大口開けて欠伸をしようが咎める人もいない。
せいぜい同じ事務のおばちゃんにあらー夜更かししちゃダメよアッハッハくらいのことしか言われない、実にのんびりした田舎の片隅である。
平和だ。
帰ってきてそうそうに感じるのは、我が地元はこんな死ぬほどヒマな田舎だったのだなあという感慨だった。
勤め先の店がつぶれて、運悪く再就職先も決まらずに地元に出戻り、親のコネで農協の事務員におさまってしばし。お給料は安いが仕事は楽だ。少なくとも毎日を無為に過ごすよりはよかろう。
午前中となると、ヒマなものがさらにヒマだ。さらにもう一つふたつ欠伸を宙に溶かしたあたりで、出入り口のベルが気持ちのいい音で来訪者を告げた。
「あら、おはようございます、孫さん」
オッスと軽いご挨拶ののち、農家のおじさんのひとり…こと孫さんはいつものように台帳にサインと捺印を済ませ、屋外へ出ると、慣れた調子で野菜の詰まった木箱を下ろし始めた。
いつ見ても力持ちだ。
このへんで暮らすと肉体労働が多くなるから、自然とそれなりの筋肉がついてくるものだが、孫さんは私の車が路肩の溝にはまった時だって助けてくれた。のんきだが頼れるおじさんだ。
「あれ、搬入来る前に倉庫前の荷どかすって話だけど、まだフォークリフト来てないわよね」
「あーっ!」
奥からおばちゃんに言われて思い出した。
各農家から仕入れた野菜をまとめるための倉庫の前は、今日にかぎって別の荷物が置いてある。別にたいしたものではないしずらせばいいのだが、数百キロにもなるので人力では手が出せず、今はフォークリフト待ちだった。
今頃倉庫の戸も開けられずに難儀しているはずだ。申し訳ないが、今日の分の荷物は別のところに置いていってもらおう。
慌てておもてへ走り出て、私は目をひんむいた。
「おーい、これどかしちまってよかったんか?」
「……えっ」
なんということでしょう。荷物がない。
いや、あるはあるけど、倉庫の前ではなく脇にずらされていた。
総重量数百キロ。人ひとりでは持ち上げるどころの話ではないし、押したとしても腰がいかれる。
「え…ええ……あの、ああ、はい……?」
そっか、ならいっかぁと死ぬほど軽いお返事のあと、孫さんはいつもと同じように倉庫へ野菜を運び込みはじめた。
まあ、いい…のか? いや、いいんだろう。どうやったか知らないけど。
「そういやぁ、チチがこないだの礼言っといてくれって。あんがとな!」
「こないだって…ああ、ケーキ」
数週間ほど前、孫さんがまだ小さなお子さんをトラクターに一緒に乗せてきたので、持ち込んだ自作のケーキをあげた。結構量があったはずだが、少年が大喜びでおいしいおいしいと次々平らげるので嬉しくなって、そこまで気に入ってくれたならと後日ちゃんとしたものを焼いてあげたのだ。
なお、材料は他でもない孫さんちの野菜である。自分で言うのもなんだがなかなかいい出来映えのキャロットケーキ。
「喜んでもらえたら良かったです」
さらに孫さんが言うには、チチさんもさすがプロの味は違うだなあと褒めてくれていたとか。やっぱり腕を褒められると調子に乗ってしまう。農協主催のバザーとかもあるみたいだから、出店申請してみるのもいいかもしれない。
欲を言うなら都に戻って、もう一度料理人をやりたいのだが。
ぽつっとそれをこぼすと孫さんは、そうなんかと身を乗り出してきた。
少し意外だった。この静かな田舎では誰も彼も、もう一度都会に出たいと言うとそこまでいい顔はしない。まあ若い子は都会の便利な暮らしの方がいいよねえ、なんて、肯定されてもそれくらいだ。
「オラには料理はわかんねえけど、もっと修行してぇんだろ?」
「そういうことになりますかねぇ…都にはやまほどお店があって、何十人、何百人の腕利きの料理人と、少しでも美味しいものを望むお客さんがいますから、うん」
「じゃあやっぱ修行だな!」
いいじゃねえか、腕試し。孫さんはそう笑ってから、でもおめぇがいないと悟天が寂しがるかなとつけ加えた。
「あいつこないだっから、ボクもお姉ちゃんのとこ行くーってきかねえんだ」
「あはは、それは光栄だけど、またチチさん怒ってたでしょう」
チチさんは付き合いやすい人だが、反面けっこうな教育ママだ。一人目の悟飯くんなんて、将来は立派な学者さんになるだぞと生まれた頃から言われ続けて育ったらしい。凄い。
そして本人も勉強が大好きで、若くして本当に学者さんになった。高校生の頃なんて学区内でも成績トップだったとか。とても凄い。
職種がなんであれ、好きなものを仕事にできるのはすごいことだ。
やはりそういう話を聞くと、もう一度広い舞台に出たくなる。
自分はこんなもんじゃないぞと、叫びたくなるのだ。
* * *
「……このタイミングで昔の夢見たくなかったなあ」
腰と背中が、すごく痛いからまあまあマシくらいに変わった朝である。
やっぱりベッドはよいものだ。地球で使っていたコイル入りのマットレスなんかとは比べるべくもないが、今までに比べればまあ、せんべい布団くらいの柔らかさはある。
だからだろうか、昔の夢を見た。
といっても半年くらい前だろうか、あの時私はただの事務員で、孫さんは本当にただのいなかのおじさんだった…はずが、今思い出したらけっこう人間ばなれしていたような。あの人が宇宙人ってやっぱりマジなんだろうか。
溜息をついて起き上がり、まだ見慣れない室内をぐるっと見回してみた。
お値段五千ゼニー前後のビジネスホテル、といった面積でもとりあえず個室だ。シャワーは変わらず共用。しかしトイレと洗面所とベッド、そしてクローゼットがある。なんと中から施錠もできる。すばらしい。これぞ文明人の生活だ。
まあこの船内のみなさん、誰も彼も施錠くらいこじ開けて入ってこられそうなのでそこはあまり期待してないが、そんなことはいい。気持ちの問題なのだ。
今日から、厨房と食堂をどうにかするだけの簡単じゃないお仕事のはじまりだ。
顔を洗って髪を整える。簡素だが清潔で動きやすいお仕着せに、独断で白いクラバットを結ぶ。
やることは山積みだ。ろくに設備も食材も整ってはいない、調味料も手探りで使用法を模索するとてつもない時間のかかる作業。
それでもようやくこの地点に立った。
腕試しの始まりだ。
「私は、こんなもんじゃないぞ!」
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