彼女の詳細はどうでもよかった。 ジョージ・ラローシュにとって、その認識は「現状“柔らかい石”のいれものである可能性を持つ一般人」以上の何者でもありえず、奇妙な縁でまた少し行動を共にする人形使い…阿紫花英良にとっては違うとしても、それが仮に恋人であろうが家族であろうが赤の他人であろうが、どうであってもやはりジョージには関係も興味もありはしない。 自分の役割は、しろがねの検査施設(不便にも今の地点からは車でまだ走らなくてはならない)までを送り届け、本当にその体内に石を宿しているのかを確かめることであり… (…このままでは埒が明かない) その為には、彼女を浚った飛行タイプの自動人形をどうにかして打ち落とす必要があった。 空中戦をこなせるのはジョージ一人、阿紫花は手持ちの“プルチネルラ”“グリモルディ”共に陸上戦特化(に至っては攻撃手段も持たない)と自分達の編成は調べられていたらしく、自動人形はそのほとんどがジョージの“神秘の玉”に徹底マークを仕掛けてきた。 阿紫花いわく「なんでえありゃ、黒ヒゲ危機一発じゃあるめえし」などとよくわからない形容をされた自動人形は、幸い(人一人の重量を内包しているせいか)さしたるスピードは出せないようで、今はまだ見える位置にいる。 (だが、このまま飛べば完全にアドバンテージは向こうに移る…その前に、彼女が打ち合わせ通りに動ければいいのだが!) 通信機からかすかにと阿紫花の声が漏れるのを聞きながら、何体目かの人形を破壊した時。 「もしもし! ジョージさん、です!」 自動人形のいやらしい笑い声に紛れて消えそうになっていたの声が、唐突にジョージを呼ぶ。 何をどう言われたかまでは不明ながら、果たして、その声は先ほどまでの哀れなほどに震えたそれとは決定的に違っていた。 「もう…、もう」 「どうした!」 「もうどうにでもなればいいわ! 手筈通りに攻撃します、あとはよろしく!」 確かこうした状態を日本語のスラングでは「ヤケクソになる」だとか表していたようにも思う(どういう字を当てるかまでは知らない)が、感情の種類はともあれ、動けるまでの力が湧いたのは悪い事態ではなかろう。たとえ、恐怖が限界を突破したことによる一時的なエネルギーであっても。 こちらを舐めきったことに風船で宙に浮かぶ人形を目線だけで見上げると、周囲の自動人形が一斉に耳障りな笑い声を上げた。 「なァんだよ、しろがね、しろがねー」 「余所見すんなってぇ、サミシイだろォ?」 「踊ってくれよー、おれたちがお前の相手だよォ」 “神秘の玉”に纏いつくように旋回し、最初から付かず離れずでジョージを地上に縫い止めていた自動人形が三体揃って笑う。 それぞれ赤、白、黒を基調に、派手ながら統一性のあるデザインと仕草。おそらくは三位一体で任務に当たるべく作られたものだろう。 「…ふん。お前達、“しろがね”を随分と侮っているな」 色の濃いレンズの奥から一瞥するジョージに、人形達は愉しげにもう一度声を揃えて笑った。 「なんで、なんでェ?」 「しろがねをバカになんてしてないよォ?」 「おれたちがバカにしてんのは人間だよォ」 「ニンゲンは遅くて弱いもんなーァ」 「アタマ悪いしィ?」 「おれたちの戦法はムテキだよォ? さっさとあきらめちゃってさァ、血をおくれよ、しろがねェ」 「くくく、…そう思うか」 やはり三体そっくり同じの、首を傾げる動作に被さるように。 「なめるんじゃ…ないわよっ!」 日本語には、絹を裂くような…という形容詞がある。 その体で言うならば雑巾でも引き裂くような耳障りな悲鳴を上げる飛行人形の顎を、空洞になった身体の中から突き出された白刃が深々と刺し貫き…さらにの手中にしっかりと握られた鋭い刃は、勢い余って喉から顔までもを切り裂いていた。 