「…い、いいのカネ? この状態で私が言うのもなんだが、本当に?」
「いいの。監獄暮らし長いでしょ? そんな状態で死ぬかもしれない場所に行くんだから、したくなるのは当たり前だもの。生まれてこの方女だけど、周りが周りだからね。そのあたりの男の生理はわかってるつもりよ」
口調こそ常の飄々としたものながら、しかし普段からは考えられないほど妖艶な熱を帯びた視線。喉元から胸に軽く爪を立てる指。加えて、耳を疑うばかりの言葉。
あまりに久しいそうした方面の刺激に、知らずのうちに息を飲む。
奪い取った軍艦の中の奥まった個室。どうにも押さえきれずに、人目を憚りながらを引っ張り込んで駄目で元々と口説いてみたが、彼女の答えは予想に反して肯定だった。
「ううん、本当は遺伝子を残す本能がどうとか、生理現象がどうとか、そういうことが理由じゃなくて…その。
 …3兄さんなら、私」
堪らないまでの言葉と蕩けそうな目を向けられて、背筋に灼熱の欲望が走り抜ける。
「乱暴にしても構わないから、抱いて…」
無言のまま彼女の手を取り引き寄せると、勢いにまかせて唇に噛み付いた。


* * *


許してもらおうと思ったことなど一度もない。
いくら大恩ある人達のためといっても、いかにも気のある素振りで人を騙して繋ぎ止めて能力を利用して、そんなことを繰り返すために女の身体のままでいる。イワさんが言うような新人類の誇り高さなんて欠片さえ見当たらない…私は卑劣で狡猾で薄汚い、ただの詐欺師。
故に乱暴にしても構わないと言うのは私の自己満足であり、男の理性を取っ払い獣性を呼び起こすための引き金でもあり…また同時に、ことが済んだ後相手に罪悪感を植え付けるための枷でもある。
だから今回の反応は、本当に予想外も外だった。


身支度を整えて表に出ると、ちょうど陽の当たらず人気のない(囚人たちもカマーランド組も、なんだかんだで日光を浴びるのが久しぶりだからあまり日陰に入りたくないのだろう)静かな物陰に…それでさえ尚とんでもない存在感でイワさんが立っていた。
「ッ! …な、なんですかイワさん、どうかしましたか」
割合いつもテンションの高い人なので、黙っているとなんとも言いようがなく不気m…いやすごい威圧感である。
「どうもこうも。いつまでそんな真似を続けるつもり?」
「それが言いたくて待ってたんですか…いいでしょう別に、私が勝手にやってることですよ」
今をさること5年前に、革命軍…いや、イワさんとイナズマさんに助けられた記憶は未だ鮮明だ。自分の生まれ育った世界も職場も、家族も友人も恋人も。ある日を境にぷっつりと生き場所すべてを無くし、途方に暮れていたところをこの人たちが拾い上げてくれた。心が折れそうだった野良犬に道をくれた。
命の借りは命で返す。私が受けた恩はこんなものじゃない。
もっともっと、いつか私の気が済むまで。
「そうよ、ヴァナタのサポートは確かにいつも的確だけれど、だからと言って自分の性を売り物にさせるような方法は誰も望んでなっサブル。
 それに昔助けた相手を、どうしてむざむざ破滅させたいと思う? …こんなやり方を続けてたら、いつかどこかの男に後ろから刺される羽目になるわよ。だからもうお止しなさいな」
「考えてはいます。でも今は本当に、あまりに選択肢が少なすぎる。だから今回だけはどうあっても…皆の嫌う身体を使ったやり方でだって、退路を確保しておく必要が「好きな男を騙しても?」
「!」
心臓が跳ね上がって頭に血が昇って鏡はないけれどそれでも十分顔が熱くなるのが分かって、
「そっ! そそそそんな私は別にあんな男のことなんか騙そうが殺そうがどうしようが全然なんとも思ってませんってばいやだなイワさんったらよしてくださいよちょっと優しくされたぐらいでそんな!」
「へえ、やさしかったの」
「あー…えーと」
焦るあまりに墓穴を掘った。


