「買っちゃった、買っちゃった」
 宇宙船の内部で珍しく鏡をのぞき込んで、私はご機嫌だった。少し首を動かすと、シルバーのフープピアスについた大きな石がゆらゆら揺れる。
 シンプルな銀の台座にはまったシーブルーカルセドニー。
 見事な明るいブルーグリーンは、澄んだ南の海をくりぬいたよう。淡すぎず濃すぎず、一番きれいな色合いだ。アクセサリーに頓着のない私が、本当に珍しい一目惚れをして買い求めたものだった。
 いいものであるから当然けっこういいお値段がしたし、そもそもフリーザ軍の宇宙船の中ではつける機会も特にないが、まあよしとしよう。気持ちの問題だ。
(そうだ、せっかくだから今度のお酒の買い付けの時とかつけていってみようかな。それともあんまり目立つ装飾品をつけたらまずいかな)
 そのへんは戻ったらちょっと聞いてみよう。
 私がフリーザ軍の人間だと知っている人はほんの一握りだから、たいして反対もされないだろうけど。
 
 * * *
 
「珍しいものをつけていますね」
 宇宙船をカプセルに戻して自室に戻ろうとした矢先。
 この鑑で飾り物など久しぶりに見ましたよと、ばったり行き合った上司は意外そうにつぶやいた。それはそうだろう、性質上どうしても男所帯になりがちな職場だし、アクセサリーなんてそう縁はないはずだ。
「地球の海の色です。あまりにも美しかったので、はずかしながら衝動買いを」
「ああ、いいんじゃないですか。あなたの服装になど興味はありませんが、なにせ普段が地味ですからね」
 フリーザ様はまたしても言わなくてもいい一言を添えた。
 まあ服も靴もアクセサリーも、機能を優先しているのは事実なので怒るほどのことではない…というより、このくらいのディスで怒っていたらフリーザ様の下では働いていられない。
「ですが、ひとつだけ」
「はい」
「わたしの前に出る時だけは絶対にはずしなさい。…わたしはその色が大嫌いです」
 ぽつりとそう言い残して、上司は何事もなかったかのようにすぐ側の司令室へ消えた。
 なんだあれ。
 
 自室へ戻り、明日からの仕事の支度を済ませてから、私はあらためて考えを巡らせた。
 
 あの反応からして、何ぞのへまをしてお怒りを買ったわけではない。もしもそうなら、今頃もっと意地の悪い猫のように人をいたぶっている。たぶん本人も言った通り、純粋にブルーグリーンの色合いがおきらいなだけだろう。
(地球の海に嫌な思い出でもあるとか…いや、まさかね)
 フリーザ様は言うほど地球に来ていないはずだし、海にそんなに深い縁があるとも思えない。首をひねってもどうにもならず、飲んでいたお茶を置いてベッドに転がった。
(なんだろうなあ…わからないと気になるな)
 雇い主が何色を嫌いだろうとも関係ないし、フリーザ様の前に出るときはどうせ仕事着のコックコートか、クラバット付きのシャツにベスト。いまさらだが料理人は清潔こそ正義であるから、髪はかっちり編み込んで、化粧も最低限しかしない。アクセサリーも全部自室に置いておく。自分の前でつけるななどと言われるまでもない。
 つまり、捨てろとか言われたわけでもあるまいし、何一つ問題はないのだ。
 ないんだけど、相手はフリーザ様だ。
 何者も自分を害することなどできませんよと言わんばかり、いつも余裕綽々と尻尾を揺らして笑っているあの狂人が、はっきり嫌いだと明言するなど本当に珍しいのだ。やっぱり気になってしまう。
「フリーザ様に関係があって、嫌な思い出になりそうな人。ってなると、やっぱり孫さんなんだけど…」
 今も虎視眈々と首を狙われているあのいなかのおじさんは、髪も目も真っ黒だ。
 ご親族なんかもあのきれいな青には縁がないだろう…いや、待てよ。
「ああっ!」
 私は思わずベッドから跳ね起きた。
「そうか、常態の孫さんじゃないんだ!」
 ちょっと前、当人が見せてくれたスーパーサイヤ人とかいう形態変化。
 私は誰が強いとか弱いとか興味がなかったので、あれのことをすっかり忘れていた。
 よくわからないがとにかくものすごく強くなるらしいあの変身は、髪の毛が逆立って、ちょっと不良っぽい金髪に。人の良さそうなあの黒い瞳も、どこか浮き世ばなれした翡翠色に変わったはずだ。
 そうだ。ナメック星とやらであの金色の孫さんと戦った時。生まれて初めてボコボコに負けたらしいじゃないか。
 確か、地球に来たときフリーザ様をサイコロステーキにしたとかいう男。その見知らぬ彼もスーパーサイヤ人だったらしいじゃないか!
 あの時は孫さんだけでなくその場にいた悟天くんやトランクスくん、ついでに悟飯くんも変身を見せてくれたが、例外なく皆同じ色合いに変わったのを思い出す。
 
