思い出したのは去年の秋頃。その時はただの笑い話だった。
こんなイベントがあるんだけど本当のとこは命日でどうのこうの、もしくはお菓子のくだりとかは後付けでただの製菓会社の陰謀で云々。元の時代でも私の周りでは殆ど愛の告白(笑)みたいな扱いになっていて、別にお菓子のやり取りがなかったからと言ってピリピリしたりしないものだと思っていたし、彼らだってなんだそれと笑っていた。
チョコレートというのがないなら普通に甘いお菓子でいいんじゃない、と言ったのは、名前は覚えていないが私とちょっと仲のいいくのたまのさらに友達だ。それもそうだねと頷いて、じゃあせっかくだから当日は思い人に何かあげたらおもしろいかもなんて話をして、そのあと女同士きつめの軽口を叩いたりしてみんなで笑った。それが一月中盤。
そして、近付くにつれて皆態度が変わってきた。具体的には二月に入ってから。
言い訳をさせて欲しい。本当にネタだったんだ。
なのに思ったより広まってしまったのが良くなかった。まあ大元は私がネタにしたせいではあるけど別にスイーツ(笑)とかそういう思考ではなくて。
もちろんみんな年頃だから、こういうイベントが好きでもなんらおかしくはない。だから予想してしかるべきだったと言われれば言い訳のしようはないけど。
「…正直すまんかった」
だから誰か、この空気を軽くする方法を誰か教えてください。もうぶっちゃけホワイトデーとかどうでもいいから。
「わざとじゃないから許されるってものじゃないだろう、元凶」
「ついでに言いますが悪かったは免罪符じゃありませんよ」
「このやり場のない怒りをどうしてくれる」
「でもちょっと考えてみよう君達、この惨劇は本当に私だけのせいかな」
『………。』
「ソワソワするあまりうっかり態度に出しちゃって、しかももらい物にどんな裏があるか考えずにいい笑顔で受け取って食べちゃった方にも責任はあるんじゃないかな。おねえさんそう思うんだ。騙すほうが全面的に悪いと言われる今近、しかし騙されないよう隙を見せずに振舞う心構えこそがやっぱり一番大事だと思うんだ。露出度の高い服を着てて痴漢にあっちゃった最悪ー、は矛盾なんだ。ハメられるのが嫌ならそれなりの警戒心を持とう若人達よ! ただ待っているだけじゃ平穏はやってこない!」
渾身の演説は鮮やかな総スルーを食らった。
「だからと言って…」
唯一反応を見せたのは文次郎君だった。しかしそれもあからさまに不穏当だ。声が唸るようなひときわ低いトーンに落ちたと思うと、次の瞬間、彼は用紙を何枚か食堂の机に叩きつけて全力で吼えた。
「そこらで売ってる饅頭ひとつになんでこんな法外な値のバックがつかなきゃならん!」
「くのたま教室に聞いて!」
「もとはと言えばさんが三倍返しなんて教えるから! 見てくださいよこの請求書!」
「知らないね! そこらへんは贈り手のモラルの問題だから私に言われたって知らないね!」
「くのたまにモラルなんてあると思ってんですか!」
「おうよく言った、それ真正面切って本人達に言ってみなさいよ!」
「………。」
「………。」
「ごめん、無理難題だった」
「分かればいい」
「いや、なんというか…すみません、俺達だって言いがかりなのは承知なんです。それにしたってこれはあまりにひどい!」
「見てくださいよほら。着物と紐と髪飾りと化粧品一式ですよ。こんな詳細にブランド名まで指定して」
「うっわえげつないねえ。この量あれば嫁入りできるんじゃないの」
「しかもここ。この内訳! 饅頭の材料費はまだしも製作にかかる各諸経費の欄が膨大な額になってて…あ、見えます? 虫眼鏡貸しましょうか」
小さいスペースに小さい字でびっしりと…確かに肉眼ではちょっと辛いサイズで書き連ねられている。これは闇金の手口だ。それもかなり悪質な。この時代には法律屋もいなけりゃクーリングオフもない無間地獄。
「でもまあ、気の毒だとは思うけど私はくのいち教室にカバチ垂れる度胸ないから諦めてね」
「ここまで同調しておいてまさかの最終結論・放置! あんた悪魔だ!」
「まあね!」
「悪魔で、掃除婦だよね(暗黒微笑v)」
「そこらめええええええええあからさますぎる 禁 則 事 項 それ! 怖いよやめてよどっか晒されるよ勘弁してよ三郎君!」
「いやまだヌルい。皮肉やパロはキリングゾーンに踏み込むぐらいでなきゃ面白くないよ」
「話がズレた!
