フリーザさま。
 そう口を動かしたものの、続く言葉は特に考えつかなかった。
 助けてくださいと言うのも、ご無事ですかと言うのもおかしい。ただその傷の深さに、まずいことになったなと他人ごとのようだった思考が、一瞬ののちに爆発的な苦痛に塗り替えられる。
 痛い。
 当然だ。私に向けられたレーザーは体を撃ち抜いていたはずだ。動くことはもとより、口も鼻も血があふれ出して声のひとつもあげられない。視界の方だってだいぶ怪しい。痛くて、痛くて、痛くて、熱くて、なのに末端がひどく冷たかった。
 頭のおかしい上司に戯れでいたぶられることはよくあるが、いつものそれとは比べものにもならない。今思えばいつものフリーザ様は撫でるくらいの力加減だったのだ。
 できれば助けてくれないだろうか。
 ただの光線銃で殺されるような脆くてどんくさい地球人などもういらない、だなんて思っていなければいいけど。
 急速に散じていく思考と、暗くなる視界に、血だまりの中に無表情で立ち尽くしているフリーザ様がうっすらと見えた。
 
 どれぐらい時間が経ったのか。
 少しとろみのある温かな液体に包まれて、私の意識はぼんやりと浮上した。
 目を閉じていてもはっきりとわかる。傷の痛みがほんの少しずつ引いて、ちょうどいい温度のゆらめく液体の中で静かに呼吸を繰り返している。これはメディカルマシンの薬液だ。自慢ではないが何度も入ったからまちがえるはずはない。
 私はフリーザ様の星の視察に同行して、現地で撃たれたはずだ。
 殺意もあらわに襲いかかってきた相手を上司は尾だけでいなすと、実力差が明らかなのだからもう少し戦術を練りなさい、などと言わでものお説教をつけた。頭がおかしいうえに根性もひん曲がっている。
 今にして思えば、一度目のその襲撃が陽動で最初から私が狙われていたのか、それとも後続が自棄になっただけなのかはわからない。
 わからないが、ともかく、直後に私が撃たれた。
 その時私はフリーザ様の後ろに隠れて、スカウターで周囲をじっと確認していた。それらしい数値など確認できなかったから、私の方は瀕死の傷病兵か、あるいは非戦闘員の女子供でも使ったのかもしれない。
 とまれ、今更言っても詮無いことだろう。
 確かこの小型宇宙船には、私の使う食材を除けばまずいレーションしか積んでいないはずだ。
 それだけが気がかりだ。
 やられたものは今更仕方ないとしよう。しかし食事を出すことが私の仕事で、そのために付いてきたというのに、復路はえんえんこの中で眠り続けるはめになって…つまるところ、フリーザ様もお付きの皆さんも、今はあんなまずいレーションを食べるしかないのだ。
 この私がいながら。
 やっぱり何がなんでも表には出ず、船内に閉じこもっているべきだった。
(……仕方ない。もう少し眠ろう)
 私は目も開けないまま、再度睡魔に意識を委ねることにした。
 それにしてもさっきから、手足の末端、いや全身がなんだかじんわりと温かいように思えるのだ。薬液の温度とは全然違う。
 知らない間に新しい機能でもついたのだろうか。
 
 * * *
 
 意識が再浮上して目を開けた瞬間、視界いっぱいに見えたのは、ホラー漫画のクリーチャーもちびって逃げ出しそうな形相をした…フリーザ様だった。
「ゴボァッ」
 怖い怖い怖い何これ怖い!
 その顔ときたら今にもお前を呪い殺すと言わんばかり。どうしてそんなにまでお怒りなのか。まずい食事がそんなにまで嫌だったのか。ふつう嫌だろう。そこは納得する。
 だが私が何をした。
 あまりの恐怖に悲鳴を上げてもがいた拍子に酸素吸入用マスクが外れ、口から鼻から生ぬるい薬液に満たされて、鼻の奥がひどく痛む。息苦しさにさらにもがいて、手を伸ばしてガラスを引っかいたが、当然ながらびくともしない。
 ガラス越し、上司はとてつもなくかわいそうな子を見る目をしたかと思えば、特に力も入れていなさそうな拳ひとつで軽々とマシンのガラス部分を粉砕した。
 中に満ちていた液体が流れ出して盛大な薄緑色の水たまりを作り、鳥に似た足を濡らす。
 そんなことは歯牙にもかけぬとばかり、フリーザ様は無言でこちらを伺っていた。
 ひとしきり咳き込み、えずき、ひゅうひゅうと呼吸を繰り返して、気化熱の寒さを感じるくらいに落ち着くと、頭上からようやく一言だけが降ってきた。
 
「やっとお目覚めですか」
「……はい」
 
 喜んだらいいのか謝ったらいいのか。
 よく考えれば別に悪いことはしていないのだが、この雇い主は普段こそ冷静で合理的なくせに、時々驚くほど感情的になる。そんな時には常識的なことがらなど吹っ飛んでしまうのだ。とても面倒くさい。
「も、申し訳「怒ってなどいませんよ」
 ウソだぁ…。
「あの…私は、何日眠っていたんでしょうか」
「丸三日です」
 こちらが寒さで震えているのを見たフリーザ様は、少し視線から毒気を抜いて、手に持った白い大きなものをこちらの顔面へ投げつけてきた。
「わっ!」
 バスタオルだ。軍内で普通に使われている吸収性に優れた素材で、たぶん体格の優れた種族用の、サイズが大きいもの。小柄なフリーザ様が乱暴に持っていたから白い塊にしか見えなかったのだろう。
「地球人の裸になど興味はありませんが、あなた達は衣服がないと体温調整もまともにできないのでしょう。早くシャワーを使って服を着なさい」
「はい」
 タオルを巻き付けてふらつきながら立ち上がる。
 多少目眩がするし力も入らないが、胃にろくにものも入れず三日眠り続ければこうもなるだろう。シャワーの後に少し消化のいいものを食べておかないと。
 
 裸足でぺたぺたと側を通り過ぎる時、ふと疑問がよみがえってきて、本当によけいなことを聞いた。
 聞いてしまった。
 
「あの、フリーザ様…あの後、あの星は」
 向けられた視線にすぐに後悔した。
 まるで氷で作られた刃物だ。冷たく鋭い目がこちらを一瞬だけねめつけて、すぐに逸れる。
「あなたが聞いても意味はありません。もうかかわりのない話です」
「……。」
「わかったら早く行きなさい」
「……はい」
 それに答える言葉を私は持たないというのに、どうしてこんなことを聞いてしまったのだろう。
 
 フリーザ様の白い尾がぱしんと鋭く床を叩いたのをしおに、私は足を早めてその場を離れた。