やらかした。盛大にやらかした。
もうそろそろ帰るというので支度をしながら(といっても、がんばって手に入れてきた酪の種しか手荷物はない)、私は思わず顔が暗くなっていくのを抑えられずにいた。
ちょっと前に人を貸してもらって「これ首飛ばして穴あけてかまどにしようぜ!」とやった仏像の頭は、今表に三つぐらい用意されている。自分で言い出したからには持って帰って米でも炊かないと。
(あー…サブロー君になんて言おうあの首…)
反省はしているが後悔はしてない。
一時のテンションであんなことやっておいてなんだが、どうしても聞き流せなかった。
そもそも武家同士の戦だったら、どれだけ弱くともあんな情けない男はいない。死にたくないと泣くならまだましなものを、自分達から手を出しておきながら言うに事欠いて「俺達を殺したら罰当たるからな!」なんて世にもみっともない脅し文句をかましたのだから普通にイラッと来る。ふざけるなとも思う。
だが私が坊主を殴った時のみなさんは、あきらかにキチガイを見る目をしていらした。
引っ込みがつかなくなって、ついでに皆さん怖がってるだろうから、この際非戦闘員の自分が率先してなんてことないと示そうとした。それでさっき仏像の首飛ばしたるわとぶち上げてしまったわけだ。
士気はそこそこ持ち直したようだけど普通に引くに決まってる。
なお、出張先には間に合わせなんて使うまでもなく、十分高性能な釜戸があるし料理人もいる。
(でも自分で言っちゃったしなー、あれほっぽり出しても誰も使わないもんなーあーくっそ!)
それどころか今になって首を捨てたら、威勢のいいことを言っておきながら、やっぱりあの女も仏罰は怖いのだと囁かれるに決まっている。
冗談じゃない。
メインで使用することになる料理人の皆さんには申し訳ないけど、少しの間タダで雑用しますからと頼み込んで使ってもらおう。
そんなことを考えながら、引かれた幕を潜った時だった。
 
「……えっ」
彼は、残っていたところを捕らえられたのだろう。
まだそばかすの残る顔は炎に照らされてなお青く、体も法衣もぼろぼろの傷だらけで、眼前に差し迫った死の影に涙を浮かべながら、それでも突きつけられた白刃から逃げる素振りはない。
炎の中で私を助けてくれた、あの若い僧侶だった。
 
 * * *
 
「な、長可さま! お待ちくださいませ!」
咄嗟に声を上げてから、はしまったと顔を引き攣らせた。
「なんじゃ」
意外なほどかたちのいい瞳に、未だあかあかと燃える炎の色を宿らせて、森勝蔵長可がじろりとこちらを伺う。
先刻の気でも触れたかという行為について彼は何も言わなかった(ひょっとすれば、自身の考えがとそう違っていなかったが故に、特別語るべき言葉がなかったのやもしれぬ)が、その行動に態々口を挟んだとなればどうなるかはわからない。
「そのお人は、」
なんとかそこまでは口に出したが、どうか容赦してやってくれと乞う言葉をは持たない。
(その人は…私の恩人だけど、でも、だからどうしろって言うんだ)
安物の映画や小説でもあるまいに、僧侶を殺すなど誰しもいやに決まっている。それでも大部分の兵は心を沈めて、善僧も悪僧も区別なくただ斬った。
それがどれほどのことか、つい数時間前に思い知ったばかりではないか。
(どんな振る舞いをしていようと根切りにするって命令を受けて、いやでも必死に遂行してる軍隊に、その人は勘弁してくださいって…どの面下げて)
伸ばした手は、何も言えぬまま宙を舞う煤を掴んで震えた。
「はっきりしろ、用がないなら一々出しゃばってくるでないわ」
「あ…!」
舌打ちとともに槍の穂先がきらめく。
 
