私の掌にはひとつの豆がある。
何度見直してもまちがえようもない。手を握り込んだらぱきっと砕けてしまいそうな、一粒の豆だ。実家の父のお酒のつまみだってもうちょっとましなものを出してもらっている。
「孫さん、これは…?」
「仙豆ってんだ」
違う。そうじゃない。
「センズ…あの、いえ、名称を聞きたいんじゃなくてですね」
しかしこの気持ちをどう言葉で表現しよう、催促のようで気が引けるなあと思っていると、横からなんともいえない呆れた声が割り込んできた。
「孫よぉ、おめえまーたそんなサギみてぇなことやってんのか」
「えっ!」
ついさっきお会いしたばかりのおじさん、ヤジロベーさんは聞き捨てならないことを言った。なんでも孫さんとは少年期からの旧知の間柄らしいけど、孫さんが詐欺なんて。フリーザ様じゃあるまいし、まさかそんなことやるはずがない。
…べつに頭の話じゃなく、性格的に誰かを騙すなんてまったく向かない、からっとわかりやすい人と言いたいのだ。
「なんだよヤジロベー、ウソなんかオラついてねえぞ」
「どうせオレの時みたいに、その姉ちゃんにすっげえご馳走食わせてやるとか言ったんでねえのか」
「言ったけど?」
「それがサギだってんだバカ! フツーそんなこと言われて豆ひとつで納得するか!」
ヤジロベーさんとのやりとりで、だんだん私もわかってきた。
孫さんは騙してやろうとかそういう意図などいっさいなく…としても不思議は残るのだが、純粋にこの豆をご馳走だと認識している。
ことの発端は数日前に遡る。
孫さんのお宅はごぞんじ、ご夫婦で農家をやっていて、私が以前事務員として務めていた農業協同組合に青果物を納めている。その際、内訳としては力仕事を男衆…すなわち孫悟空さんや息子さんたちが、細かい作業を奥さんが担当しているのだが、ちょっと前にそのチチさんが腕をひねって痛めてしまった。
孫家の男性陣はあまり細かい仕事は得意ではないようなので、それを耳に入れたのも何かの縁、私が野菜の袋詰めやシール貼りをお手伝いしたわけだ。なにせ私ももとは農協づとめ、勝手なら知ったものである。
けっこうな量があったから休暇の数日は消えたが、とても喜ばれたので構わない。困ったときはおたがいさまだ。
そうしたわけで、孫さんは作業の途中に言ったのだ。
ホント助かったぞ、サンキュー! そうだ、これ終わったらすっげえごちそう食わせてやるよ。仙人さまのごちそうだぞ
なんだかよくわからないが、神様にもコネがあるような人のいうことだ。それはさぞおいしいものを食べさせてもらえるに違いない。どんな料理かな、人間に模倣のできるような材料ならいいな…などと大喜びのいきおいで作業を終わらせたのである。予定より一日早いくらいだ。
しかるに今、掌に豆が一粒乗っている。
私の困惑はヤジロベーさんが言語化してくれたが、それにしても、どの角度から見ても豆一粒。
瞬間移動で連れてきてもらった、カリン塔とかいうこのよくわからない空間を見回してみても、豆以外に特別食料が貯蔵されている気配はなかった。
怒りよりももはや純粋な疑問しかない。
誰も彼もたまげるほどの大食漢であるサイヤ人が、こんなチリみたいな量をご馳走と呼んでいるのだ。あんがい食べてみたら天にも昇るような美味なのか。ここが天の上だけど。
「言っとくけどな、それ食っても別にうまくねえぞ」
「ええ…?」
私の考えを先読みしたかのように、ヤジロベーさんが駄目押しの一言を投げつけてきた。
「なんだかよくわからねえけどな、そいつは仙人の豆なんだと。食ったら十日くらいずっとハラが減らねえし、怪我なんかも全部治っちまう」
「えっ、すごい」
そういう意味での仙人さまの食物だったのか!