…まあなんだ、みんなきっつい冗談が好きだよね」
「実習明けで疲れた心と体にクリーンヒットの悪夢のような冗談ですよ」
「わたしは疲れてないぞ?」
「黙れ小平太この体力バカが」
「みんな荒んでるなあ」
「黙れ。そしていよいよもって荒むからその全開笑顔どこかに仕舞え。後に背負ったにぱー☆の書き文字がうざい」
「そのバレンタインデーとやらの時だって、みんな実習明けだったんですよ。疲れ切ったところに甘味が沁み入って、その副作用でうっかり猛獣の群れが天使に見えましたよ」
「まさしく天使の翼は猛禽類の翼だね」
「誰がうまいこと言えと」
「さんは平和でいいですよ。斜堂先生にこんな無理難題ふっ掛けたりしないでしょうし」
「私のバレンタイン…嫌なこと思い出させてくれるね、いさっくん」
「えっ! まさか言ったんですか三倍返し」
「言わないよ! ただ、あげたのがちょっと私としては納得のいかない出来で…あれを考えると、お返しがどうとか言われたらこっちが気を遣っちゃう」
「珍しいね、要領いいさんが失敗するなんて」
「三郎君に言われると嫌味にしか聞こえないのは人柄かな。…まあ、たまにはするよ」
「…………味は、良かった」
「ありがとう長次君。でも監修が良かったおかげでそれはわかってる。その後書いた文句がいけなかった」
いくらなんだってこの時代にチョコレートはないので、長次君及び図書委員達に協力を仰いでボーロを焼いてみた(とはいえ私が考えていたような、元の時代で言うところのたまごボーロとかそういうアレではなかった。タルト生地とビスケットとスポンジケーキのキメラみたいなお菓子だ)。とりあえず美味しかった。
「えー、味見ならわたしたちも呼んでくれればよかったのに。お菓子食べたい」
「始終腹を空かしてる体育委員会にやってどうする、特にお前なんぞ何食ってもうまいとしか言わんだろうが。味見の意味を為さん」
「だっておいしいじゃないか、さんの料理」
「褒めてくれてありがとう、小平太君。でも私が来たばっかりの頃消し炭みたいにしちゃった魚もうまいうまいって骨ごと食べたけど、あれはよしなね。ガンになるよ」
「ありましたねそんなことも」
「話がズレた。それより、なんと書いたのだ」
「なんでずらしたままにしといてくれないの仙蔵君」
「なんと書いたのだ」
おかしいな。一月ばかり前にみんなで祓ったはずの鬼がこんなとこにまだ残ってる。
「南蛮の言葉じゃ分かりづらいと思って、まずアイラブユーは除外でしょ。それ以前にスペースの関係上長くは書けなくて、分かり易くしようと疲れた頭で考えた結果がこれよ」
請求書の裏に書いて見せてみる。
「これじゃ唐の人みたいですよ…なんで後ろにせめて『き』を付けなかったんですか」
「できるなら『です』も欲しいよな。これじゃあまりにも分かりづらい」
「『好』の一文字とはまた思い切ったもんだ」
本当に、焦るとろくな結果にならない。
誰から聞いたのか、行事内容を知っていてくれたのが幸いだった。一応『あなたが『好』きだ』という意図は汲み取ってもらえたが、しかし知らなかったら果たしてどういう解釈になったのか。
「わかったでしょ。そういうわけで私はあんまりお返し的なものは欲しくない。高校生の時分はホワイトチョコでイモムシ作ったのに、やっぱり恋愛感情が絡むと弱いもんだね」
「材料のことはわからないけど、嫌がられたでしょそれ」
「うん。でもまあインパクト勝負だからそれでいいのよ」
「あのう一応確認しますけど、バレンタインデーって恋の告白の日で、若手芸人の記念日じゃないんですよね」
「うち共学になったばっかりで男子少なくてね。所属クラブのバレンタインはどれだけネタを凝らせるかのお祭りだったよ。なつかしい…ああ、そういえばくのたま達の空気って母校にすごく似てるんだけどどうしてだろうね」
「…どうしてどころか、さんとくのたまの仲がいい理由が一気に解明されましたよ」
「…そうか、未来にもくのいち教室はあるんだな。…あるんだろうな…」
はて。なんで皆暗くなったんだろう。
「なんにせよお返しは来るんじゃないですか? この行事学園で結構有名になってますし、たぶん斜堂先生ホワイトデーのことも知ってますよ」