自分でやっておいて威力に驚いたのかが間の抜けた悲鳴を上げているが、そんなことまではジョージにはどうでもよかった。 (わざわざ寄り道をすることにはなったが、持たせておいて正解だった) に持たせたのは、名称は未定ながら日本支部でようやく開発に踏み切ったばかりの試作品だった。 何の変哲もない大振りのナイフに見えながら、一定以上の力を込めて突き刺すと、内蔵した“しろがね”の血を対象の体内に流し込む。例によって人間には切れ味のいいナイフ以上の意味を持たない武器ではあるが、自分達の血を毒とする自動人形にとってこれ以上の恐怖はなかろう。 「わっ、お、落ち、落ちる! おち…あ、あ、いいんだったこれで…ああああああああ!」 「…なァに言ってんだ? あれ」 「…実戦慣れをしていないんだ」 一般人にしても間の抜けすぎた悲鳴に、さしもの自動人形としろがね-Oも暫時呆れた。 「おいおい! ちょっ、ありゃヤベェぞォ!」 「“しろがね”でもないフツーの人間が、あんなとこから落ちたら死んじまうよォ!」 「死んじまったら…さ、最悪おれたちが壊されちまう!」 (壊される…この人形ども、誰かに裏で使われているようだな) 空中に放り出されたにそれぞれ視線をやって、恐怖を滲ませた甲高い声が口々に喚き立てる。 「一回助け…「おっと、お前達は私の相手なのだろう?」 さすがに想定外の出来事であったのか三位一体の態勢を大幅に崩した人形達の背へ、冷笑を含んだ低音が投げ掛けられた。 「一度ダンスを申し込んでおいて、パートナーを放って逃げるとはマナー違反も甚しいな。木偶人形」 呼吸を必要としない自動人形の、その口から漏れたのははたして呼気であったのか、でなくば悲鳴のなり損ないであったのか。ジョージは知らない。 スピードを上げた“神秘の玉”は近くの立木をクッションに、完全に隙を見せた一体の側面へと跳ね返り、ちょうど頭から胸部を強力な回転の中へと巻き込んで木っ端微塵に粉砕した。 今度こそ、動物でも絞め殺したような耳障りな悲鳴が響き渡った。 「な、なにすんだよォ! あの女助けに行かなくていいのかよォ、おまえ!」 「必要ない。それよりも」 今は亡きフランシーヌ様に、末期の祈りでも済ませたらどうだ。 再度上がった絶叫にかき消されて、その声が聞こえたかどうかまではわからない。 「戦闘に於いて三位一体の戦法は確かに高い効果を発揮する…が、どれか一つのコマを消してしまえば、一転して驚くほど脆くなる欠点も合わせ持つ。…人間が作り上げた戦法はどれもこれも一長一短。しかしそれを状況に応じて組み合わせて、人間は戦いを続けてきた」 サハラ砂漠での死闘を、死にゆく何千何万のしろがねの亡骸で深紅に染まった血の砂丘を。 らしくないと、論理ではそう思いながらも。あの日網膜に焼き付いた鮮血の色を思い返すと、冷えたはずのジョージの血がふつふつと熱く煮え滾る気配がする。 「思い知れ、単純な自動人形ども」 まだヒトであったころは、この感情をなんと呼んだろう。 答えはすぐに出た。 「この世に無敵の戦法など存在しない!」 眼前の自動人形へ叩きつける特殊な合金の刃がその硬度を増すように、ジョージの精神は怒りによって薄く鋭く研ぎ澄まされた。 (純然たる憤怒で動くなど久し振りだ…“しろがね”になってからは、初めてか) 三体目を撃破したジョージが横目に見ると、これもまた打ち合わせておいた動き通りに。 “グリモルディ”の機動力をフルに生かして落下地点へと滑り込んだ阿紫花が、ちょうど長く伸ばした人形の首での身体を掬い取ったところだった。 |