私は事故に巻き込まれて遭難していたことになった。
背景はいろいろ調整したがこまかい話は省いて、カプセルコーポレーションの方で保護、治療してもらったと答えると、家族も知人も皆安心してくれた。さすが世界の大企業、信頼度が凄い。
実家に戻ったり家族に泣かれたり職場の皆さん数人にも泣かれたり警察の怠慢にクレームを入れるとかいう話を止めたり。各方面への説明や、なぜかちらほら現れた勘違いしてるマスコミのあしらいや、あれやこれやと駆け回って、あっという間に三月経つ。
正直この三月はフリーザ軍にいた時より疲れた気もするが、この数ヶ月で新しいコネと友達ができた。それでいいとしよう。
ビルス様のリクエストはいつも唐突だ。
遊びに来たカプセルコーポレーションの厨房をお借りして、鍋の様子を見ながら、私は最近珍しいまったく予定のない時間を過ごしていた。差し当たって命の危機がないとはすばらしいことである。
注文はヴィシソワーズによく似た、白いなめらかな野菜のスープ。
フリーザ軍で編み出した改造レシピを試したかったが、それには宇宙で見つけた野菜が必要だったのでそっとあきらめた。どうがんばっても地球にヌペペンプピ芋はない。確か完全な真空状態でしか栽培できない芋だ。
(あれは柔らかくて甘みがさわやかで、このスープには丁度よかったんだけど…少しなつかしいな)
余裕ができたとたんにあの試行錯誤の日々が懐かしくなるなんて、我ながらずいぶん現金なものだと笑ってしまうのだが。
しかし、そのおかげか腕が上がった。
孫さんご一家にご馳走したとき、奥さんに言われてしまったのだ。
前よりもずっと味が良くなった、と。
チチさんはその辺の料理人よりもずっと腕がいいし、なによりそのメニューはいっしょに出店をやった時、彼女も散々食べたものだ。まちがいはない。
原因は明白だった。
(フリーザ軍にいた時は何もかも全部手探り。染み着いた手癖を一度全部捨てて、基本をひたすら再構築していくしかなかった…それが良かったのか)
せっかく取り返せた平和な生活だ。棒に振るつもりはもちろんないが。
ないけど。
それでもやはり考えてしまう。
あの環境でもっと修行を重ねたら。まったく未知の食材と調味料を使いこなせるようになったら。どれだけ腕を上げられるのだろう。
考えたところでただのたられば話に過ぎないが、完成したスープをよそって飾りを添えながら、思考はもっと進む。
(ああ…あのあと厨房どうなったんだろ。ちゃんと運営できてるかな)
マニュアルは残してあるし、そこそこ想定外の事態が起きても大丈夫と見込んだ相手に後を任せた。しかしやっぱり考えるとそわそわしてしまう。
だいいち食堂はあれでよくても、フリーザ様に出せるものはあの鑑の誰も作れない。
一番最初、料理をお出しするにあたって、医師の問診のように細かく話を聞いた。普段はどんなものを、どの時間帯に食べて、どんな味付けを好まれるか。酒精や煙草など嗜好品はどの程度嗜まれるのか。
細かく質問を重ねていくにつれて、なんだかひどくむなしくなった。
そのときの内容を総括すれば、彼のたった一言栄養補給の内容物など、気にしたこともありません≠セ。
今おいくつなのか外見ではちょっと想像つかないが、孫さんやベジータさんと因縁があるんなら三十以下ではないはず。それだけの時間を、宇宙の帝王などと呼ばれながら、美味を知らずに過ごしてきたなんて。
そんなさびしい生き物がいるなんて思わなかった。
本人が知ったら怒りそうだが、こっちだって相当勝手なあつかいをされた身の上。勝手に同情するくらい許してもらいたい。
(いけない。もうお出ししよう)
作業中にうっかり考え出すと手を止めてしまいそうになる。
熱いスープを冷ますなど罪悪だ。
* * *
ビルス様とウイスさんは今日も暢気だ。
おふたりがこう見えてものすごく偉くて強いのは知っているが、うまいうまいとご機嫌にスプーンを動かしている姿はやっぱり、絶妙に可愛くないネコと、線の細いお兄さんだった。
「お気に召しましたか?」
「ええ、とーっても! ビルス様なんて見てくださいな、お野菜はお好きでないのに、あんなに嬉しそうになさって」
「やかましいぞウイス、おいしいものはおいしいんだ。
それにしても、キミは本当にいいコックだよ。……フリーザじゃなく、ボクが連れて帰って専属にしちゃおうかな?」
「ご、ご冗談を」
前言撤回。この気紛れはやっぱりおそろしく偉いもののそれだ。
私は諸手を上げて固辞した。拉致二回目はさすがに勘弁してほしい。
「何度か申し上げた通り、地球には私以上のコックなど山ほどいるでしょうし…」
「そりゃ腕だけならね。だけどキミの強みは度胸と柔軟さだ。他のコックじゃ及びもつかない」
そこは状況に応じて鍛えられたとしか言えないが、私自身、フリーザ軍の宇宙船では何度かストレスに耐えかねて首を吊りそうになったので、誰でもできるとはとても言えない。運が良かっただけだ。
お行儀悪くスプーンでこちらを指し、次いでペンのように手の中でくるくると回し、ビルス様はふんと鼻で笑ってその先端を空へ向けた。
「地球の職人が余所の星で大成できるかどうかはそこだよ。技術どうこうじゃなく、未知のものを恐れず挑みかかっていける胆力と好奇心。地球人はまだ外宇宙に出ないから、どうもこうもないんだけどさ」
「今のところは地球上で暮らしていくだけで精一杯な、シャイでか弱い民族ですので」
「あーあ、うまくいかないよなぁ! ほんと!」
あのデブとのおいしいもの対決、当分はボクが勝てるだろうけど…などとちょっと興味をそそる独り言が聞こえたが、ビルス様はそれ以上しゃべることはなく、ウイスさんが運んできたステーキに取りかかった。
(余所の星)
その細い背中を見ながら、そういえば私は宇宙に行ったんだなあといまさら思った。
別の星に降りたことこそなくとも、宇宙人にはやまほど会って、見たこともない食材と調味料をかき集めて、さびついた厨房を動かして。地球の方式で仕事をしてきた。あの日々が平和な今と地続きになっているなんて、なんだか嘘みたいだと思うほど。
結局形のあるものはろくに持って帰らなかったが、おみやげは新しい縁と、外宇宙の調理法の知識と経験だ。
それでよしとしよう。
私はおとなしい地球人なのだから。
宇宙規模で見たらほんのささやかな、だけど一生忘れられないだろう冒険は、こうして幕を閉じた。
……はずだったんだけど。
「おーいちょっと! キミさあ、フリーザの宇宙船で修行して料理の腕上がったって本当に?」
「えっ、いやその……本当ですが…」
「よし、じゃあもう一回行ってみるか!」
「えっ!」
破壊神の気紛れが、静かなエンディングの空気まで全部クラッシュしていかれた。
とりあえず、もうちょっと続くらしい。
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