 だとすればすべて辻褄が合う。
 身体的、精神的にズタズタに殺された相手の瞳の色。
 
「嫌な思い出にもなるか…」
 嫌どころじゃない。最悪だ。むしろごきげんを損ねたかどで殺されなかったほうが奇跡。
 もしも理不尽な理由だったら、あの海の色をカクテルあたりで再現して意趣返しにお出ししてやろうかな…なんて思っていたけど、これではちょっとそういうわけにもいかない。対象がフリーザ様だからあんなに平然としているだけで、ふつうにトラウマレベルだ。
 あんな人だが、善悪にかかわらず嫌なものは嫌だろう。そこに嫌味を重ねるなど非道すぎる。
 
 * * *
 
 愛用の反重力ワゴンの中から取り出したデザートを視界に入れるなり、フリーザ様はちょっと面食らった顔をした。

「…なんですか、それは」
「本日のデザートでございます。見た目は分かりにくいですが、ビターチョコレートとカシスのムースです」
 意図がわからないのか、雇い主はなんとも納得のいかなさそうな顔で首をかしげている。私はけっこう前にこの方をトカゲと形容したことがあるけど、体色が白いからそういう仕草をしていると鳥のようでもある。
「もちろん食べられるようにできておりますので、安心してお召し上がりください」
「知っていますよ。あなたが食べられないものなど出すはずがないでしょう」
 卓上に置くと、シンプルな白い皿に無機質な照明が当たり、黒と赤のムースをつつんだ豪華な金色がきらきら光る。このお方はあんがい悪趣味だから気に入るだろう。
「そのうえで聞くのですが、これはなんです」
「金箔です。書いて字の如く、金を叩いて薄く引き伸ばしたもので、地球では飾りに広く使われております」
「飾り…」
 あなたが出すものにしては派手だと思いましたが、などと続けながら、雇い主は小さなケーキにフォークを入れた。
 まばゆいほどの金の中から、流れ出したばかりの血によく似た赤があふれる。
 静かに口へ運んで、数度咀嚼して飲み込み、いつものごとくいい味ですと一言。この方はまるで金の勲章のように、私の一番欲しい言葉をくれる。
「ありがとうございます」
「…それで、これはわたしの好きな色のつもりですか」
「お見通しでしたか」
 フリーザ様は赤がお好きだ。
 そんなふうに言うと、なんだか子供の頃に読んだ童話のいじわるな女王様みたいだが、この方だと首をお撥ねとかそんな騒ぎではない。人に命じる前に手ずから首をひきちぎって、返り血を浴びて笑っているだろう。
「赤は確かに話した覚えがありましたが…金はどこが決め手なんです」
「確か金色に変身なさると伺ったので、お好きなのかと」
「まあ、きらいではありません」
 それこそ完全の象徴というくらいですからね、なんて、私が前に話したことを引用して、フリーザ様はふと笑った。
 
 それ以上は特別コメントこそなかったが、少しだけご機嫌を上向かせることはできたらしい。
 尻尾がほんの少し満足そうに揺れている。