなり切れない。
コートを腕に抱えて看守の制服だけで歩いていると、辺りの囚人達に「なんだありゃ化け物か」なんて言われた。気持ちはわからんでもないが極めて心外だ。私はただの能力者で、本来ならここに放り込まれてるあんたたちの方が遥かに化け物だ。
でもとりあえず聞いてみる。
「あのさ、髪の長い赤っ鼻とメガネの3頭と拳法使いのオカマ見なかった? なにか役に立つ情報くれたら出してあげないでもないよ」
「なんだそりゃ…知らねェな」
「あっそ。ごめんね時間とらせて」
「待てよ、その酒置いてけ」
「情報もよこさないでナメた口効くんじゃないわよバーカ」
「おい待て! 待てよ!」
踵を返そうとしたところに、隣の独房に入っていた囚人が割り込んだ。こっちは何か知ってるらしい。
「知ってるの?」
「いや、あんたの言うそのカマかどうかは知らねえけどよ、向こうの森の方で軍隊ウルフと格闘してた拳法使いだったらおれァちらっと見たぜ」
「どんな格好してた?」
「そういやなんの刑かは知らねェが、裸だったな」
「他に誰かいた?」
「いいや、一人だ」
「一人…」
もしもそれがボンちゃんだったとしたら(というかこんなとこで裸なんて一人しかいない)、あのアホ二人ははぐれたか一足早く狼の餌食になったか…それともボンちゃんを放って逃げたか。
…最後っぽい。
持ってる鍵はその錠に合わなかったので、せめてのお礼に隙間から丸めたコートを突っ込んだ。女物だけどがんばれば着られるだろう。
「ありがと、探してみるよ。サイズ合わないと思うけどこれ取っといて」
軍隊ウルフと言ったら、ここに来る前かき集めた情報の中にあった名前だ。
「凶暴で、個々の戦闘能力も高く、かつイヌ科特有の統率の取れた狩りを特徴とする。極寒地獄は他と違い監視用電伝虫が使用不可能となるが、獰猛な軍隊ウルフを多数放し飼いにすることで受刑者達への牽制としている…だったかな」
とりあえず早くどっちか見つけないと、狼の前に寒さで死んでしまう。
   
そして数十分後、なぜか二人で抱き合っているバギーとMr.3を見つけた私は地の果てまで引いた。
   
「いやいやいや邪魔してごめんマジごめん。人がどういう趣味に走るかは別にほら、私がどうこう言うことじゃないし気にしないでくれると、うん、じゃあ私はこれで!」
「待て! 違うんだガネ! 誤解したまま行くな!」
「おいちょっと待て! 行くのはいいから誤解は解け! それと手の中のモン置いてけ! 死んだらどうしてくれんだ!」
   
「お前にコート取られた時は殺してやろうかと思ったがよ、いやー助かったぜ帳消しだ」
「危なかった…あと少し遅かったら凍死してたかもしれんガネ…それにしても便利だな君の能力。ああ暖かい生き返る」
「…重い」
よくまあ器用に歩きながら人の肩に体重掛けて乗っかかれるもんだ。
「そう言うなよいいじゃねェか、なんだったっけな。あァそうだ、逆ハーレムじゃねえかこの状況」
「死ね」
もれなくヒゲ面+オッサンのむさ苦しい逆ハーなんかあってたまるか、真っ平ごめんである。だいたい私の好みは勇敢で逞しいイケメンだ。こんなお笑い芸人どもではない。断じて。ない。
「さらっと酷いガネ」
「そもそもこの状況誰のせいだと思ってんだてめえ」
「まあまあ、一人で逃げないで戻ってきたんだし許してよ」
余計なこと言って悪かったとは思っている。自分の周りをいつもより暖かくして、さらに効果範囲を広げているのもそのためだ。
「ちょっと待て、今の聞き捨てならねェぞ。逃げられるようなフロアまで上がったのかお前」
「制服効果ってすごいよね、私の誤魔化しスキルのせいもあるとは思うけど、それでも疑いも持たれずにレベル2まで上がれたもの。やろうと思えばたぶん逃げられたよ、あれ」
「なんだそりゃァ!」
「羨ましいにも程があるガネ!」
「そんなこと言われても!」
人の欲しがるものを捨てるのは真に持てる者の振る舞いだとか聞いた覚えがあるけど、私のこれは大半が罪悪感、あとはほんのちょっとの仲間意識だ。知らないところで死なれたら寝覚めが悪い。
「そうか…おい相棒、こりゃあいいこと聞いたぜ! おれ達もどっかで看守の制服奪って着りゃあ「サングラスじゃ最大の特徴が隠れないからムダじゃない?」
「真っ直ぐにどこ見て話してやがんだてめえ」
「え、まさか自覚ないわけないよね」
バギーは鼻が、Mr.3は眼鏡が邪魔だろうに。
   
「ところで極寒地獄の入り口まで送ればこと足りる?」
「待てよ、お前は一緒に来ねェのか」
「だってあんた達ボンちゃん見捨てて逃げて来たんでしょ、探して一緒にここ抜けるのよ」
「エアコン人間の君なしでどうやって焦熱地獄を抜けろと!」
「自分達でどうにかしなさいよ、麦わらは瀕死だしボンちゃんはこの極寒地獄で裸なんだから放っておけないじゃないの!」
「ここ極寒地獄だぞ、確実にもう生きちゃいねえよ! おめェはどこまで人がいいってんだ!」
「 普 通 だ ! 」
   