「だろうね」
しかし辛党の私にどんなお返しをする気だろうか。元の時代にいたときもよく思ったものだけど、バレンタインという行事、考え過ぎるタイプには相手がいようがいまいが本気で面倒くさい。ハッピーどころの話じゃない。
ほんのネタ話のつもりがなぜこうなった。
「で、まあ私の心配より先に君らはどうにかくのたま一同を言いくるめて、金銭被害を最小限で留めなきゃいけない訳だけど」
「あの、思い出させないでくれませんか」
「いや、みんな一生懸命現実逃避してるからつい」
「クソが」
「うわ、仮初めにも女相手に罵り文句も工夫がなくなってきたね」
たぶんこの子達、私を女だとか思ってないだろうけど。
いや性別としてはわかってても、何らかの気を遣うべき対象にはしていないというか。まあ男と女は古来からの宿敵同士とも言われるくらいだし、どちらかと問われたらやはり私はくのたまサイドに付くから、この上なくお互い様だ。
そんなとき。
「あ、いたいた!」
『げ!』
噂をすれば。
食堂が満員になる勢いで…しかもうまいこと忍たまを逃がさないよう包囲網を作りつつ…くのたま達が入ってきた。
「困りますねえ。返済期限は今日なんですけど男ども?」
「いや、ちょっと待ってくれ! いくらなんでもこれは暴利に過ぎる!」
「そんな言い訳は通りませんよ。ほらここ、ちゃんと記載してあるでしょ。確認しなかったそちらの責任ですよ? え?」
「こ、こんなラブレターまがいの文章に規約がついてるなんて普通思うかァ! 純粋な男心を利用しやがって!」
「しかも小さすぎてシミにしか見えねえだろ! 詐欺師ども!」
「字が小さい? 言いがかりは困るわねえ…ほらこんなにはっきり大きく書いてあるのに」
「南蛮の言葉じゃねえか! 読めねえよこんなの!」
「読めない言葉で書いてある時点で解読をあきらめたんなら、それはそっちの怠慢でしょ…逃がさないわよ。あとその南蛮の文句はさんに考えてもらった」
「 ま た お ま え か ! 」
「そのような件は一切記憶にございません」
甘い言葉に紛れて小さい文字や読めない言葉で規約を書いておき、見逃して饅頭を食べたという事実につけ込んで、相手から金品をむしり取る。片棒担いでおいてなんだが、なるほどこれはひどい。
「一分の隙もない悪徳金融業者だ…」
よかった私男じゃなくて。
「おいなんとか説得しろ元凶!」
「悪いね文次郎君、さっきも言ったけどくのいち教室にカバチ垂れる根性は持ち合わせてない。それに「友達」と「味方」は違うんだよ。君達とは友達だけど、でも私はあくまで女の子の…具体的に言えば強い方の味方なんだ」
「女の子なんてこの猛獣どものどこにいるん「何か言った鉢屋三郎?」
「ナンデモアリマセン」
「あ、ねえねえさん。斜堂先生が探してましたよ」
「え、うそ。どこにいた?」
「部屋に戻るようなこと言ってましたけど」
「ありがと、行ってみるよ。じゃあみんな頑張ってね、取り立て」
「さんこそ、せっかくお返しの日なんだし心置きなくいちゃついてきてくださいねー!」
『ハッピーホワイトデー!』
勿論のこと、造語である。
「! てめえバチのひとつも当たりやがれ!」
* * *
「甘いお菓子を食べないのは知っていましたから、どうにも決まらなくて。遅くなってしまいますが、今度出掛けた時に何か…髪留めのひとつでもどうですか」
「そんな気を遣わないでくださいよ。こればっかりは口先じゃなしに…影麿さんがそうまで思っててくれるのが本当に嬉しいんです。むしろどんな甘いお菓子もらったって有り難く食べますよ、私」
ちょっと苦手なだけで、別段食べられないわけではないし。
「そうなのですか? …ですが、あなたのいた時代ではもらったものを三倍にして返すのが当たり前なのでは「さ、三倍返しなんてそんな悪しき風習は参考にしなくていいんです! 誰から聞いたんですかそれ!」
「くのいち教室の皆さんが話していました。なんでも元々はあなたから聞いたと…」
「あ…いえ…それは」
バチは案外早く当たった。
悪事の片棒を担ぐのは考えものである。鬼子母神の気持ちが少しわかった春の日の一幕だった。
ちなみに説得には三十分弱を有した。