たとえば死にかけの大怪我をしたとして、快癒にはメディカルマシンで数時間から最大三日。それですら地球の医療技術からすれば驚くような短期間なのに、一瞬で治せるというのか。なるほど、仙人の豆と言うのは本当だ。
大食漢かつ戦闘民族のサイヤ人にはたしかに値千金のご馳走かもしれないが、今の私は死ぬほどお腹が空いているわけでもないし、怪我ひとつない健康体である。
「すごいけど、この場合用途をまちがってますね…」
「んだ」
「ヨウト?」
「えーと、使い方が違うというか」
「だからよぉ! すっげえごちそうって聞いたら、ふつうメチャクチャうめえもんが出ると思うだろ! 肉とか魚とかよぉ!」
「まあ、そういうことです。私だって実用的なものは大好きだけど場合によります」
べつに食事に困っているわけでもないし、大怪我をしたわけでもない。勉強になるようなおいしいものが食べたかったのだ。
私が食事にまで実用性を求めるようなら、そもそもフリーザ軍のレーションに文句を言うことはなかっただろう。味を二の次にしただけあって、あれは栄養だけはバッチリだ。
「そっか、どうすっかなあ。そのへんで獣か魚でもとってやろうか?」
「そうしましょう。もう趣旨は変わっちゃうけど、材料を持ってきてくれたら私が調理してご馳走にしますよ」
「よし、そんじゃやるか! ヤジロベーも来るだろ?」
「おう」
* * *
なんだかんだ言って男の仕事は手際がよろしい。
おふたりはものの一時間もしないうちに、まるまると太った鳥をたくさん抱えて戻ってきた。
内蔵を抜いて下味をつけ、孫さんがもらってきた米や野菜を腹に詰める。それを大きな葉にくるんだのち粘土で包んで、焚火の中に放り込んで蒸し焼きにした。こういう時は豪快にやるのがいちばんだ。
焼き上がった鳥肉を中央からざくりと切って分ける。
材料をくれたふもとのご家族もいつのまにか混ざって、なかなかにぎやかな一幕になった。未知のご馳走とはいかなかったが、これはこれでとても楽しい時間である。
息子さんの話すところによれば、孫さんはまだまだちいさな少年のころ、彼ら親子を守って世界一強い殺し屋と戦ったらしい。カリン塔にはじめて登ったのはなんとその時。信じられない。
私も木登りなら多少心得があるのでやってみたが、数メートルもいかないうちに落ちた。田舎の木とはわけが違った。
その後聞いた話、ヤジロベーさんに至っては少年の孫さんを背負って登り切ったというのだ。もう言葉もない。
「孫がごちそう食わせてやるって言ったのはよぉ、その時だで」
なるほど、食い意地の張った彼らしい動機である。
「まあハラだけは膨れたけどな、オレはグルメなんだわ」
次いでさっきの鳥はうまかったぞとおほめの言葉をくれた。やはり誰かの口に合うものを作るのはよいものだ。
「けんど、うめえ肉ってったらアレが一番だったな」
「あれ?」
どれ?
自称であってもグルメなのは間違いなさそうだ。思わず身を乗り出した私は、その次の言葉に思わず首をかしげた。
「孫と会った時にな、ピッコロ大魔王の手下ってヤツが襲ってきたんだわ」
「なんて?」
ピッコロさんといったらよく孫さんのお孫さんのめんどうを見てる、無口でぶっきらぼうだけど優しい緑色のおじさんではないか。
とはいえ、ナメック星人だというからあまり親しく話せていない。私はかりそめにもフリーザ軍所属の人間なので、なんだかちょっと、こう、いらない気後れをしてしまう。
「だからピッコロ大魔王、知らんのか? まあおめえ若ぇからしょうがねえか。とにかく昔そういうならず者がいてなぁ、いろいろあって孫を狙ってきたんだ」
「はあ」
べつにそこまで若いわけではないが、話の腰が折れるので黙って聞いた。
「そん時に来た手下ってやつがでっけえトカゲでな、ちょうどハラ減ってたからぶった斬って、焼いて食ってな」
「はあ…?」
待って。頭が追いつかない。
「ゲテモンだからどうかと思ったが、そいつが柔らかくて汁がたっぷりでよ、メチャクチャうまかったな」
「……。」
どういう話なのかよくわからなくなってきたが、ピッコロ大魔王。
ピッコロさんと関係があるのかどうかはあとで聞くとして、私がまだよちよち歩きのころに現れて世界中を混乱の渦に落とした、教科書に載ってるあの魔王のことで合っているだろうか。
そしてここが重要だ。手下のトカゲの肉がすごくおいしかったと。私はメモをとったその部分にしっかり丸をつけた。
「…ところでちょっとお聞きしたいんですけど、そのトカゲ人語しゃべってました?」
「おう。それがどうかしたか」
一応なりとも人語を話す、知性のある相手をよく食べようと思えたなこの人。比較的マシな常識はあるようだが、やっぱり孫さんの一味はそれぞれどこかしらおかしい。
なお、話の流れで私がベジータさんの上司に雇われていると言ったとたん、ヤジロベーさんは突然手のひらを返して敬語を使ってきた。そんな怖がらなくても私は肉体的には無力そのものだが、びびる様子がおもしろかったので少しほうっておくことにする。
わかりやすくて好感の持てる人である。
|