「………優しかった、ですよ。そりゃ…。手荒くしてもいいって言ったのに、私が痛くないようにって、すごく丁寧で、でも、…ああ、なんで!」
噛み付くような口付けの後にしまったと言わんばかりの顔をして、それを拭うようにもう一度、今度は触れるだけに留めた…ごく優しいキスに変わったのは驚愕以外の何でもなかった。所詮は犯罪者、いや、それ以前に男なのだ。ちょっとこっちがそれらしく意味深に微笑んで足を開いてみせれば、いとも簡単に食らいついてくると踏んでいたのに。自分だって相当溜まって辛かったろうに、それを押さえてまで。
(なんであんなに、あんなふうに)

「認めなさいな。。ヴァナタ、どう見ても3ボーイに惚れてるふうにしか見えなブルよ? 作戦がどうだろうがもういいから、好きなように振る舞えばいいじゃないの」
「…いや、です」
そんなはずがない。誰がなんと言ってもあんなのになんか惚れてない。たとえ恩人の言葉でも、断固! ない!
「若いのに頑固ねェ」
「だってイワさんも知ってるでしょう! 私は今までどんな色男にもどんな強い男にも、それこそどんなに熱狂的に好かれても絶対に靡かなかったのに! それをこんな大事なときにあんな…あんなのに、どうしてそんな…」
「どうもこうもないわ。ヴァナタはそんな否定がどれだけ無意味かわからないほど初心でもバカでもないでしょ?」
わかっている、今自分が言ったことがどれだけバカな言い分か。口に出した端からあまりにも理にそぐわなくて我ながら泣きそうだ。必ずしも美形や美人、強者だけが好かれる要因になるくらいなら、そもそもこんな詐欺みたいなサポート自体私にできるはずもなかろう。
わかっては、いるのだ。
「でも、だからって今すぐ認められるかどうかはまた別の話です。なんにしても、結論を出すのは火拳の公開処刑云々が片付いた後ですよ」
「ンフフ…ほんと意固地なんだから」
今だからこその吊り橋効果かもしれないし。
言ったらきっとひねくれてるって笑うけど。この人。
「どこ行くの?」
「…まだ仮眠を取ってるはずだから、やっぱり部屋に戻ります。この精神状態じゃ、麦わらたちのとこに戻る気にもなれませんし」
「あらあら、男をベッドに残さブルなんてなかなかの悪女っぷりじゃないのォ? やるわねェ! ン〜フフフフ!」
「 イ ワ さ ん ! いい加減私怒りますよ!?」
「ヒーハー! 怖い怖


「ぬあああああ」
最後まで聞かず、勢いのままに重量のある鉄の戸を思い切り閉めた拍子に肘をぶつけて腕全体が強烈に痺れた。ああくそ、くそ! つくづくついてない!
肘の付近から小指までを揉みほぐして痺れを取りながら、涙目でぼんやりと考える。
恋なんてものは、そうだと思った瞬間から恋なのだ。どれだけ甘い言葉をならべ立てようが熱っぽい目で身体をさし出そうが、本人がその感情を認めないのならばなんの意味もない。だから私はまだ大丈夫。少なくとも…どういう結果になるにしても、白ひげと海軍の全面戦争が終わるまでは、心を差し出すわけになどいかないのだ。
私だって小物だから、どんな事態になるのか予想もつかない。戦争の主軸に関わることもきっとない。ただ自分と恩ある人達を死神の鎌から守るために、なんとも頼りない道を確保しておくしか能はない。
この戦争がどんな結末になろうとも…今飛び込もうとしている大嵐が仮に収まったとして、この海に…世界に凪が来るという保証もありはしない。ひょっとしたら今以上にとんでもない事態になる確率だって決して低くない。けれど。
「その時ぐらいには、答えは出てるのかしらね」
まあ、なににしても私とあっちと二人とも生きていられればの話だ。小物だし弱いからあっさり死にそうにも見えるのだが、でも麦わら帽子が言うことには今まで何度も何度も死ぬような危機に瀕してそれでも生きていたそうだから、これは案外わからない。たら、ればでものを言うほど楽観的なタチではないが、…それでも、もし。二人とも生きていられたなら。
私はそのとき、どうするんだろう。
「…しかしまあ…心にもないことだったらいくらでも言えるのに、その言葉が本当になりかけるとビビってへどもどするなんて」
ひょっとしたら私は女の風上にも置けないヘタレなんじゃなかろうか。
できれば気付きたくなかったイヤな考えに行きついてしまい自然がっくりと肩が落ちるが、悠長に落ち込んでいられるのも今だからこそ。今のうちに部屋まで戻って、気が済むまで堂々巡りの中で考えることにしよう。


戦争の真っ只中へ殴り込むまで、あと数時間。