その動作を、冷静な一声が止めた。
「ああ、言われてみれば」
「む?」
「えっ」
 
だけでなく、長可も、今まさに殺されようとしていたはずの者すらも、その何気ない声に思わず視線を引き寄せられた。
「長可どの、その者は殺してはならぬ」
「なぜじゃ」
「わしはそのそばかす顔にどこぞで見覚えがあってな…どこであろうかと気になっておったが、ようよう思い出した」
明智十兵衛光秀は、わずかに声音に笑みを滲ませた。
「その者は聖衆来迎寺の見習いぞ」
「なに…」
も思わず目を剥いた。その名には聞き覚えがある。
焼き討ちにおいては全員を殲滅せよと下知されていながら、例外的に被害を免れたその名は、宇佐山の戦で没した森可成の墓所のある寺の名だった。
「一度挨拶に寄った折、茶を出してくれた故に顔を覚えておってな…明智隊と同行した殿も見覚えがあったのであろう。いや、早く思い出せずすまぬことを」
「…なるほど。己もそれならそうと早よう言わぬか、その所為で父の恩を無碍にするところであったわ!」
「えっ、せ、拙僧は」
頭から怒鳴られてよろめきながら、まだ状況が飲み込めていないのか、彼は懸命に明智と、そして長可を見比べ、やがて焼け焦げた血泥の上に力なく膝をついた。
 
まだあどけないその顔を、後から後から溢れる涙がしどとに濡らしていた。
 
 * * *
 
「なんと礼を言ったらよいものか…せめて殿が心穏やかに歩めるよう、拙僧はここからずっと祈りましょう。どうかお体にはお気をつけくだされ。
 お助けいただいたこと、決して忘れませぬ」
「いいえ、もう何も仰らずに…貴方様がこれより先、立派な僧侶となられることを、わたくしも遠い空より願っております」

晴れ渡った空の青を真っ二つに裂いて、遠くではまだ狼煙のように高く黒煙が上がっている。
聖衆来迎寺の門前まで送り届けると、彼は私にも明智隊の皆さんにも何度も頭を下げ、本当にいいのかと思うほど丁寧な礼を繰り返した。
そんなことを言われても私は助けてもらってばかりいた。最初は彼の勇気に、次には明智さんの優しさに、今は隊のみなさんの後ろ盾に…幇間のように調子のいいことを言いながら、一人ではなにひとつ越えてこられはしなかった。
あの場でさっと機転を利かせてもらっていなければ、何も言えずに固まったまま、恩人が斬られるのを黙って見ているしかできなかったのに。
さすがにわからないほど鈍くはない。
長可君が指摘した通り、来迎寺の人なら手出しはされないと事前に聞いているはずだ。しかも彼は(嘘には慣れていないのか)そうと断じられた時、まったく思いも寄らないと言いたげな顔をした。
明智さんは“そういうこと”にしてくれたのだ。
あの場では総指揮者の記憶以外に調べる術がないからと、さりげなく私の発言を拾って。
(本当に、なんであんな優しいんだろ。明智光秀っていったらもっとこう…いや、今まで人柄とかよく知らなかったけど、あんな人がいずれ本能寺で主君殺しするのよね?)
 
つとめて避けてきたが、織田家中に馴染んできた今となれば、そろそろ考えなければならない。
1582年。天正10年の本能寺で、織田信長が明智光秀に討たれるという史実の裏を。
 
私が今まで見てきた限り、件の二人は裏切りの頻発する時代にあって珍しいくらいのいい関係性を保っている。しかし人心などというものは端で見るよりはるかに複雑で狂いやすく…加えて、理が通用しないのが乱世の常。
この先誰がどう考えて、どんな行動を取って、その結果戦況がどう動くのか。知っているという油断も思い込みも捨てて、できる限り多くの人と話して、冷静にもう一度織田家を見つめ直そうと思うのだ。
今回は何もできなかったけれど、そうすれば、今度こそ少しでも守れるものを増やせるかもしれないだろう。
ふたりの恩人のために、私はもっと役に立ちたい。
(まあ…その為には帰った後、あの仏像の頭をどうにかしなきゃアレなんだけど)
 
ほんの二日、されども二日。
おそろしく長い時間に思えた叡山攻めは、こうして終わった。