「いいですか、斜堂先生…」
「ちょ、ちょっと待ってください…まだ心の準備が」
「今さらなんですか、どうしてもって言ったのはそっちですよ?」
「ですけど、こんな…こんなの初めてで」
「誰でも最初は初めてに決まってますよ…大丈夫、うまくやります」
「それはもちろんあなたを信用していますが、でも、…いざとなると」
「なるべくすぐに済ませますから…ほら、力抜いてないと余計に痛いですよ」
「…さん…」
「そんな顔しないでください…ずるいな、もう…」


「………。」
「………。」
善法寺伊作と食満留三郎。
忍術学園の最上級生…最もプロに近いと言われる六年生の彼らであるが、これほどまでにリアクションの取りづらい状況に陥ったことは未だない。包帯が切れた急場凌ぎに、来たばかりの頃よくよく怪我ばかりしていた掃除婦が確か常備していたはずだと部屋まで借りに来てみれば、これである。
会話のパートが逆だったなら…彼らもそう初心でなし…ここまで微妙な気分にはなるまい。なんだ、いつの間にそういう間柄になったのかと思いつつも納得して出直したはずだ。
しかし、これは一体何事なのだろうか。
(…あの人男だったのか?)
(そんな訳ないだろ…いや、普段の言動を考えるとちょっと否定しづらいけど、でも私あの人の怪我なら結構見てるから断言できるよ。女性だ)
(ならあの会話はなんだ、どう考えても普通じゃないぞ)
(いや、それを私に言われても)
(少し様子を窺ってみるか?)
(うーん…とはいってもこのままいつまでもじっとしてたら、不審に思って誰か来るだろうけど…包帯切れたからさんにもらうって言っちゃったし)
(どのみちここで帰っても似たような結果になるだけで、あげく俺達の精神衛生上にも良くないだろ)
二人は一言も発さぬまま障子の影に身を潜め、引き攣った顔を見合わせながら、アイコンタクトとボディーランゲージのみで正確無比な会話をやってのけた。いわば火事場のなんとやら、そのくらいのことをしなければ、仮初めにも相手は忍術学園の教師…すぐさま気付かれてしまいかねない。
別段邪な目的で来たわけでもないのだから気付かれたところで咎められもするまいが、そこはさすがに読むべき空気というものがあろう。
また、この場に同級生の七松小平太がいないことは唯一安堵できる要因でもある。
((小平太がいたら、なんの頓着もなく開けて入って行きそうだ…))
二人の思考が図ったように一致し、軽く頷きを交わすのと、室内からくぐもった声が聞こえたのはほぼ同時だった。
「痛…っ!」
「大丈夫、最初だけです。すぐに痛みもなくなるし、楽に入るようになりますから…ちょっとだけ我慢してください?」
「はぁ…そ、そう言ったって…」


(ちょっ…おい…!)
(え…えええ…!?)


ますますもって表情が引き攣る。一体中で何が起こっているというのか…謎を解かなければ帰れないような気にさえなるのだから不思議なものだ。
というより、いくらなんでも学園内で真っ昼間からこれは大人としていかがなものだろう。
(……止めるな、伊作。ここまで聞いた以上俺達には知る権利があるはずだ)
(……止めない。私も気になる)
指を舐め、ほんの僅かに障子紙を溶かして破り、野戦実習の最中もかくやと言わんばかりの緊張感で室内を覗き込んで、
次の瞬間、二人は流れるような動作でほぼ同時に障子を開け放った。

「おや…君達、さんになにか?」
「…いえ、あの…何やってんですか」
「あれ、珍しいわね。どうしたの留くん。いさっくんも」
「どうしたはこっちの台詞です。本当に、何やってるんですかそれ」
主の性格を反映してか、多少乱雑な印象のある部屋の中。二人は着衣ひとつも乱さず、気まずげな素振りさえ見せていない…つまり、あれほど紛らわしい会話の見当が全くつかないのだ。
本来の目的は取り敢えず脇に退けて、伊作はまだわずかに口元を引き攣らせたまま説明を促した。
それに対する掃除婦の答えは、なぜか変化球で返ってきたが。
「ああ、ほら。ちょっと前に皆驚いてたことがあるじゃない、耳のこれよ」
そう彼女が指し示したのは、自分のつけた…なんとも珍しい形の耳飾りだった。
「…確か、耳に穴を開けてつけるとか言ってたやつですか?」
「そう、ピアス」
以前食事の時間がかち合い、あれこれお互いの話をしていた時に聞いた覚えがある。
そういえばいつもつけている耳飾りはどういう風になっているのか、と同席した一人…小平太が振って、自分も興味があるから聞かせろと仙蔵が促し、耳に穴を開けるのだと説明を受けて伊作が震え上がり、そうまでして飾りなどつけたいものかと文次郎が一蹴し…また耳だけでなく様々な箇所にピアシングをする者がいる、と詳しく聞かされて全員が戦慄した。
一体どんな刑罰なのかと問い詰めた彼らは、強要されることも稀にはあるが、多くは純然と趣味でやるものだと聞いて仰天した。耳、鼻、唇、臍、目の上はまだしも…舌や、こともあろうに男性器の先などと聞くもおぞましい話ではないか。
そして要は被虐気質の変態がやることか、と結論付けたものだ(余談であるが、文次郎がそれをうっかり口に出して掃除婦に猛反発を食らった)。
「…あ、だいたいわかりました…」
「うん、斜堂先生がどうしてもって言うから。…直前になってあんなに怖じ気付かれたら困りますよ…まだ片方残ってるのに」
「大して痛くないって言ったじゃないですか…」
「そりゃあ私は専門の病院に行って、専用の機械使って一瞬でやってもらいましたからね。それほど痛くはなかったですよ。でも自分がやるとなると要領が掴めなくて…それに機械もないから結局針だし…」
「…まあ…それで構わないと言ったのも私ですから、文句なんてないですけど」
「やっぱり忍者でもいざとなると怖いものですかねえ」
「いやそこは関係ないです」
「論点ズレてますさん」
六年生二人に同時に突っ込まれて、マイペースで知られる彼女もさすがに少し鼻白んだ。
「ところで、どうしてまたそう怖がるようなことをわざわざ頼むんですか?」
「…やむを得ない事情で、至急自分を変える必要があるのです…」
(…意味、わかるか?)
(さあ…)
言葉の意味はともかく、聞くことは聞いた。いつまでもここにいても仕方あるまい。
「それじゃあ…お邪魔しました」
「開けて暫くは本当に傷口だそうですから、ちゃんと消毒…ああ、斜堂先生だったら言うまでもないですね。なにかあったらすぐ保健室まで来てくださいよ」
そうして伊作は最後に、保険委員として言うべきことを言っておいた。


「あとさん、
 …言うの忘れてました。包帯貸してもらえませんか」














「斜堂先生、落ち込まないでくださいよ…き、気持ちは伝わったと思うんです、ええ」
「………。」
「先生ー…それ、その銀のピアスあげますから、元気出してくださいってば…」
「………。」
「(だからやめなさいって言ったのに!)あー、せっかくだからしばらくそのまま塞がずにおきます? 開けるのはともかくアフターケアならできますよ」
「…そうしましょう…」
「(ああもう、やっとしゃべってくれた…)こう言ったらなんですけど、斜堂先生は暗い方がいいですって絶対に…」
「嬉しいです……慰めでも…」


お世辞や慰めじゃないんですけどね。
…だからそろそろ部屋の隅で落ち込むのやめて、こっち向いてくれてもいいじゃないですか。