結局上へ登る階段の所まで送ってから、持っていた食料と武器を渡してそこで別れた。
「今生の別れかもしれんが、お互い生きていたらまた会おうじゃないカネ」
「そうね。…まあ私はどうか知らないけど、あんた達はしぶといから死にゃしないでしょ」
「おめェの能力は惜しいが、ああまで言うなら仕方ねェ…
 あばよ、また縁があったらな!」
   
林の中から出て来たツートーンカラーの男を見たときは目を疑ったが、その男が私の名前を呼ぶに至ってはひっくり返りそうになった。なんでもボンちゃんと麦わらを匿っているそうだけど、正直言ってうさん臭い。
「私のこと知ってるの?」
「我々は映像電伝虫を飼っているからな、監獄のことなら色々知っている」
我々?
「ついて来ればわかるさ、道すがら説明もする。…ああそうだ、私の名はイナズマ」
「よろしく、イナズマさん」
岩をくり抜いたようなつくりの長い廊下を歩きながら、気付かれないように首を捻った。
(麦わらとボンちゃんを預かってるって、まさか死体じゃないよね)
縁起でもないので、考えつかなかったことにした。
   
「…なに、あの声」
獣の吼えるような声と、それに重なっていくつも人の声が聞こえる。
「知っての通り彼は重複した毒を受けている。それを打ち消すには治癒ホルモンを打って、体内で抗体を作る必要があるんだが、その治療は凄まじい苦痛を伴う」
「じゃああれ麦わら?」
「ああ、あの調子で5時間は叫び通しだ。君の言う、その『ボンちゃん』が励まし続けているが…どうなるかは」
まだ分からないか。
悪い予想はしてたが、しかし重複した毒を食らって生きられる可能性が上がっただけでも有り難いんじゃないか。
私は何もできなかったし関わりもないに等しいが、麦わらが心配だったことは確かだ。イナズマさんの上司のような立場で革命軍幹部…ええと、イワさんだったか、その人に会ったらきちんと挨拶と礼を述べないと。
「ここだ」
「ありがと」
   
「あら、ヴァナタが噂のガールね! 麦わらボーイを助けにこんな所まで戻って来るなんて見上げたモノじゃない!? 歓迎するわよ! ヒーハー!」
   
『ヒーハー!』

…その団体の衝撃で一瞬頭から挨拶がぶっ飛んだが、きっと私は悪くない。
   
「あれ、? なんでここにいるんだ? 脱獄したんじゃねェのか?」
私を認識した第一声がそれか。
「バギー達と一緒に行くつもりだったけど、どうしても捨てておけなくて戻って来たの。ついでに行きがかり上、兄貴を助けるのも付き合おうと思って」
「そっか、ありがとう。おめェやっぱいい奴だな!」
「それほどでも」
死にかけて寿命まで削ったっていうのに、相変わらず一点の曇りもない笑顔だ。麦わらはいい子だが、こんな時までいつもと同じ調子ってさすがにどうなの。…これがあの世界的な犯罪者の息子だというんだから、世の中はほんとにわからない。
「麦わらボーイ、ガールもずいぶん心配してたのよ。一回はレベル2まで上がってからヴァナタ達を助けにわざわざ降りてきて、ここに来てからはボンボーイと一緒にずっと叫んでたわ」
「そうなのか?」
「そうだけど、あんま気にすることはないよ。結局助けにならなかったんだから、有り難がられると照れる」
「何言ってんだよー、おめェ元々脱獄する気だったのに、おれやボンちゃんのために戻ってきてくれたんだろ! ホントにありがとうな!」
「わかった! わかったから手を掴むな振り回すな! 離しなさいよこら、折れたらどうすんの!」
「襲い来る軍隊ウルフを片っ端から掴んで投げ飛ばしていたあの腕っ節は、折れるほどやわには見えなかったが」
「…黙っててくれない? イナズマさん」
林の中で狼に囲まれた時は、さすがにちょっとやばいかと思ったんだから。というより、腹をくくって本格的に格闘に持ち込まなきゃ喰われてた。
笑うなニューカマー組。
「そんなことより行くんでしょ、レベル6。早くしないと兄貴が連れ出されるよ」
「そうだ、行かねェと!」
私は少しだけここに残って、麦わらやイワさん達が火拳を連れてくるまでに戦闘準備をしておこう。助けられるかどうかは時間的に見てもギリギリのギリのラインだろうが、どちらにしても脱獄はすることになるんだし。
イワさんとイナズマさんが味方になってくれるなら、私がいなくても支障はなさそうだ。
それに(無茶をしまくったボンちゃんほどではないけど)叫び通しは正直きつかった。ちょっとだけ休む。
   
「…ねえ麦わら、ちょっと聞きたいんだけど」
「なんだ?」
「件の火拳って、あれ手配書の写真通りのイケメンなの?」
「ヴァナタこんな時に何聞いてんの!」
「私のモチベーションに関わる一大事です!」
このアホ助の兄貴だから、頭の中身までは期待してないけど。